第4話 こちら側の娘
6月7日、昼。
午前中に小学校のトイレでお
その場所というのは、駅前から少し路地に入ったところにある、雑居ビル2階のオフィス。
霊障という単語が世に浸透して以来、世間にすっかり馴染んだ感がある、そっち系の相談窓口をやっている事務所だ。
この事務所は旧知の霊能力者が経営していて、実際に除霊を手掛けることもままある。
ただ、今日の用事は、そういった仕事ではない。
事務所のドアをノックすると、馴染みの女性が扉を開けた。この八重田さんは20代ちょっとの子で、こっち側の能力はない一般人だ。ここの所長の親戚ということで、バイト感覚で雇われている。
彼女の案内で、事務所の応接スペースへ。
こういった霊能業が胡散臭いとされてきたのは遠い過去のようで、事務所内は明るく清潔そのもの。窓からは陽光が差し込み、物々しい雰囲気はどこにもない。
実のところ、業界全体で印象を変えようという努力があった。単に風水を考慮したという面もあるけど。
そんな清潔で决適な事務所の奥に、今日の相談相手がちょこんと座っているのが見えた。
年はおそらく20前後。黒髪のショートで、キリッとした目はナマイキさや我の強さよりも、ハツラツとした活力を感じさせる。
それと、小麦色に日焼けしていて、全体的にスポーティーな印象だ。
彼女の前に座っているのは、同業者ともいえるこちらの所長。豊かな白髪の好々爺で、話し出すと止まらない樫田さんだ。
話の腰を折るのもなァ、と思いつつ、僕は彼に声をかけた。
「
「おお、天野さん。お疲れ様です」
彼は僕の本業を知っており、決して若造相手はしてこない。物腰丁寧な彼とバトンタッチし、僕はソファーに腰かけた。
対面に座る今回の相談相手は、樫田さんの時よりも緊張したように見える。全身をわずかに、キュッと縮めるような。
まずは自己紹介をと、僕は名刺入れを取り出し、彼女に一枚差し出した。
「天野
「私は平坂友恵です」
活発そうな見た目通り、ハキハキと答えた彼女は、手渡された名刺をしげしげと見つめた。
「“あまの“ではなく、”あめの“さんなんですね」
「ええ。良く間違われますよ。どちらで呼ばれても、とりあえず反応しますけどね」
「……何て言うか、
この、天野春秋という名前について、同僚――というより、他部署で同期の連中――からは、良く芸名っぽいとかペンネームっぽいと言われる。まぁ、正直に言って否定はしづらいのだけども。
そんな名前を若い子に褒められたのだから、悪い気はしない。顔を綻ばせた僕に、平坂さんも微笑んだ。
その後、ハッとした顔になった彼女は、「私も名刺があるんですよ」と思い出したように取り出してきた。
受け取った名刺によると、いいところの大学に通っているらしい。偏差値60ぐらいの私大だったっけか。
それで、社会学部社会心理学科所属で――
新聞部所属、とも。名刺は、部活動で作ったんだろうか。
「何かスポーツをやっているように見えるけど?」
「はい。高校までは陸上をやってて、今でも友人と一緒に走ってます」
「へえ~」
なんだか就職面接じみてきた。
実際、良いところに入れそうな子だ。受け答えはしっかりしているし、見たままの印象と名刺通りなら、文武両道のように思われる。サークル活動の方も、精力的に取り組んでいそうだ。
そんな彼女が、この事務所に相談にやってきたという。
曰く、何か見えたり聞こえたりと、自分に霊感があるかもと悩んでいるということで。
そういった悩みは前々からあったものの、聞きづらいところもあった。そこで、大学進学で一人暮らしを始めたのを機に、思い切って相談に来た……と。
それだけ聞いて、僕は腕を組んで軽く目をつむった。
経験上、若い子っていうのは、いわゆるオカルト的な空気に、染まりやすく流されやすく影響されやすい。何かきっかけがあると、高い感受性も手伝って、すっかりその気になってしまうわけだ。
それが呼び水になって、本当に“本物”になることもある。
ただ、彼女を見たところ、悪いモノが憑いている感じはない。
概してスポーツを
「健全な精神は云々」というと前時代的かもしれないけど、実際に適度な運動が気分の向上に役立つという話は良く聞くところ。これは、悪霊に付け入る隙を与えにくくする要因だ。
加えてもう一つ、スポーツをやる者が憑かれにくい大きな理由がある。
もっと正確に言うと――日焼けしている者は悪霊が避けて通りやすい。日頃、日に当たる生活を送っているからだ。
そういう観点で見れば、彼女に悪霊が寄り付くのは、まずないように思われる。それでも見えたり聞こえたりというのは……
「平坂さん」と声をかけると、話の流れが変わる潮目を感じたのか、彼女は「は、はいっ」と身を少し
「何か変なものが見えたり聞こえたりという話だけど……案外、気のせいだったというオチも多くてね。最近悩んでいることとかも、実は影響しているかもしれないし。そのセンで、何か心当たりとかは?」
すると、彼女は黙りこくった。僕の発言に「信じてもらえていない」と不安を覚えた感じはなく、宙の一点を見つめて考え込んでいる様子だ。
彼女ぐらいの年頃だと、気のせい気にし過ぎということは、本当によくある。僕ら葬祭課が駆り出される相談窓口でも、良くあることだ。
とはいえ、そういう相談事から何かしらの事件や、事が起きる前の兆しにたどりつくこともままある。
相談がきっかけとなって、あまりに霊感の強い子を見つけた場合ともなると、葬祭課でマークするなり保護するなり、何らかの対応を行う必要も出てくる。
そのため、民間で受け付けた相談が葬祭課に回ることも多く、半ば業界の慣習化している。
今回、彼女の相談が、この樫田事務所から葬祭課に委任されたのもそのためだ。
では、この平坂さんが実際にはどういう子かというと――
考え込む様子を見せた彼女は、やや
「あの~」
「何かな」
「変に思われるかもしれませんけど、今もその……見えちゃって」
これで一気に、事務所内の空気が張り詰めた。
一般的に、霊能系の相談事務所というのは、悪い霊が寄り付きにくいようになっている。日差しを目一杯に取り込む間取りのおかげもあって。
そんな中で、何か見えるというのは……神経質で不親切な経営者であれば、営業妨害と捉えてもおかしくはない。
しかし、ここの所長はそういう人物ではない。
僕は振り向き、ここの所員に視線を巡らせた。
人の良い笑みがすっかり消え、緊迫感のある面持ちの所長。
よくわからないなりに、空気感の変化を感じ取っている八重田さん。
――そして、もう一人。
声を出さず、口の動きと目線だけで
やがて、室内をくまなく探すふりをした後、僕は平坂さんに向き直った。
「それっぽいのは、特には見えないけども」
「いえ……なんて言いますか。今、部屋から出ていったみたいな……?」
自信なさげに言う彼女だけど、「信じてもらえていないかも」と思いつつ、こういう事を口にするのなら、こうもなるだろう。
どうやら、本物らしい。
この先の事をどうしたものかと悩む僕だったけど、とりあえずは真実を伝えるのが礼儀だろう。
再び後ろに振り向き、所長と目配せ。真剣な彼のうなずきを得て、僕は誰もいないはずの方向に「太田さん」と声をかけた。
近寄ってくるのは、平坂さんと同世代の女性――の幽霊。かなり時代を感じさせる和服姿だ。
彼女に傍らまで来てもらい、僕は改めて平坂さんに向き直った。
さすがにこの距離まで来ると、本当に見えてしまっていることが良くわかる。
固唾を呑む彼女に、「本当に見えるのか」などと問いかけるのは意味がない。今聞くべきは、どこまで見えるのか。
「いい人だから、まずは怖がらすに、落ち着いて」と声をかけ、僕は「どんな感じに見える?」と尋ねた。
僕の問いに、平坂さんはかなりディテールに入ったところまで告げていった。僕が見ているものと、ほとんど相違ない。
常人を遥かに超える霊視能力を感じさせる彼女は、目にしたものを告げていった最後に問いかけた。
「それで、そちらの太田さんは、どのような方なんですか?」
そこで僕は当の太田さんに顔を向け、うなずいた。
『この辺りに住んでました』
太田さんの声に腰を抜かした風の平坂さんだったけど、彼女の反応に僕も腰を抜かしそうだった。
まさか、本当にきちんと聴こえるとは。
葬祭課として野放しにできる存在でもなく、これからの事に僕は頭を悩ませるのだった。
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