第8話 プール掃除
初仕事の日、僕らは前と同じように平坂さんの大学近く、例のコンビニへ彼女を拾いに向かった。
今日の仕事は中学のプール掃除。濡れてもいい服でと伝えたところ、彼女はそういう感じではない私服だけど、いかにもな部活カバンを引っ提げていた。
「高校の時のジャージを持ってきました」と、彼女がハツラツな笑顔で言う。
たぶん、“平坂”と名前が入った奴だ。似たようなジャージ姿の中学生に混ざれば、そう気にすることもないのかもしれない。
彼女が乗り込み、車が動き出す。降水確率は20%程度。おそらく降らないだろうけど、雲が覆いかぶさる空は薄暗い。じっとりとしてやや蒸し暑く……
「なんか、出そうな日ですね」と、少し心配そうに言う平坂さん。霊感体質から、彼女自身もそういう経験則を持っているのだろう。
「実際、そういうつもりで日取りを選んでね」
「中学生向けの教育の場も兼ねてるんですよ」
「へえ~!」
事の発端は5月下旬。これから向かう中学校で、真夜中に幽霊を見たという報告があった。なんでも、中学のプールで白い人影がいくつもあった、と。
同様の目撃証言が相次ぎ、近所は騒然となった。怖がったのは主に親御さんたちだったけど、これは無理もない。
幽霊が出るプールなんぞで我が子を泳がせでもしたら、“向こう側に連れてかれる“かもしれないからだ。
「実際、
「それで、プール開きをやる前に、お
「ふむふむ」
うなずく平坂さん。お祓いまでの経緯については腑に落ちたようで、教育ってのも納得していると思う。
ただ、”きちんとした弔い”となると、まだよくわかっていないかもしれない。
実のところ、平坂さん向けのOJTとして、今のこの世や僕らの仕事を分かってもらうためにも、ちょうどいい案件だった。
とりあえず、危険な仕事ではないという認識のようで、リラックスした感はある。現場につけば中学生相手に、お姉さんとして接してくれるだろう。
なんて思っていると、彼女が「それにしても」と話を切り出してきた。
「もっと激しい仕事ばかり担当されてるものと思ったんですけど、こういう地道というか……穏やかな仕事もあるんですね」
結構気を遣ってくれたのか、言葉を選んだように思える「穏やか」という表現に、僕ら二人は表情を柔らかくした。
「大半はこういう、地道で地味な仕事だよ。割れ窓理論って知ってるかな?」
問いかけると、彼女は「知ってます!」と元気に答えた。
そういえば、社外心理学科に在籍だったっけ。そういう講義で取り上げることもあるんだろう。
実際、期待した通りの答えを彼女は返してくれた。
「窓ガラス一枚が割れてる程度では大したことじゃないけど、町中でそういう感じのすさんだ光景が広がると、みんなのモラルが下がって深刻な犯罪が起きやすい雰囲気になりかねない。だから、細かなところから良くしていこう……っていう政策ですよね」
「そうそう」
元は結構昔のNY市長が提言して、市警とともに始めた活動だ。
実のところ、かの市長の論説に疑問符が投げかけられることはある。事はそう単純でもないと。
それでも、街の官憲がよい環境づくりに貢献するというのは良いことだと思うし――
霊能業界ではバカにならない理論だ。
「霊障が起きやすい現場では、いずれ大きな事件が起きかねない。悪い霊ってのは、人々の恐れを食って増長するものだし……“出る”場所だと思うことそれ自体が、実際に呼び寄せる呼び水になるということもある」
「だから、事が大きくなる前に、細かな事件を片付けていくんですね」
「そうそう」
僕ら実戦要員までこういう仕事をしていることに、平坂さんは合点がいったようだ。
ただ、納得の様子の後、彼女は顎に手を当てて何事か考え始めた。
「こういう仕事まで担当されてるとなると、大変じゃないですか?」
「そうだね」
「待機中の案件なんて、いくらでもありますしね~」
その後、相賀さんは「ちゃんと片付けてますよ」と付け足した。これに含み笑いを漏らす平坂さん。
「実際、人手不足って面はあるね。どの都道府県にも、大抵の警察署には霊能課が置かれているものだけど……」
「ぶっちゃけ、この東京都が一番、人手不足ですよね」
「へえ~」
内部事情に、平坂さんが身を乗り出してくる。
実際には、人手に対して事件がたくさん起きるという意味での人手不足だ。要員の絶対数が少ないというわけじゃない。
「東京は、事件が良く起きると」
「土地柄もあってね」
霊障などの霊的事象が起きやすいのは土地柄というのは、主に二つの要因がある。
まず、たくさん人がいること。そして、金の動きがいいこと。
これらに付随して、悪いモノもはびこりやすくなる。
端的に言えば、歌舞伎町とかは――普通の警察だけではなく霊能業的にも、ちょっとアレなわけだ。
☆
現場のプールに着くと、すでに大勢が勢ぞろいだった。
学校側の責任者はお二人。体育担当という、いかにもごつい体つきの30代男性と、もう少し若めなメガネ姿の養護教諭。
お二方ともに、僕らに対して怪しいものを見るような目は向けてこない。
生徒たちにとっても良い先生らしく、霊障騒ぎがあった現場ながら、場は和やかだ。
ソワソワしている感じの生徒が多いのは、まぁ仕方ない。無関心でツーンとされるより、ちょっとはしゃいでくれた方が、こちらとしてもやりがいはある。
そんな生徒のみんなは、総勢で40名程度。主に水泳部から人手を割いてもらっていて、他には生徒会メンバー。それと、保健係や各クラスからの希望者等々という話だ。
お祓いも兼ねてのプール掃除ということだけど、デッキブラシが足りないくらいの集まりようだ。入れ替わりで作業すると考えれば、ちょうどいいのかもしれない。
デッキブラシ以外にも
荷物をプールサイドに置き、僕ら葬祭課がみんなの前に並ぶと、落ち着かない感じはそのままだけど静かになってくれた。
まずは軽く自己紹介。平坂さんについては、ちょっとした職場見学のようなもので同行していると伝えた。中学生のみんなにとっては、教育実習生みたいなものだろう。
話は作業しながらでも……ということで、軽い自己紹介の後はさっそくプール掃除を始めることに。
水を抜いてあるプールには、なんというかこう、不快感のある汚れがこびりついている。これを親の敵のごとくにデッキブラシで擦り落としていく。
ただ、今回はお祓いも同時進行ということで、さっそく僕らの備品の出番だ。腰を悪くしそうな重量物に手を伸ばす。
すると、マッチョな先生が手助けをくれた。
「どうもすみません」
「いやいや、こういう時に筋肉を使わないと」
と、彼が白い歯を光らせて笑う。
そうして僕らは、重ったい麻袋をプールの真ん中へ運んだ。興味津々な視線が注がれる中、縄で縛られた口を解いていく。
中に入っているのは、白い粉だ。
「押収品?」
スレスレのジョークを飛ばす男子中学生に、僕は引きつった笑いを返した。ドラマやマンガで覚えたんだろうか。
相賀さんには結構ウケたようで、含み笑いを噛み殺している。
「これは、別にやましいもんでもなんでもなくて……むしろありがたい、お清めの塩だよ」
そう言って僕は、袋の中に突っ込んでおいた柄杓を取り出した。塩を適当にすくい取り、ヌメリけのある汚れにふりかけていく。
「この上から擦り落としていくように」と言うと、みんなはやや不揃いだけど、元気に「はい」と返してくれた。
「塩でこすり洗いかぁ。オクラみたい」
「ヌメってるし?」
「ちょっとやめてよ~、食べれなくなるじゃん」
と、和気あいあいとした会話の中、作業が進む。
この塩をクレンザーみたいなものと考えている子もいるようで、適度に塩を取ってはガシガシ汚れを落としていく。
ただ、塩を使うことに疑問がある子も。
「
「ん?」
「どうしてお清めに塩を使うんですか?」
すると、周囲の作業の手が中断した。ちょっとした講釈が入るタイミングだと、みんなが考えているようだ。
そこで養護教諭の先生が声を上げた。「ちょうどいいから、ここで交代しましょう」と、これまでデッキブラシを持っていた子がプールサイドへ。見学していた子たちはプール内に。
そうした入れ替わりの間、僕は説明の順序を考えていた。交代が終わってすっかり静かになった中、説明を始めていく。
「塩にお清めの力があるというか、神聖なものと見られている理由は、いくつかある。まずは見た目かな」
「見た目?」
「白くてキラキラしてるからね。その辺にある足元のドロドロと比べてみれば、どっちがキレイかは言うまでもない……よね?」
もちろん、ドロドロの方がいいというような子はいない。ただ、塩の方が見た目はキレイと認めつつ、
「そんな簡単な理由?」
「ま、簡単な理由ってのが、案外バカにならなくてね。キレイ、キタナイってのは、信仰の上で昔から重要な概念だった。今風に言えば、キレイが聖なる属性で、キタナイのが闇属性ってところかな」
この表現には、男子生徒を中心に理解を示してくれた。女子の方も、なんとなくわかってくれたようではある。
「それで……食べ物が腐る時、今の僕らは雑菌のせいで腐敗したんだってわかる。でも、昔はそういう知識がなかった。物が腐るというのは、何かこう悪いエネルギーが作用していると、昔は信じられていた」
言葉を切り、僕はみんなの様子をうかがった。退屈にされている感じはない。
少し安心して、話をさらに続けていく。
「塩が腐敗を妨げるというのも、昔からよく知られていた。漬け物とか干し肉とかで、保存食にするようにね。それに、適度に塩分を取らないと人は生きていけないってことも、古くから知られていた。そういうところから、塩には物を腐らせる悪い力を清め、そればかりか人の命を保つ清らかな力があると信じられたのだと思う……今では摂りすぎが心配されているけどね」
これでみんな、おおむね納得してくれたらしい。
で、塩にはそういうありがたい側面がある……となると、今使ってるのがどういう塩かは、やっぱり気になるらしい。
「実は特別な塩だったりしますか?」
「企業秘密だけど、そういう儀式はやってるよ」
「味は?」
「料理用じゃないからなぁ……今日はもっといいもんがあるよ」
というと、プールサイドに近かった相賀さんが動いてくれた。置いてあった荷物からビニール袋を
「いや、行儀」
「おっと」
ツッコミを入れると、彼女は特に恥じらうことはせずにそそくさと僕のそばへ。
“いいもの”とは言ったものの、子どもたちの期待に沿えるかというと微妙なところで……
差し入れはただの塩飴だ。
「それもやっぱり、何かありがたい系の……」
「いや、実はドラッグストアで……」
正直に答えると、何人かは芝居じみたオーバーリアクションで落胆してきた。
まぁ、この塩飴自体、別にありがたいものでもなんでもないけど……大勢が熱中症に気を向けるようになって、こういう対策商品も安く出回るようになった。
そういう世の中は、ありがたいものだと思う。
――なんてのは、僕がジジ臭くなっただけかも。
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