第3話 死人のふんどし
6月某日、午前1時頃。都内某所にて。
港湾近くの倉庫街は、計画されていた再開発が立ち行かなくなり、放棄されて久しい。骨組みと完成の中間でしかない廃ビルが、遺棄された資材に囲まれている。
しかしここは、出来損なったからこそ、一種のメッカでもあった。
今夜も、そうした連中がたむろしており――
連中にとっては最後の夜となる。
電気など通らない廃ビルの中は、月明かりがささやかに差し込む程度の明るさだ。
正面の暗がりからは、憲兵らしき軍服を模したコスプレ男の突きが迫ってくる。
手にした獲物は木刀だが、突きの鋭さは人を容易に殺傷せしめるほどに思われる。
加えて、建造途中のキャットウォークの方でも、何者かが息を潜めている気配がある。機を見て飛びかかってくるだろう。常人であれば骨折し、戦うどころではないだろうけど……
こいつらはもう、常人ではない。
静かな殺気が肌を刺す中、まずは木刀の平突きへの対処だ。
僕は左足に重心を乗せ、わずかに身をそらして回避した。切っ先がかすめた右の頬に鋭い痛みが走るも、構ってはいられない。
突きを放った男のすれ違いざま、僕はその後頭部を左手で
カウンターが見事に入り、男がガクンと力を失った。一撃で
突きの勢いは掴んだ首根っこでどうにか引き止め、その身を自分の方に引き寄せる。
すかさず回転、コイツを盾に向き直ると――上からの新手が飛び降りてくるところだった。
その襲撃者は、一瞬たじろいだ。わずかな気の迷いが太刀筋を鈍らせ、目測を誤った一刀が、打ちっぱなしのコンクリートに叩きつけられる。盛大な音を立てて木刀が砕け、先端が宙を舞う。
着地の衝撃は、奴の下肢を襲った。それだけで負傷する程ではないにしても、とっさの動きをできずにいる。
そいつめがけ、僕は宙を舞う木刀の切れ端を掴み、手を一気に振り抜いた。切っ先が飛んで敵の眉間へ。
狙い通りとはいえ、自分でやっておきながら思わず顔をしかめそうになる一撃に、そいつは前のめりに突っ伏した。
宿主が倒れるや、またも悪しき気配が、その体から這い出していく。
最初の二人を片付け、僕は無意識に頬を拭った。ぬるりとしたものが手に付き……まだ手にしたままの盾代わりの男に、手の汚れを擦り付けていく。
そうして静かになったのは、実際にはごくわずかな間のこと。使われないままの建材に紛れ、何人かの気配がこちらへ近づいてくる。
おそらく、同士討ちを嫌っている。あるいは……単にプライドか。囲んで叩くのは気が進まないのだろう。
連中は、あくまで
やがて、次の敵が現れた。うっすらと月光を浴びる中、木刀を正眼に構えてにじり寄ってくる。
これ見よがしな新手とは別に、こちらの後背へ迫ろうという気配も。とりあえず、僕は盾を目の前の敵に向けて構えた。
しかし……上から落ちてきた奴とは、心構えが違う。あるいは、彼の失態を気にしているのか。次の敵は激昂した。
「我々の覚悟を舐めるなよ! 死してなお護国の鬼とならん!」
などと叫び、仲間もろとも血祭りにあげようとしている。威勢のいいことだ。
言葉通り、そいつは盾にされている男同様に、木刀で突きを繰り出そうとしている。背後からも同等の殺気だ。
迫りくる挟撃に、まずはサイドステップ。これに対し、男たちは円を描いて回り込んでくる。
そこで僕は、前の敵にお仲間を投げ渡してやった。虚を突かれた一瞬の間に、後ろへ回りこんだ敵へ距離を詰めていく。
敵の反応は中々早い。怪鳥のような声で気勢を上げ、上段に構えた木刀を振り下ろした。
その懐に入り込み、みぞおちに肘打ち。振り下ろされる一撃よりこちらの踏み込みが速く、男は意識とともに獲物を喪失した。
敵の手を離れた木刀を掴み、その場でくるりと向き直って投擲。
放たれた木刀を、残る敵はお仲間を盾代わりにして
そんなことは奴も承知の上だろう。素早く盾を手放すも、男は僕を見失ったようだった。一瞬の隙を突いて飛び上がった僕を。
盾を失ったそいつの胸元目掛けて飛び蹴り。倒れ込んだ先の地面が力の逃げ場を与えず、蹴りの威力がヤツに突き刺さる。
結果、四人目も沈黙した。しかし……屋内の暗がりに紛れて、まだ何人も上に潜んでいる。
倒した連中からは、黒い邪気が流れ出ている。後続が来ない内に護符を放ち、まずは悪霊を蹴散らしておく。
そうして手早く掃除を済ませた僕は、倒した連中の木刀を拾い上げた。闇に潜む残りの敵たちに顔を向け、軽く手招いてやる。
「最近の座敷犬は凄まじいね。三食程度じゃ飽き足らず、偉人の遺骨までしゃぶるなんて」
すると、挑発に空気の変化があった。どうやらその気になったらしい。潜めた殺気が、静かに高まりを見せていく。
逃げる気がないのは結構なことだった。本当に逃したくないのは、こちらの方なのだから。
☆
廃ビルに潜む連中を片付けたのは、戦闘が始まって20分程度の事だった。
所轄の待機人員に一報告げ、引き継いで現場を離れていく。とりあえず、憑かれていた連中は鎮圧し、憑いていた奴は
一戦終えると、それまで息を潜めていたパトカーたちが、息を吹き返して赤い火を灯す。
そんな車列の中の一台、ごく普通の白いセダンの助手席に、僕は身を滑らせた。
「お疲れ様で~す」と声をかけてくる若い女性は、僕の同僚であり相方だ。名前は
彼女自身、かなりの戦闘力はあるけど、活躍の場は主に情報面でのサポートだ。
僕ら二人を戦わせる現場なんて、まずないというのが主な理由で。
「それで、どうでした?」と、彼女はさほど興味なさそうに尋ねてきた。わかっているんだろう。
「
「
「さすがに失礼すぎるなァ」
今回のターゲットは、憂国新風戦線と名乗る、新興の排外主義思想サークルだ。構成員は主に大学生。
リーダー格は、土方歳三の生まれ変わりを名乗っていた。今の御時世じゃ、ままあることだけど……ご多分に漏れず、ただの
実際には、連中に憑いていたのは雑霊――自我を失って寄り集まった、名もなき亡霊の集合体――だった。雑霊の中でも悪しき気を放つタイプだったけど、アレらに取り憑かれて、ああなったというよりは……
「お定まりのパターンですけど、元から
「そんなところだと思う」
集団としての背後関係は、これから聴取含めて精査するところだけど、現状の想定を出るものではないだろう。
――極端な思想に凝り固まっていた大学生に、何かしら共鳴するものがあった雑霊が憑依。
頭目が土方歳三の名を名乗ったのは、雑霊が入って身体が強まったことで、気が大きくなったか。あるいは、同調者を集める考えがあったか――
一旗揚げることで、
なんであれ、腹立たしい限りだ。
「五稜郭にでも行ったんですかね」
「親の金で?」
冷ややかに言う相賀さんに、僕もまた皮肉を込めて返した。やや疲れた感じの、乾いた笑いしか出ない。
僕は窓の外に目を向けた。故人を騙っていた連中が、気を失ったまま拘束され、パトカーへ積み込まれるところだ。
これで少しはおとなしくなるだろう。実害を受けたのは僕だけだし、雑霊の煽動もあったとして情状酌量の余地ありとみなせば、そのうち普段の生活に戻れるはず。
そうやって、
後の流れを思いつつ、ぼんやりと窓の外を眺めていると、相賀さんが「そういえば」と声をかけてきた。
「お怪我は?」
「遅いよ」
まるで心配していなかった感じしかしない。ある意味では信頼の証と言えるかもしれないけど……少しぐらい気を遣ってくれてもと、思わなくもない。
バックミラーをチラ見すると、彼女は舌を小さく出していた。それから言葉もなく、彼女は車を走らせ始めた。遺棄された再開発地域の、やけに整った物寂しい道を、徐行でそろそろと。
これから帰って少し休憩して、また書類仕事だ。
ややうんざりしながらため息をつく僕に、相賀さんがまたしても「そういえば」と口を開く。
「この間の文学少女、どうなりました?」
「適正ありそうって話は聞いたよ。まだ観察は必要だろうけどね」
霊が取り憑くにあたっては、相互の相性の問題もあるけど、生身側の適応力も問われる。
いわゆる霊感体質というものだ。
体質次第では、悪い霊に影響されたり、乗っ取られたりということも。
あの時の彼女はというと、その霊感が中々高いという報告を受けている。大先生のお眼鏡に適う子だったわけだ。
いや、別のことを見込まれたようだったけども。
ともあれ、慢性的に人手不足にある葬祭課にとっては、民間協力者が増える好機かもしれない。
「猫の手も借りたいですしね~」
「まったくだよ」
それから少しして、僕らは揃ってため息をついた。
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