エピローグ
今日は、ピクニック。
花咲く小高い丘にやってきたフィリアナは、春ののどかな空気を吸い込み、元気に伸びをした。
「素敵なお天気! 今日も最高ですわーっ!」
周りの自然に挨拶するようなフィリアナの声に、グロリアは微笑みながらピクニック用シートを広げる。
王都の騒ぎが落ち着いて少し経った頃、フィリアナもグロリアも、あれから教会の人々とともに王都の復興に尽力している。借金生活から解放されても、やることは山積みだった。
そんなしばらくめまぐるしかった日々を思って、ピクニックを提案したのはフィリアナだ。
お弁当を持って、見晴らしの良い丘でのんびりと過ごそうというのだ。
グロリアはその意見に大賛成だった。
「お嬢様、人数分のお皿をもう出してしまいしょう。手伝ってください」
「ええ! 手伝いますわっ!」
春の陽気が嬉しいのか、フィリアナはしっぽを振っている犬のようにうきうきと動く。
今日はひときわ元気だな、と思いながら目を細めていると、小鳥たちが一斉に羽ばたく音が聞こえた。
ザカリアスだ。
「まあ、マオちゃん、小鳥さんを追いかけてたんですの?」
「草むらにいたんですね、すっかり草で汚れて……」
「にゃー!」
ザカリアスはフィリアナに汚れを払われながら、威勢よく鳴いた。
小鳥を一匹も捕れたわけではないのに、こちらもまたご機嫌だ。
食事の準備をしていると、遠くから「おーい!」と呼ぶ声がする。
グロリアたちが振り返ると、そこにいたのはニーナたちだった。
「遅くなったかな、ゴメンっ!」
「王都の手伝いが忙しくてな……」
「私たちも今来たところですわ!」
「これから食事です。皆さんでいただきましょう」
「やったー、グロリアさんのごはん……!」
一気に賑やかさを増すピクニック会場。
ニーナ、ニコラ、ルカもシートの上に鎮座し、さっそくランチタイムだ。
バスケットいっぱいの食事を見て、歓声があがる。
「うわぁ~、すごい! これって全部グロリアさんが!?」
「うふふ、実は私も手伝っていますのよ♡」
「うぉ、見てるだけで腹減ってくる……!」
「ニコ坊も男の子だねー、よーし、どっちがたくさん食べるか競争だぞ!」
「みんなで仲良く食べるんだよ、ニーナちゃんっ!」
「たくさん作ってあります。遠慮せずに召し上がってください」
「「「「いただきまぁ~す!」」」」
喜んでお弁当を頬張る仲間たちとフィリアナを見て、グロリアはひとり静かに微笑む。
その様子に気付いたのはザカリアスだった。
『にゃんだ、人が食べてるところ見てニヤニヤして。お前も食べるがよい』
『いえ……お腹いっぱいだなって思って。不思議ですね』
《
「おいしーい!! これおいしいよ、グロリアさん、フィリアナさんっ!」
「うんっ、すっごくおいしいね……! まるで天国だよぉ……」
「本当においしいですわ! あれもこれも……! 私が手伝ったとは思えないぐらいおいしい~~っ!」
「フィリアナさんが普段どんな料理作るのか気になってくる一言だな……」
聞こえてくるのは、「うまい」「おいしい」の大合唱。
そんな賑やかな音が鼓膜を叩くことに、グロリアの心は深く、満たされた。
「――嬉しいんです、私。皆さんがいて」
だから、言葉は自然と口をついて出た。
その一言に、グロリア以外の全員が手を止め、彼女を振り返る。
「ずっと皆さんに尊敬されてきましたけど、本当はずっと私の方が教えてもらう側だったんですね。……百年以上生きてて、教わることがいっぱいです。本当に、ありがとうございます」
グロリアは真摯な口調でそう告げ、皆に頭を下げた。
真面目な告白に、ニーナたちはぽかんと口を開け、フィリアナは「……うふふ」と密やかに笑いながらそれを見守っていた。
「あ、アンタが改まることなんかねーさっ! 俺らこそ、アンタに救われてきたわけだし……!」
「そうだよっ! ボクたちこそ、グロリアさんと出会えてすっごく楽しいことだらけでさ!」
「グロリアさんと出会えたの、私たちこそ感謝してるよ……っ!!」
三人は身を乗り出しそうな勢いでグロリアに向かってそう言った。
あまりの語気の強さに少々呆気にとられながらも、グロリアは彼らに笑いかけた。
「ありがとうございます、皆さん」
「「「…………」」」
すると三人とも、なぜか頬を赤くして黙り込んでしまうし、ルカに至っては昇天しかけている。
そんな光景に少々不思議顔をしていると、「グロリアさんも食べて食べて!」とニーナに食事をてんこ盛りで載せたお皿を渡される。
すでに胸の中はいっぱいだったが、ありがたくいただくことにする。
「でも……本当だよ、グロリアさんがいるから、私たちも強くなろうって思えるの」
横からルカが真剣な声で言う。
「グロリアさんが強いからこそ、そう思うんだ。まだまだ先は見えないけど……いつか追いついて、みたいな、って……それこそ、百年かけてでも」
グロリアの来歴は、仲間の彼らに隠し事をしておきたくないという理由ですでに明かしていた。
グロリアが魔王を倒した真の勇者であることもルカは知っている。そのうえで、こう言うのだ。おそらく、生半可な想いではない。
「追いつくって言うなら、まずは復活した魔王を倒さないとね! ボクたちだけで魔王討伐パーティー結成しちゃう!?」
「さっ、さすがに無茶だよぉ~!」
「お前は話が極端すぎるんだよ……」
魔王、という単語が飛び出て、昼食に夢中だったザカリアスがピーン!としっぽを立てて緊張する。
王都に現れ、復活宣言までして去っていった魔王ザカリアスの悪名も、すでに大陸に知れ渡っている。魔王討伐パーティーというのも言い過ぎではなく、各国が協力して冒険者を送り出す計画もあると噂されるぐらいだ。
すぐそばで魔王が挙動不審になっているとも知らず、ニーナたちは話題に夢中になる。
「でも、王都に現れてから目撃されてないんでしょ? いったいどこに行ったんだろーねー」
「にゃ、にゃぁ……」
「こないだだって魔族に茶々入れられたばっかりだしな。嫌な予感がするぜ……」
「みぃ……」
「冒険者ギルドも休止中だし、今後どうなっていくんだろうね………」
「みゅぅ……」
「マオちゃん、いったいどうしたんですの?」
「マオちゃんはちょっとした反省状態にあるだけですよ、お嬢様」
顔を伏せってごめん寝状態のザカリアスを見やって、グロリアはため息をつく。
まったくもって、調子に乗りやすい魔王だ。
「そういえば、あのときボクたちを強化してくれたおにーさんもどこ行ったんだろう!」
「結局なんだったんだろうなあの人」
「すっごく強力な魔術を使う人だったね……! また会ってみたいな……」
お弁当を食べながら歓談する空気になって、少し経った頃。
グロリアはシートの上でひっそりと手に絡む指に気が付いた。
その指は遠慮がちにグロリアの手を叩く。
要求通りに手をつなぐと、「うふふ……」とフィリアナの微笑む声が静かに耳を打った。
「グロリアが皆さんの前で笑顔になれて、私も本当に嬉しいですわ」
ふたりにしか聞こえない音量。
グロリアは少し照れた笑いを浮かべると、フィリアナの指を優しく握り返した。
百年前の、からっぽだった自分。
他人にかけるまなざしを持たなかった自分が、初めて他人を意識することになったのは、言うまでもない。
フィリアナがいたからだ。
彼女と出会い、成長を重ねるフィリアナの姿を見つめてこれたからこそ、グロリアは変わった。
その出会いなくしては、新しい仲間を心から受け入れることもなかっただろう。
つなぐフィリアナの指は、あの頃、自分を引き留めたときよりも大きく、でも温かさだけが何も変わらなかった。
「お嬢様」
「なあに」
「……大好きです」
「ふふっ、私も!」
握り返してくる、温かいもの。
その温度に頬を緩ませながら、グロリアは空を見上げた。
青い空。そこへ直線を描いて飛ぶ鳥。
その鳥の名は知らないけれど、きっと――。
「グロリアさんっ!!」
どすん、とフィリアナと反対側の肩に降ってきたのはルカだった。
顔を真っ赤にしながらやってきたルカは、「こ、これっ!」と言いながらいい匂いのする箱を取り出す。
「お、お菓子、焼いてきたんだっ! デザートに一緒に食べようっ!」
ルカは緊張した面持ちで箱を開ける。中に入っていたのは、甘酸っぱい香りを漂わすりんごのタルトだ。
「おいしそうですね、ルカさん。いただきます」
「あら、素敵。私もいただいていいかしら?」
「ええと、その、あの……どうぞっ!」
ルカはなぜかフォークに刺したタルトをフィリアナの口元に持っていき、「あーん」と口を開けたフィリアナが満足そうに頬張る。
「んんっ♡ おいしいですわー!」
「本当です、甘さもすっきりしてて、タルト生地もよく焼けてますね」
「はうぅ……よかったぁ……」
グロリアもひとくち食べて、ルカを褒めた。
ルカは耳まで染めて赤面しつつ、しゅるしゅると湯気を立たせて昇天しかける。
それを見て笑うのは、ニーナとニコラだ。
「ははは、よかったねルカ! 昨日遅くまで宿のキッチンに立った甲斐があったな~!」
「もう、言わないでよ~ニーナちゃんっ!」
「俺まで試食で付き合わされたんだから成功してもらわないとな」
「もうっ、ニコラまでー!!」
「本当に楽しい方たちだこと」
笑い合う皆を見て、フィリアナは甘酸っぱい息でグロリアに囁いた。
「本当に素敵ですわ」
「――ええ、本当に」
頷いて、グロリアも皆の方を見た。
仲間たちは出会ったときのように仲睦まじく、互いを想い合っている。
グロリアは、自分が最初からその光景に救われてきたことを思い知った。
その想いごと包み込むように、優しく指は握り返してくる。
温かさに触れながら、グロリアは優しく滲んだ視界に目を細めた。
「にゃぉ~んっ」
「マオちゃん、また小鳥さんを追いかけてますわ」
「仕方ないですね、猫ですから――」
――そして、
どこまでも。
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