第16話 袋の鼠

 各階に配された警官たちだが、階によって負担に差があるのが実際のところである。中層階の方が、犯人と追手が訪れる可能性が高い。

 一方、屋上や地面に近い方はというと……気が抜けない状況ではあるのだが、他の階から聞こえる物音を耳にしながらも、ただ待ち構えるばかり。


 しかし、突然の銃声に、待ち構えるばかりの彼らも震え上がった。撃たざるを得ない状況が生じたか、あるいは撃たされた・・・・・か。

 現場指揮官から全ての人員へ、即座に的確な指令を飛ばせるわけでもない。急変を告げる音を前に、各自はその場の死守を選んで身構えた。


 そんな中、銃声が生じたものと思われる階の一つ上から、一人の警官が降りてきた。


「! だ、大丈夫か!?」


 降りてきた彼が目にしたのは、地面で転がされている同僚だ。


「いきなり、銃を……床に。それで、投げ飛ばされ……」


 頭をさすりながらも、途切れ途切れに言葉を発する若い警官。彼が指さす先には、弾痕らしきものがある。撃ったと思われる警官は、おそらくは取り憑かれてしまったのだろう。

 敵が銃を手にしている状況下、降りてきた警官も銃を抜き放ち、廊下の先へと向かった。

 エレベーターが上へと動いている。



 警官の体が銃ごと奪われた事態が発生し、現場は騒然となった。無線に乗って慌ただしく行き交う情報。

 同士討ちの恐れに、一刻も早い確保が必要となる中、現場を仕切る矢島警部は渋面ながらも冷静さを保っていた。

 彼の態度は、現場を同じくする部下たちにとって、一つの大黒柱となっている。彼は事が起きているマンションの傍から、じっと上を見つめ――


 急に、ピクリと体を震わせた。


「け、警部。どうしましたか?」


 傍らの部下が問いかけるも、急に荒い息になった彼は答えられずにいる。 緊迫した数秒後、彼はどうにか命令を絞り出した。


「い、今の内に……捕まえろ」


 体の内に潜む何かと、今まさに格闘しているのがありありと伝わってくる。その必死な形相に、部下は戸惑った。


 実のところ、自身の精神力で完全な乗っ取りに抵抗する矢島は見事なものだったが、その命令に即座に応じない部下もまた、正しい選択ではあった。

 次なる宿主となりかねないところだったのだから。それに――


 体を奪われた警部は後ろへと、ぎこちない動きで振り返った。注油が足りない、壊れかけの機械のように。

 彼の背後へと、一人の人影が落ちてくる。こげ茶の紙を逆立たせながら接近する青年に、警部の体は得物を手にしようと、腕を動かし――



 体の自由を奪われた矢島警部の後ろに、僕は音もなく下りた。足裏に仕込んだ護符のおかげで、落下速度は十分に抑えることができている。

 接近に、ヤツもやはり気づいたらしい。しかし、反応は鈍い。今もなお、警部は乗っ取られまいと抵抗しているのだろう。

 かといって、別の体に乗り移る選択肢はない。近くの警官までの距離は数メートル。この間を渡り切られる前に、僕が手を下して全てが終わる。ヤツも、それぐらいは察しているのだろう。結界まで見ているのだから。

 となると、選択肢は限られる。鈍い動きで振り向きつつ、警部の腕は胸元へ。


 もう少し早ければ撃たれるところだった。僕は警部の肘を押さえて動きを制し、空いた左手――護符を巻き付けた手を、彼の首にかざした。


「警官を舐めるなよ」


 かざした左手からは紫電が走り、警部のものとは違う、若い男の悲鳴が上がる。僕以外には聞こえない悲鳴が。

 僕は左手で掴んだもう一つ・・・・の首を、警部の実体から引き離した。奪った生身から引き剥がされ、青色の幽体が姿を現す。

 これが、あの石川五右衛門の霊――なんだけど、格好は今風だ。ぼさぼさの長い黒髪を後ろで束ね、上はTシャツ、下はダメージジーンス。後、シルバアクセが目立つベルトやら何やら。

 たぶん、乗っ取りのために自己認識を今風に揃えているか、世間のイメージに影響されているのだろう。


 過去の人ではなく、今もなお、その名を轟かせる大怪盗なのだから。


 宿主から引き剥がされ、進退窮まったコイツは、悪びれない顔を僕に向けてきた。


『おいアンタ。俺と組まねえか? マッポのはした金なんかよりも、よほど稼がせてやるぜ』


 この持ちかけを、僕は鼻で笑った。ぞうせ挑発なのだろう。僕が迷い、少しでもなびくようならばきっとバカにしてくる。

 今のコイツは反権力の義賊という設定・・だから。


 いちいち答える気にもならず、僕は引っぺがした例の首根っこを掴んだまま、警部から少し距離を取った。

 乗っ取られかけていた彼は頭を振っているけど、こうして自発的に動けるようなら一安心だ。


 それだけ確認すると、僕は仕事用の小物から一本の長紐を取り出した。実際には、ありがたい護符をねじり合わせて束ねてあるものだ。

 力を込めると、蛇使いに操られるかのように紐が動き出していく。宙を踊るそれが石川の霊に巻き付き、巻き付かれた部分が少しずつ色味を増していく――霊感が弱い者でも見えるように。

 実際、護符に刻んだ力は、対象の霊をこちら側・・・・に大きく近づける力がある。こちら寄りにすることで可視化、声は可聴化させ、さらには異能等の力も防いで確保を完全にするというわけだ。

 人目に隠れ、不可思議な力で好き勝手やってきた悪霊連中にとっては、これ以上ない見せしめとなる。


 本件において、最初は懐疑的だった警部も、真犯人の姿が白日の下になったことで目を見開いた。

 それから、にわかに視線鋭くなる。


「それが、石川五右衛門か」


「はい」


「……そうか」


 少し意外なことに、彼は真犯人に対してさほどの敵意を示さなかった。どこか穏やかな感じさえある。

 手柄を取られたとか、そういう負の感情は感じられない。そんな浅いものではなく、もう少し深いものがありそうだけど……

 とりあえず、僕は黙っておいた。


 ただ、うるさいヤツがそばにいる。


『おい、どうして逃げ道がわかったんだ?』


「はァ?」


『トボけんなよ。わかってなきゃ対応できねェだろうが』


 最後の詰めで飛び降りたことを指しているのだろう。

 そのあたり、他の方々も気になっている様子ではある。状況の収拾と撤退準備が進む中、僕らのやり取りに気を向ける方もちらほら。


「下が騒がしかったからな。上から見てたんだよ。どうせ、最終的な逃走経路は地上だっただろうし」


 と、答えた僕だけど、霊能者としてはもう少し別の理由もあった。

 というのも、結界を展開していれば、その中で動く霊力の追跡は容易だ。出入りを繰り返しているっぽい反応が、そういう手段に移行したことを告げていた。

 それに、この石川五右衛門にとって、民間人はともかくとして、公僕は敵でしかない。うまく出し抜き、利用できれば……という欲は、少なからずあっただろう。

 そういったプロファイリングみたいなものもあって、こういう逃走経路はある程度見えていた。

 最終的に、現場を仕切る人物を標的に、乗っ取って場を切り抜けるつもりなんじゃないか、とも。


 結果的に、読みはうまくいって、今回石川五右衛門は御用となったわけだ。

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