VS伝説の男


「剣の世界に、ワシを震わすほどの猛者はおらんようになってしまった。じゃが、冒険者なら血気盛んな若人が山ほどおる。いつかワシを燃え立たせてくれるような猛者が生まれてくるのを期待して、ワシ自身も冒険者に身を移したのじゃよ」

「はあ……」


 急に自分語りを聞かされて、グロリアは気のない返事をする。

 なんで訊いてないのに話し始めたんだろう。


「しかし、初手からメイドさんとはのう……さて、どうしたものか、まずはメシでもついでもらおうかの?」

「お生憎ですが……メイドは誰にでも奉仕するわけではありません」

「ホッホッホ、いかんのう、おなごは愛想がないと」

「…………」


 グロリアは年寄りが嫌いなわけではない。

 だが、世の中には相手にしなくてもいい年寄りがいることは知っていた。

 この老人、どうやらそれだ。有名だかなんだか知らないが、めんどくさい老人だ。


「試合――開始!」


 宣言が下され、開始を告げる銅鑼が仰々しく鳴らされる。

 両者は見合ったまま、構えも取らずに動かなかった。


「ホッホッホ、これ、メイドさんや」


 老人が話しかけてくる。


「恐らく、勝負はついとるよ。じゃが、おぬしも一太刀も届かずに勝負が終わってしまうのは悔しいじゃろう? そこで、じゃ。おぬしから先に動くというのはどうじゃ」


 安楽な姿勢を保ったまま、ライデンはそんな提案をしてくる。

「はぁ………」とことさらに重い返事をしながら、グロリアは老人の意図を掴みかねた。

 そんなに自信があるなら先に仕掛けてくればいいではないか。

 優しさなのかとも思ったが、それもちょっと怪しい。

 もしかしたら……やっぱり『結局老人ワシの方が強いもんねー!』がやりたいだけなのではと穿った考えが胸をよぎる。


「おぬしはこのワシに一太刀浴びせるチャンスができるじゃろう? 悪い話ではなかろうて」

「はぁ………わかりました」


 もうどうでもいいという気持ちでグロリアは頷いた。

 観客は早く試合を始めろと好き勝手に騒いでくる。


「それでは」


 その喧噪の中、グロリアは目を閉じ、息を吸い――、


「お言葉に甘えて。」


 背後から老人の首筋に魔剣の切っ先を突きつける。


「ッッッ!!!?」


 キンッッ! と鋭い鋼の音が散る。

 ライデンが即座に刀を抜いて、魔剣を弾いてきたのだ。

 グロリアは距離を取ってライデンと向き合う。

 その穏やかな好々爺顔は――冷や汗を流し、目を見開いていた。

 いったい何が起きたのか。

 会場すべてが幻惑の魔法にかけられたかのように困惑していた。

 老人の唇から、掠れた息が洩れる。


「おぬし、今、なにを、」

「魔法じゃありませんよ」


 グロリアは本当のことを言う。


「ただ走ってあなたの背後を狙いにいっただけです」


 ライデンは、その一言で膝をつきそうになった。

 この娘の足運び、振るう剣先、何もかもが常識を超越している。

 それはライデンが何十年と賭けて、ようやく切れ端が見えてきたという世界の領域だった。 

 見た目に騙されたことを自覚し、ライデンは最近忘れかけていた無念さを思い出した。


(このワシとしたことが……本気になるべき相手を見抜けなんだ)


 老人は自身に活を入れる。

 この先彼女に手を抜くことはありえない。

 絶対にだ。


「先ほどは見事な一太刀じゃった。じゃが、この先二度と同じ手は喰らわんよ」


 改めてそれを認めたライデンは己から攻め手に回った。

 その気配を察して、グロリアも短剣を構える。

 ライデンの袈裟斬りをグロリアは下から打ち込むような短剣捌きで華麗に流す。大振りの攻撃が外れても、ライデンはすぐに手を切り替え横薙ぎに剣を走らせた。だが、これもグロリアは短剣の柄を使って弾くと、自分も踏み込んで反対の短剣で大きく斬りかかった。

 寸でのところで、ライデンの刃は短剣から自分の喉首を守る。

 その瞬間、観客席は大きく沸いた。


「あのメイド……すげぇ……!!」

「神クラスの達人の攻撃を全部捌いたうえに、また急所まで迫った!」

「なんなんだあの戦闘メイド!!」


 すでに会場は驚きや困惑を超え、熱狂の域に入っていた。

 達人と息もつかせぬテンポの剣戟を繰り広げるメイド。最初に寄せられた好奇の大きさだけ、その予想を覆す戦局に興奮は募っていく。

 あまりの展開についていけてないのはライデン本人だった。

 かわいらしいメイドさん相手でラッキー、ぐらいに思っていたら、とんでもない化け物と渡り合う羽目になった。

 誰にも知られないように息をはずませながら、ライデンは刀を構え直す。

 その向こうでグロリアは短剣を手に、悠然と立っていた。


「さすがに達人と呼ばれるだけはありますね」


 思いがけず、化け物から評価されてしまい、ライデンは自嘲の笑みを浮かべる。


「よもや、おぬしほどの使い手が、冒険者の世界にいるとはのお。計算違いじゃったわい……」

「? それが目当てで冒険者に転向したのでは?」


 しまった、と思い、ライデンは話を変える。


「どれほど強敵であろうと、剣の道一筋六十年! このワシに負ける道理などない!」

「じゃあ、私も少し本気出します」

「え………」


 あっさりとそう言ったグロリアは、目を閉じ、口元で何か呪文の詠唱を始める。


「『風の揺り籠に稚児のごとく見るは永遠の夢。決して覚めぬ眠りを天地の狭間にて踊る者たちは言祝ぎ、夢幻の世界を舞い踊らん』」


 一歩遅れてライデンが反応した頃にはもう術は完成していた。


「《妖精飛行フェアリー・レイズ》!」


 グロリアがそう唱えると、彼女の足元がふわりと地面を離れ、風に遊ばれるように浮遊した。

 飛行呪文。世界でも希少な呪文のひとつとして知られ、その妖精の秘術を各国の王族や大富豪が求めてやまないという、伝説の呪文だ。


「メイドが飛んだァァァァーーーーッ!!」


 司会の実況の音声が会場中に響く。

 グロリアは高く飛翔し、観客席の頭上よりもっと上空を目指す。


「な、何をする気なんじゃ……!!?」


 さすがの出来事にうろたえるライデンは、慌てて剣を構えた。

 上空のグロリアは両腕を片側に集めながら身体をねじる、不思議な格好をしている。

 その動きの意味を知る前に、グロリアは空中で強く、後ろに足を蹴り出す。

 ごうん――ッ、と風が轟いて、グロリアの身体は急速回転しながらものすごいスピードで地上を目指した。


 メイドが、落ちてくる――。


 誰もがそう思ったその瞬間、もはや破壊的なほどの鋼の音が響き渡る。


 ガキィイイーーーーーンッ!!


 グロリアが自分めがけて落ちてくると悟ったライデンは、刃を盾に攻撃を受けたが、空中で勢いをつけて回転するメイドの勢いは止まらなかった。

 まさに息ひとつ、瞬きひとつする暇のない二本の短剣の攻撃は嵐といってもよく、同時にそのすべての攻撃は正確無比の太刀筋だ。

 そのメイドの姿、まさに暴風――!


(いかん……! いくら攻撃を受けても娘の勢いは死なないどころか、ますます弾みをつけていく……!)


 すさまじい速さで回転しながら斬りつけてくるメイドの手数の多さに、ライデンは疲弊しかけ、吐く息を荒いものに変えていった。

 足元が乱れる。

 その瞬間を、嵐は見逃さない。

 さらに火を噴くような勢いで短剣が乱舞する。

 あまりに恐ろしい災害のような敵と対峙して、ライデンの心境はもはや恐怖一色でしかない。

 六十年、剣だけを振り続けた。

 剣の道が己のすべてだった。

 そしていつの間にか、ちょっと剣を振ったら若者がビビるようになった。

 だんだんそれが面白くなってしまった。

 今回だって、楽ーに優勝して称賛と大金を手にしてばーさんところに帰ろうと思ってたのに……!

 

 守りの刃に一極集中した攻撃は、頂点に達する。

 ライデンにはその音がわかった。

 鋼が欠け、刀身が折れかけている。

 そこになおも続く、回転攻撃。


「ヒッ、ヒィイイーーーッ! わ、ワシは、ちょっと若いもんにちやほやされたかっただけなのにィーーーッ!!」


 断末魔の悲鳴をあげて、折れ果てた名刀“白流シロナガス”を手にしたままライデンは派手に吹っ飛んだ。何回か地面をバウンドして。

 刀に攻撃を加えた後、ゆっくりと回転の勢いを殺してグロリアは地に降り立った。

 息を飲む観客席。

 そして、判定者が吹っ飛んだライデンの身体を見る。

 ぶつぶつと何かを口走り、目を合わせない老人は気絶こそしていないが、戦意もなさそうだ。


「Aブロック一回戦、勝者、グロリア――ッ!!」


 司会の割れんばかりの大音声が響く、歓声がこだまする。

 「メイド! メイド!」の盛大なコールが響き、会場はグロリアを称える声一色だ。

 歓声をよそに、グロリアはふと老人のうわごとを聞いた。


「剣持って六十年なのに……若いもんより努力してきたのに……」


 そんなことを延々、つぶやいているらしい。


(剣を持って六十年ということは……多分七十歳ぐらい……)


 簡単にそう計算し、グロリアはひとり頷く。


(どう考えても年下なんだよなぁ………)


 ぜんぜん動いてくれる気配がない老人が担架で運ばれていくのを見ながら、グロリアはそう思った。

 


 ▼ ▼ ▼



(すごいですわ……グロリア……!)


 目の前で繰り広げられた戦いを見て、フィリアナは感動していた。

 グロリアがこんなに戦えるだなんて、知らなかった。そもそも魔法が使えたりすることだって一切知らなかったけれど。


(最初、冒険者になると聞いたときも驚きましたけれど……不思議とグロリアならやっていけそうだなって思ったのは、こういうことだったんですのね……)


 延々終わらないメイドコールを聞きながら、フィリアナは清々しいような気持ちになる。

 ときどきグロリアにならなんでもできそうだと思うことがあったが、実際、本当に、グロリアはすごい――!


「グロリアーーーー! かっこいいですわーーーーー!!」


 熱狂の中に加わるようにして、フィリアナは大切なメイドの名を叫んだ。

 誇るように、称えるように。

 彼女こそ世界で一番のメイドだと、この世のすべてに訴えかけるように。


(………めちゃくちゃうるさいニャ……観戦なら出場者側でした方がよかったニャー……)


 フィリアナの足元で、ザカリアスは低く唸る。

 メイドコールはしばらく止まなさそうだ。

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