第21話 尊厳の敷居

 一通りの話が終わり、連絡事項もないということで、この場はお開きに。

 四人で立ち上がると、「今日はありがとうございました」と、平坂さんがペコリ。


「うーん……葬祭課じゃなくて、ウチで働きませんか?」


「インターン生を引き抜いてんじゃないよ」


 単なる世辞ではなさそうで、実際に気に入ったらしいジャック。

 とはいえ、そこまで本気って感じでもないけど、平坂さんがその気になったなら、推薦してくれそうではある。

 実際、強度の霊感体質があるのなら、何かしら関連組織に身をおくのが安全だ。時にヤバい実務を伴う葬祭課よりは、こっちの方が安牌だろう。

 彼女の未来を思うと、悪くはない。


 そんな事を思っていると、ジャックが声をかけてきた。


「いつものお願いになりますが、現場からもデータ提供を。特に初見っぽい霊は」


「もちろん」


 世に知られる故人が、新たな霊として存在を確認されるケースが、極稀にある。そういった新発見については、最優先で連絡することになっている。


「ヒラサカさんも、特霊っぽいのを見つけたら、後でウチのデータベースにかけてみてください」


「わかりました」



 帰りの車内で、平坂さんはさっそく、Xactエグザクトのサイトにアクセスした。

 民間からの情報収集をやっているということもあって、かなり簡単なデータであれば、一般人でも簡単に閲覧することができる。

 そうした公開データというのは、本当に簡素なものだ。故人の名前と、性別、出身地。そして――没年。

 没年の項目は、ソート機能もある。


 実は、どこ・・よりも、いつ・・の方が大事な業界だったりする。


 そんな話を口にすると、スマホから顔を上げた平坂さんが、興味津々の目を向けてきた。


「どうしてですか?」


「実は、没後ある程度しないと、特霊として出て来ない傾向にあるんだ。そういう、現世に出現する没年のラインが変動すると、この業界が一気に騒がしくなる懸念があってね」


 たとえば、紀元前の死者しか霊化しない世の中だったなら、僕ら葬祭課みたいな仕事は存在しなかったかもしれない。

 しかし、現実にはそうなっていない。紀元前どころか近代の故人まで、時には名前と自我を保ったまま現れる。

 そして、現行の顕現境界線は――


「近代と現代の境目が、一つの基準と言われている。近代・現代ってのが、そもそも色々と定義があるけど。おおむね1900年から1950年の間あたりに境界線があるんじゃないかというのが、業界の認識で」


「何か、理由があるんでしょうか?」


「考えられるものが、いくつかね」


 故人が特霊と化すにあたり、大きな要因はいくつかある。

 かいつまんで言うと、故人をかたる奴が増えたり、世の中で好き勝手に”評価”されたり”題材”にされたり……

 つまるところ、遠慮なく扱われるようになると、特霊として出やすくなる傾向がある。


 逆に、そういう遠慮が働きやすくなる要因もある。

 まず大きなものが、そもそも存命中の関係者がどれだけいるかというもの。

 さすがに、亡くなったばかりの故人の生まれ変わりを騙るバカはいない。あまりに失礼で無神経だし、信じてもらえないからだ。

 もちろん、亡くなれば話題に上がりやすくはなるのだけど……そういう弔意や話題性は一過性でしかない。遠慮なしに定常的に騒がれるのとはわけがちがう。

 そして、親族や関係者の存在もあって、故人相手に好き勝手言及するのははばかられるものだ。


 では、色々と遠慮されなくなるまでに、どれだけの冷却期間が必要かというと……大体の目安として死後50年から1世紀というのが、業界で言われている基準だ。

 つまり、人間の平均寿命近く。これだけ経てば、直接的な関係者がだいぶ減るだろうというわけだ。


 他に、故人への遠慮に関わるものとして、権利意識の変化がある。

 代表的なものは、アメリカでの公民権運動で、これはWWⅡ第二次世界大戦後の50年代から始まっている。

 これとは別に、プライバシーの権利という概念が生まれたとされるのは、19世紀初頭あたり。

 この頃を生きていたり、後に生まれた世代というのは、こうした権利に保護されるものと互いに暗黙の了解があるのではないかと思われる。

 少なくとも、建前上は。


 で、それ以前の人物に対しては――こうした諸権利が、現代人同様に適用されるべきものと“思われていない”のではないか、という説がある。

 つまり、故人の諸権利について考える時、現代人は無意識の内に軽んじ、ぞんざいに扱っている傾向があるのでないか。

 少なくとも、同じ現代人を相手にするときよりは。

 偉人の生まれ変わりを騙る連中も、根底にはそうした無意識な失礼さ、あるいは差別意識的なものがあるものと思われる。


 こうした権利意識には肖像権も含まれ――大きな要因がもう一つ。

 写真・映写機の発明だ。

 大昔の人間は肖像画でしか、その姿が残っていない。写実性を重視したとはいえ、忠実度は写真に落ちる。

 しかし、写真や映写機が実際の姿を留めるようになったことで、後世の人間は、故人が生きていたその時を共有できるようになった。

 それで……顔がよくわからない相手よりは、写真として残っている人物のほうが、遠慮が働きやすくなるのではないか、と思う。

 相手の実在性が確かな方が、好き勝手言いづらくなるというか。


「そういうわけで、特霊が顕現する上で、現代人の遠慮が薄れていくことが契機となる傾向にあり……存命の関係者、権利意識の変化、写真技術の確立が、遠慮の根底にあると考えられているんだ」


「なるほど~」


「ま、そういうを冒すヤツもいますけど~」


 ただ、そういう奴は少数派だ。そう大きな影響を与えはしない。

 生没年とはまた別に、故人への遠慮が働く要因がある。


「簡単な話だけど、話題にしづらい人物は遠慮が働きやすい。世間の目ってものがあるからね。多くは語らないけど……第二次世界大戦を考えれば、すぐわかると思う」


「はい……」


「後は宗教系だね。特に紀元前頃の預言者あたりに失礼しようものなら、まずは正統派の信徒が相手になるから」


 そうして、色々な意味で恐れ多い人物がいる一方で、そうでない人物というのもいる。

「わかりやすいのが三英傑だけど」と話を切り出すと、平坂さんはすぐに応じた。


「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ですよね」


「うん。このお三方は、現代人の偉人に対するスタンスの違いが、結構わかりやすい一例になるんだ」


 と言っても、平坂さんはピンと来ない様子だったけど……

「ゲームとかマンガとかで、どれだけネタにされるかって話ですよ」と、相賀さんが口にした。


「一つのキャラクターとしては、織田信長公が一番……ネタにされやすいですね」


 信長公を題材にした創作は、おそらく太閤よりも征夷大将軍よりも多い。

 この三傑の中で、唯一天下人ではなかったのに、だ。

 そして、信長公を扱った創作の中には……


「ホトトギスばりに殺されかねないのも、結構ありますよね」と、相賀さんは淡々とした口調で言った。


「まぁ、割りと失礼というか……好きに使われてるところはあるね」


「何か、原因があるんでしょうか?」


「みんながそういう風に扱っているからじゃないかな」


 身も蓋もないことを口にしたけど、これが本質だと思う。

 信長公が三英傑でも大きく取り上げられやすい理由は、いくつか考えられる。

 だけど、こうまで広く信長公が題材にされ……もはやフリー素材みたいに扱われるのは、大勢がそうしているからという理由も、きっとかなり大きいだろう。

 近現代の故人相手では、決してあり得ないことだ。


 戦国という時代が、日本史の中でも人気があるのが一因だろうけど……  その人気も、近現代の故人に比べ、戦国大名には遠慮を感じにくいというのが根底にあると思う。

 で、過去の偉人を扱った創作物も、実はXactの調査対象だったりする。


「売上・発行部数なんかは、世間で受け入れられているかどうかを示す、わかりやすい指標でね。どういう作品・作風との組み合わせが人気になっているかっていうのも、故人に対する評価の一要素として認められるし」


「なるほど~」


 と、業界についての話に興味を示してくる平坂さん。

 しかし……色々な意味で、割りとロクでもないところがある業界だし、あまりどっぷりになられても……

 口にはしがたい悩みを胸に、僕は車窓の外をぼんやり眺め見た。

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