第14話 突入
「警視庁葬祭課、相賀しのぶです」
しのぶが普段よりはずっと堅苦しく名乗り手帳を見せると、関係者だと納得してもらえたようだが……
「そちらからは一人か?」
やや落ち着かない様子の部下に囲まれる中、取り仕切る警部の矢島は、抑揚のない低い声で尋ねた。
「
多くは説明しないが、詳細を求める声はかからない。そう言った事態にはならないものという見込み――あるいは願望が、話題を避けさせるのだろうか。
一行を問題のマンションのエントランスで迎えたのは、マンションの管理人と、管理会社の担当社員だ。
すでに話が通じており、準備万端というこの件だが、改めて担当警官からの説明が入る。
その後、若い男性社員はかなり緊張した面持ちで、鍵を一つ手渡した。容疑者が住んでいる居室の合鍵だ。
さすがに彼も立ち会わないというわけにはいかないが、万一ということもある。
そこで、部屋を空ける直前までは同行、後は遠巻きに立ち会ってもらうということで話がまとまった。
この社員を逃がさねばならない事態になれば、その時点で立ち合いの意味は失われるだろうが。
目標となるのは7階の部屋。まずは私服警官たちが動き出し、階段で目的の階を挟み込むように配置。
それから、現場を仕切る警部たちと管理会社社員、それにしのぶが動き出した。エレベーターで目的の階へ。
これだけの人員を投じ、空振りに終われば……というところだが、この時間帯は部屋にいるという調べはついているという話だ。
というより、実際にはほとんど外出しない容疑者らしい。
マンション管理人も、例の部屋に宅配業者を通すことがしばしばだという。
下調べは十分。これで、容疑者が本当に真犯人で――裏で糸引く者が何も居なければ、一行にとっては万々歳である。
うさん臭いのを避けたい普通の警官のみならず、しのぶにとっても同様だ。葬祭課として、面倒な事態は好むところではない。
しかし、目的の階に着いたしのぶは、嫌な予感にわずかながら顔をしかめた。
うっすらと漂う、それらしい雰囲気。生半可な霊能者では見過ごしそうになる兆しを、しのぶの霊感は敏感に察知した。
”もしも”を考えれば尻込みしていられる状況ではない。しのぶは矢島に声をかけた。
「差し出がましいようですが、私も前に出ます」
「……つまり、そちらの案件だと言いたいのか?」
彼なりに葬祭課へは思うところあるだろうが、威圧感はなく、むしろ緊迫感を
「そういった気配を感じます。被疑者を実際に見るまで、断言できませんが」
この申し出に矢島は苦虫を噛み潰したような顔になった。
大事件の解決、その山場を前にしての事だ。今までの積み重ねがあるというのに、急にオカルトめいたものが顔を出してくる。彼の苦悩も致し方ないところだろうが――
彼はここまで連れてきた管理会社社員を見ながらロを開いた。
「了解した。主にウチの者で本件を遂行するが、そちらの管轄と認められる事象が起きれば、そちらの判断に任せる」
つまり、確信を得られるまでは大人しくせよ、確信を得たなら好きにせよというわけだ。
今でも正直、胡散臭く思われている感じは否めないが、それでいて柔軟さや度量も見せてくる。
おそらく、事態の解決を最優先に置くこの年配の警部に、しのぶは「ありがとうございます」と頭を下げた。
一方、容疑者とのやり取りを担う最前線の警官は、しのぶの加入に目に見えて安堵を示した。
そういう事件かもしれないと、上官よりも強く考えているのかもしれない。
(できることなら、私だけハジかいて帰るぐらいでいいんだけどな~)
キリッとした顔の裏で、気が進まないしのぶ。
そんな彼女の心中をよそに、ついに事が動き出した。スーツ姿の警官が一人ドアの前に立ち、チャイムを一回鳴らす。
聞きなれた音の後に続くのは、張り詰めた静寂。ドアの向こうで反応がある様子はない。
「居留守ですかね」と、付き添い社員の護衛に回った警官が小声で言った。
もう一度チャイムを鳴らすも、やはり反応はない。
現場の見張りからは、外出していないという報告を得ている。この中にいるのは間違いない。ドアの前に
――その時、ドアが勢いよく開け放たれた。
ドアに打たれて吹き飛ばされる警官。居室からは白い気体が、通路へと一気に溢れ出してくる。
とっさの事態に、しのぶは即座に腰を落とし、取り出したハンカチを口元に当てて対応。
しかし、対応が間に合わず、気体に巻き込まれた警官も。彼は強くせき込み、その場で膝をついた。それでも果敢に口を開く。
「さ! 催涙性の!」
彼が発する懸命の言葉を横に、しのぶは部屋の中へと突入していった。
現時点で、容疑者が霊の憑依を受けているという明確な証拠はない。傍から見れば越権行為だ。
しかし、葬祭課案件だと判断するだけの、それなりの証拠がある。
ドアの前の警官を何らかの機械的機構で弾き飛ばし、さらには突入を許さない催涙性の気体。これだけの用意をしておきながら、追撃がない。
まさか、「私が犯人です」と自己紹介したいわけでもあるまい。捕まるまでの猶予を稼ぐ、ただそれだけのために罪を重ねているわけでも。
この仕掛けが意味を成すとすれば、それは逃げ切る気があるからなのだ。警官待ち伏せるであろう通路を正面突破するのではなく――
地上7階の居室から、外へ。
居室に入り込んだしのぶが目にしたのは、玄関に散乱するいくつものバネ。これでドアを強烈に作動させたのだろう。
他には、盛んに白い煙を噴き上げる、ボンべを主とする何かの装備。白い気体は空気より軽いらしく、玄関回りの天井はすでに煙で覆われてしまっている。
そして、目の前には閉まっている別のドア。後続の警官はないが、後ろで何か大声が飛び交うのは聞こえる。
今はしのぶひとりが最前線だ。
(あ~、片手ふさがってるのが……もう!)
幸い、これに罠らしいものはない。板の下でジャラジャラ音が鳴っているあたり、転ばすための何かはあったのだろうが。
蹴破った先にあるのはメインのリビングらしき部屋だ。
もっとも、居住用というよりは仕事用といった具合で、広々とした机にはアームで保持されたディスプレイがいくつも。
そして――リビングとべランダを隔てるガラス戸が開いている。白く薄いカーテンが風にたなびくその奥で、べランダの壁に足をかける人影が一つ。
「ヤべぇ!」
どこか楽しそうに叫ぶ、若い男の声。
「待ちなさい!」と叫んで追いかけるも、男はニヤリと笑い……べランダのさらに向こうへと、その身を消した。
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