第2話 大文豪先生
実を言うと、所属部署のネーミング――葬祭課――については、色々と言いたいことがある。
警察の仕事は人の生き死にに関わる物が多い。そんな中で、事が終わる前に葬祭を名乗る者が現れるというのは、あまりよろしくないのではないかと思う。
今回はなおさらだ。死のうとしている人を助けようとしているところに、こうしてやってきたのだから。
ただ、幸いにして、この現場の方々に不謹慎に思われている様子はない。
近年になって連日のようにネットやワイドショーを騒がす事件に、僕らの部署が大きく関わっているからだろう。
最初は機密扱いだったと思うのだけど、表舞台に出ざるを得ず、そればかりか市民権まで認められてしまっている辺り、僕にはまさに末の世といった印象があるけども。
一方で、一般の方々にも認知されているおかげで、仕事しやすくあるのは確か。
今回も、先に現場を守ってくださった皆さんは、葬祭の者が現れたことに驚きつつも、いくらか安心してくれたようだ。
「では、あの子に何が悪いものがとりついたんですか?」
若いリーマンの男性が、彼女には聞こえない声で問いかけてきた。
「守秘義務がありまして、申し訳ありません。ですが、我々が担当すべき案件の可能性が高いものと思われまず」
この説明で、どうにか納得してもらえたらしい。彼は食い下がることなく引っ込んでくれた。
実際には、悪いモノが取り憑いたというより、取り憑いて踏み留めていただけたというのが正しい。
肝心の、彼女
大きな不安と、おぼろげながらも安心や期待寄せられる中、僕は事の中心へ向かって歩んでいく。
「僕のことがわかりますか?」
反応あり。宙へ背を大きく仰け反らせながらも、彼女の顔ははっきりと、こちらを向いてうなずいた。
「手助けは?」
またも首肯。明確に意思疎通し、うなずきを返せるあたり、“支配率”は過半と思われる。
とはいえ、予断を許さない状況だ。挙動を見るに安定しているとは言い難い。いざとなったら、こちらから確保に動けないこともないけど……
まずはこの状況を好転させるべく、僕は仕事道具に手を伸ばした。
腰のベルトには、拳銃を収めるホルスター代わりに、ちょっとした文房具入れが刺さっている。
その中から、僕は一枚の呪符を取り出した。一枚一枚使うごとに、後で書類が必要になる奴だ。
彼女へ向けて手を一振りすると、手を離れた呪符が緩やかなカーブを描き、フェンスの天井を飛び越えて彼女の額へ。
これがある種のスイッチとなり、激しい腕の動きは収まった。ゆっくりと、フェンスに身を寄せるように動いていく。
衆人環視下でそれらしい事をして見せ、早速その成果が現れたことに、「おお」と背後で声がする。強まった安堵の感に、僕も表情を少し柔らかくした。
向こうはこれで完全に身体の掌握が済んだらしく、動きは落ち着いたものに。
さて、ここから担ぎ上げるのが、またしんどいのだろうけど……そこはビルの方々が協力してくださった。
実のところ、状況の正確なところはよく呑み込めていなさそうではあるけど、好転したものという認識は共通しているみたいだ。これが最後の一踏ん張り、という感じだと思う。
こうして協力し合い、階下から持ってきたらしい踏み台も用い……僕らはどうにか、彼女の体をこちら側へ引き上げることに成功した。大柄な男性中心に体を支え、ゆっくりとビルの屋上に。
事態の解決を見て、ビルの上と下で歓声が上がる。
――下にいた連中の中には、落ちてくるものと考えた上で、撮影していた奴もいただろうに。
そういった連中を思うとため息が出そうになるけど、それは置いといて、僕はビルの皆さんと一時の喜びを分かち合った。
ただ、葬祭課としての仕事はまだまだこれから。僕は皆さんに頼み、少し離れてもらうことにした。
僕と彼女――いや、彼か――の二人から皆さんが離れたところで、彼女の口が動き出す。
「君も大変だね、アメノ君」
まるで人ごとみたいに言う彼の言葉に、僕は心底疲れた顔で唇の端を上げた。
「ご協力、ありがとうございます。太宰先生」
互いに前もって名乗りはしなかったし、彼の姿が見えるわけでもない。
しかし、人違いするはずもない。
この女性の体に取り憑いているのは、言わずと知れた大文豪、あの太宰治の霊魂である。
この大先生は、今の世ではどういうわけか、死にたがりの人間の助命を趣味となさっている。
いや、人命救助を趣味と形容するのは、多方面に対して無礼千万ではあるのだけど……助ける相手に色々と注文があるあたりは、本当にご趣味としか言いようがない。
というのも、助けるのはおおむね女性で、大体若く、美形な傾向にあり――
「また文学少女ですか?」と尋ねると、彼はうなずいた。
「文学賞のノミネートまでは行ったらしい」
「それは……かなりすごいのでは?」
文芸方面に詳しくない僕からすると、本当に大したものじゃないかと思うけど、この大先生的にどうなのかはよくわからない。おそらく、見込みがあるから手助けした、というのはあるだろうけど……
本心は、もう少し違っていた。
「将来に期待できるというのもあるが……こうして
と、笑えないジョークを飛ばし、彼は借り物の顔で微笑んだ。
それなりに付き合いのある先生だけど、死生観はいまだによくわからないところがある。
とはいえ、逸脱しているのは僕自身も同じか。
事態が解決し、程なくすると、下からサイレンの音が近づいてきた。
この後は、まずこのままで所轄まで同行願い、署員立会いの下で正式に聴取だ。偉人の霊の介入があったとはいえ、
近づくサイレンに、先生はまだのんびり腰を落ち着けている。
「手を貸しましょうか」と聞くと、彼は「紳士的だね」と笑った。
「中身が女性なら、なお良かったんですがね」と返す皮肉を、彼は鼻で笑う。
結局、取り憑いたばかりでの負担を考慮し、僕は手を貸すことにした。彼女を立ち上がらせ……その時になって、目が彼女の靴に向いた。
揃えられた一足に差し込まれている、一通の封筒。見るまでもなく遺書である。
「先生」
「何かな」
「普通、遺書ってのは最期に書くものですよね」
「例外はあるが、おおむねそうだね」
何とも反応しづらい、含みのある言葉を返す先生に、僕は渋い笑みを浮かべながら続けた。
「物書きとしては最後の
この疑問に、彼は「ほう」と感嘆らしき声を上げ、僕の背を何度か軽くたたいた。
見た目は少し年下の女の子でしかないが、その時だけは人としての奥行きが増したように映る。
「中々に抒情的な見解だね。この子にとっては、自分の文章などその程度の域に堕したのだろう。もっとも、靴を文鎮代わりにしないだけ、まだマシなのだろうけどね」
「なるほど」
「それに、堕ちた鬱屈が描き出す文章というものもある。見限るにはまだ早い……他人の目から見ればね」
しんみりした口調で言う先生の言葉を耳に、僕は彼女の靴に歩を寄せ、
その傍ら、先生は借り物の体に靴を履かせようとしているところだった。
「靴べらはないかな?」
他人の体にスニーカーを履かせるだけでも、中々紳士的なお方だ。こういう心意気は好ましく思う。僕は腰の文房具入れに手を伸ばした。
「定規でも使いますか」
「君に悪い気もするね」
などと話していると、見守っていた皆さんの中から、一人の男性が近寄ってきた。手には携帯用の靴べらが握られている。
気味が悪いとは思われていないようだ。それ自体、ありがたくはあるのだけど……霊や憑依が世に馴染みすぎている現状に、思うところがないこともない。
それから、先生が靴を履かせるのを待ち、僕は彼女の手を引いて現場を後にした。
今日も一日、長くなりそうだ。
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