第12話 縄張り

 石川五右衛門の霊にとって、世に語られる義賊としての需要はアイデンティティーの枷となる。あまり荒っぽいことはできないわけだ。

 そのおかげで、危険な現場にはなりにくい。平坂さんにとっては安心できる材料のようで、彼女は本件に関しての同行を決めた。


「一緒に連れていただいた方が、勉強になりそうですし」


 正直な話、特霊絡みの事件であれば、石川五右衛門はむしろかなり安全な部類に入る。平坂さんへの教育目的を考えると、同意をもらえたのは幸いだった。

 遅くなる可能性についても、彼女は「大丈夫です」とのことだ。


 そうして僕らの車は、協力要請してきた所轄の警察署に着いた。駐車場に車を止め……少し考え込む。

 特霊案件について説明・教育するにあたり、石川五右衛門は格好の相手ではある。

 とはいえ、いくら見習いだからと言って、管轄外の署内まで連れていくわけにも。まだ、僕ら絡みの仕事だと決まったわけでもないのも、悩ましいところだった。

 そこで僕は、相賀さんに声をかけた。


「二人で待ってて」


「了解」


 察しがいい彼女は、平坂さんに見えないように苦笑いを向けてきた。


――実際、平坂さんを連れていかなくて正解だった。


 案内されたのは、少し小さめの会議室。長方形のテーブルの前にホワイトボードという、何の変哲もない部屋だ。

 そこで待っていたのは、30代前半らしき警部補と、50代ほどのいかにもなベテラン警部。いかめしい顔の彼は、矢島と名乗った。本件の捜査を主導する立場だという。

 若い方が今回僕らに声をかけてくれた方で、対応に気になるところはない。丁寧で、腰が低く感じられるくらいだ。

 一方、矢島警部の方は……露骨に嫌ってくるほどではないけど、胡散臭いものを見る目をこちらに向けている。

 一応、挨拶や握手には応じてくれたのだけど。


 席に着くと、まずは警部補さんから状況説明。事前にデータでもらった資料を、簡単におさらいする感じだ。

 一通りの説明が済み、僕は警部をちらりと見た後、言葉には気を付けながら尋ねた。


「本件に関し、我々にお声がけいただいた理由をお伺いしても?」


「はい。明確な証拠と言うほどのものはなく、多少気がかりな程度のものですが」


 そう言って警部補さんは、いくつか情報を提示していった。

 まず、被害に遭った会社の、本社ビルでの事。きっかけと思われる取締役社長のSNS炎上騒ぎから、ハッキング被害が生じるまでの間に、社内で霊障のようなものがあったかもしれないというのだ。

 例として、残業中に何やら白いものが見えたり、変な音が聞こえたり、急に気分が悪くなったり……などなど。


 この情報を、警部は「気にし過ぎじゃないのか」と切り捨てた。

 実際、そういった見方はある。小さく手を挙げて断りを入れてから、僕は所見を述べた。


「社員の方が気にし過ぎている部分は、少なからずあるでしょう。炎上騒ぎで世間の恨みを買っているところ、ナーバスな気分になるのは普通ですし……一度噂が広まれば、そういう印象が補強されるものです」


「ほう」


 単なる気の迷いと認める言説に、警部は若干の理解を示してきた。

 ただ……話はこれで終わりではなくて、それが続きをためらわせる。


「あくまで一般論から申し上げますが、そういった空気感というものが、本当の霊障につながることは往々にしてあります。本件で実際にそうなったのかは、なんとも申し上げかねますが」


「まさか、搜査させろというのでは?」


 これは少し、職業倫理的に難しい問題だ。他の管轄が手を付けている案件に首を突っ込めば、指揮統制が損なわれかねない。きちんとした許可を得なくては、越権行為になる。

 では、そういう許可が出そうな感じかというと、多分違う。

 一方、そういう話があると知った上で、知らんぷりというのも……板挟みにあった僕は、警部補さんに尋ねた。


「社内で霊障の噂というのは、収まりましたか?」


「はい。ハッキングを受けたことで、それどころではないという空気になったようで……自然と下火になったとか」


「なるほど」


「やはり無関係だったんじゃないか?」


 依然としていぶかしむ警部だけど……ハッキングに先立ち、霊が社内で何かしていたという可能性はある。


 霊障の疑い以外にも、この件が僕らの仕事ではないかという理由があるそうだけど……

 それを打ち明けるのに、警部補さんは相当の逡巡しゅんじゅんを見せた。


「侵入を受けたサーバー内に残されたテキストデータに、今回の犯行声明が記されていたのですが……その署名が」


 ここまで言うと、警部の顔が目に見えて渋くなった。

 実際、その気持ちもわかるものだった。


「署名には、モンキーパンチと」


「バカバカしい」


 警部は苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。

 ここまでの車内でルバンやらなんやらと言っていた矢先に、これだ。僕は思わず顔をひきつらせた。


 被害を受けたサーバー以外にも、表向きに流れた犯行声明はある。そちらでは石川五右衛門と名乗っていた。

 これを模倣犯・愉快犯によるものと片付けることはできる。何かしら明確な手掛かりがなければ、その方が賢明でさえあるだろう。

 ただ、本社ビルでの霊障――それも、ハッキングの前に社内で噂されていたものが、警部補さんの心に引っかかっているようだ。

「万一ということもありますし……ここは」と彼が上司に声をかけると、警部は大きなため息の後、渋々といった様子で口を開いた。


「実を言うと、すでに容疑者は上がっている」


 霊的事象が関わるかどうかはともかくとして、ハッキングが起きたという事実は変わらない。

 その線ですでに、捜査は大詰めに来ているという話だ。これから被疑者宅まで押しかけ、任意聴取――応じなければ家宅捜索を行おうという段階にある。

 そのための準備等は万端とのことだ。ただ……


「まあ……万が一、ということはある。そちらの手を煩わせるような事態にならなければと、願ってやまない限りだがね」


 つまり……「まぁ、シャクだが仕方ない」というところだろう。

 仕方なしに頼まれることについて、思うところがないわけじゃない。

 しかし、ここまで来ておいて断る理由もなく、僕は応援要請を正式に受諾した。

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