第30話 もう一つの現場

 今日の本当の戦場は、もちろん天野さんが向かったスタジオの方だったけど、私たちがいるビル周辺も相当な状況だった。

 ビルに引き寄せられるみたいに、どこからともなく薄黒い空気が寄ってきて、それが少しずつ形を成していく。

 どんよりとした空の下、そびえ立つ白いビルに群がる悪霊たち。まるで呪われた墓標みたいだった。

 こんな悪霊たちがビル内に侵入すれば、まだ逃げきれてない方々が危険だし……天野さんが抑えている敵と合流する恐れもある。


 だから、近隣の警察署からは霊能係の方々、加えて民間の霊能力者も総出で、ビルに群がる悪霊を撃退していた。

 そうして輪をなす人の盾の中に、私も加わっている。


 参加してすぐは、やっぱり戸惑いや緊張が大きくて、体の動きもぎこちなかったと思う。

 でも、すぐそばに課長さんがついてくださって、気持ちが少しずつ落ち着いてくると、状況が良く見えるようになってきた。


 私は、まだ業界入りたてのド素人だけど、それでも本職の警官の方々の動きが洗練されているのはよくわかった。互いに連携を取り合い、機敏にこの戦場を駆け回っては、悪しき気配を手際よくはらっていく。

 そちらと比べると――こう言っちゃうとすごく失礼なんだろうけど――民間の霊能力者の方々は、かなり私寄りだった。

 少なくとも、警官の方々みたいにスムーズな作業ができているわけじゃないのが、私の目にもわかる。


 課長さんによれば、民間人でこういう実戦経験がある者はごく少数とのこと。普段はもっと穏便なお祓いやカウンセリングに務めているから、戦闘力で少し劣るのは致し方ないという話だった。

 それでも皆さん、逃げ出さすに戦っていらっしゃる。


 はじめは怯えてしまう気持ちもあった私だけと、もしかしたら似たような境遇の方々が、こうして勇気を見せてくださっている。

 それがとても、励まされるような感じがした。

 こういう戦いの実態が、ニュースとして流れることはほとんどない。ただ、こういうことがあったと、言葉で済まされるだけ。


 今までは私も、そういう形でしか知る事のなかったこの世の現実に、こうして直面している。そう思うと、とても緊張したけど――

 同時に、心の奥底で何か熱くなる思いもあった。

 今まで一人で思い悩んできたこの霊能だけど、今日は手を取り合って立ち向かうための、大切な力になってくれているから。


 そうして、様々な立場の方々と一緒に、押し寄せる邪気と戦っていた私たちだけど……押し寄せる波が引く気配は、一向にない。

 でも、課長さんは心配が止まらない私に、ニコリと微笑んでくださった。


「まだ事件が進行中だから、人々の恐怖に呼応して悪霊が活性化しているところね。でも、こちらも迎撃の態勢が安定したから、この調子なら崩れはしないわ」


 実際、私たちが現場についたばかりの段階では、陣頭指揮でかなり忙しく見えた課長さんだけど、今はだいぶ余裕があるように見える。

 私たちの周りは安定しているとしても、他に少し心配なところはある。空から聞こえる音に目を向けると、ビル周辺をヘリが飛び回っているところだった。

 さすがに現場がTV局ともなると、報道用のヘリが何機かあって、空から迫る悪霊を祓うために駆り出しているところだった。霊能系の警官の中でも、選りすぐりの方がヘリに同乗して、開けっ放しのドアから護符を放っている。


 そんな中で、一人だけ全く別の動きをする方も。私の先輩、しのぶさんだ。

 最初にビル屋上へ向かったしのぶさんは、ビル外側の清掃に用いるような懸下装備を身に着け、壁面に貼り付いて悪霊を撃退している。

 なんでも、こういうシチュエーションのために開発された、高所戦闘用の装備らしいんだけど……

「アレを本当に使いこなせるのは、ウチでも相賀さんぐらいしかいなくてね」と、課長さんが苦笑い。


「先輩だからって、アレは見習わなくてもいいわ」


 たぶん、この課長さんに命じられたって、同じことはとてもじゃないけどできないと思う。映画の一幕を現実に見ているような思いをいだきながら、私は無言でうなずいた。


 見るからに危険なことをしているはずなんだけど、しのぶさんの戦いぶりは危なげがなくて、地上でも少しまごついていた私とは大違いだった。

 だからって、完全に安心してしまうのもなんか変な感じがするけど……しのぶさんのことを、課長さんはまるで心配していない。たぶん、全幅の信頼を寄せていらっしゃるんだと思う。


 あるいは、目が届かないところにある真の戦場に、注意が向いているのかも。


 ビル周辺の迎撃態勢が構築され、少し落ち着いてきた頃合いに、課長さんが私に一つ提案を持ち掛けてきた。


「あっちの様子を確認しましょうか」


 課長さんが仰る「あっち」というのが何なのか、聞かなくてもわかる。落ち着かない気持ちを胸に、私は少し乾いた口で「はい」と答えた。

 状況確認は課長さんが持参しているタブレット端末から。現場で生きているカメラを通じての映像だけど、さすがに自由に視点を動かせるわけじゃない。生きているカメラを切り替えるのが精一杯。

 現場全体を俯瞰する視点があるのは不幸中の幸いだけど、戦闘の細部を確認するには具合が悪い。それに、映像の遅延もある。


 さほど離れているわけでもない場所で行われる戦闘は、スタジオ内で爆発がたびたび生じるほど激しいものだった。

 ここからでは手助けできないし、どうやれば助けになるのかもわからない。

 映像越しの天野さんを目に、私は不安と強いもどかしさを抱いた一方で、課長さんはあくまで冷静だった。

「人質は無事ね」というのが第一声。言われて私も目を向けてみると、一箇所に固められた人質の方々に、何か追加の危害を加えられた様子はない。

 爆発物をまき散らす敵を前に、天野さんがしっかりと自分の務めを果たしている成果だった。


 それから課長さんは、ポケットからイヤホンを取り出した。端末につないで耳にして――課長さんの顔が綻ぶ。

「やるわね」とのことだけど、天野さんが敵から何か情報を抜き出しているのかも。

 興味を惹かれた私の視線に、課長さんもすぐ気づいた。画面から一度視線を外し、あらぬところへ視線を向けてから、私に問いかけてくる。


「あなたも聞いてみる?」


 そう言って手渡されたイヤホンの片割れを、私は耳に入れた。

 聞こえてきたのは予想外のもので、天野さんが敵を少し楽しそうに挑発している。時には嘲笑みたいな声を上げながら。

 普段は決して聞くことのない声に、頭の中がこんがらがる。普段は穏やかな先輩なんだけど……こういう側面もあったなんて。

 そんな私に苦笑いして、課長さんが言った。


「悪霊の連中というのは、肉体を攻めてもあまり意味がなくてね。だから、まずは精神を攻めて疲弊させるの。口先一つで弱ってくれたり、隙を晒してくれたりすれば御の字でしょう?」


 という話だけど……


「私も、ああいう風になった方がいいんでしょうか」


 気になったことをストレートにぶつけてみると、課長さんは目を見開いた後……どことなく神妙な顔になった。


「単に挑発すると言っても、実は難しくてね。戦いの中で相手の出自を解き明かしつつ、そのアイデンティティーを攻撃しなければならない。どんな敵を前にしても、自分の平静を保ったまま、思考を巡らせて」


 確かに、今も耳に聞こえてくる天野さんの声は、誰にでも口にできそうな罵声とかじゃない。何かこう……特定の背景を持つ相手にしか刺さらないような言葉だった。


「だから、誰にでもできる技じゃないの。相応の知識や精神力が必要になる……彼固有の特技と言ってもいいわね」


「……こういう舌戦でも、Xactエグザクトの方々の貢献が活きているんでしょうか」


 私が指摘すると、課長さんは少し驚きを示した後、私の肩を優しく叩いてくださった。


「彼が目をつけるだけの事はあるわ」


 天野さんの事をそっちのけに、どこか嬉しそうに言葉をかけてくださる課長さん。私は内心、だいぶ複雑ではあったけど……

 これも信頼なのかな、と思う。


 スタジオ内を揺らす爆発は止むことがないけど、天野さんからの口撃も止まらない。応じる敵の口調には、追い詰められるばかりの響きがあって――

 これが、悪霊に勝つということなんだと、私は思った。

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