後日談:きみを忘れない

 

 それは百年も昔のこと。

 

 昨夜の雨でぬかるんだ山道を何度も転びそうになりながら、ロバートは必死に走る。

 大事にその胸に抱くのは、何本かの青く光る薬瓶。

 

「グロリア、町に降りてお前の傷に効きそうな薬を買ってきたぜ! なんと王都謹製のハイポーションだ! 領主のもとに出向いて、値切りに値切ってなんとか買えたんだ! これで旅が続けられる、ぞ……!?」


 息せき切って洞穴をくぐった途端、ロバートは目の前にしたものに唖然となった。

 洞穴のなかでは、勇者グロリアがたらいいっぱいの液体を頭からザブザブとかぶっている真っ最中だったからだ。

 

「っだああああーーーー!? お前いったい何してんだ!!??」


「何って、近くに魔力反応のある泉を見つけたので、そこから汲んだ水を薬草を収集して合成して、大量にハイポーションを作ったから一気に浴びてるんですよ。おかげで高位の魔族とやり合った傷が癒えました」


 濡れた全身は青くキラキラとした光に包まれ、なにか神々しさすら放っている。

 あっけにとられたロバートは口を開けてかがやくグロリアを見つめるしかない。


 昨日、山道を移動する途中で魔王軍の追跡に遭い、高位魔族を数体ほど相手にしたグロリアはそのいずれも撃退することに成功したが、代償に痛手を負った。そのままの行軍はあきらめて洞穴で休息をとることになり、心配したロバートが単身で山を下り、薬を調達しに行ったのだが……。


「一晩かけたらたくさんハイポーションが生成できました。余分なのは町で売って資金にします」


 無表情のグロリアは淡々と説明する。

 魔王と人類の戦いが激化する昨今、効能の高いポーションは戦場の前線に送られ、ただの旅人の手に渡るものは皆無といっていい。

 そんな希少なポーションを、ろくな錬金術の設備すらない環境で量産するなんて。

 その細い身体のなかに、どれだけの魔力と知識が秘められているのか、ロバートは人知を超えた天才であるグロリアを見つめて呆然となる。

  

(雨の降る夜の山を苦労しながら降りて、町じゅうを奔走した俺の苦労はいったい……)


 ロバートは絶望のあまりその場で膝をついた。その拍子にぽろっと腕のなかからポーションが一本落ち、ロバートの気持ちを代弁するように地べたで砕け散る。


「……ロバート? 何を凹んでるんですか?」


「っ……なんでも、ねぇよ……!!」


 ロバートは半べそをかきながら手にしたポーションを背中に隠す。

 そんな様子を全身ずぶぬれで光りかがやくグロリアは不思議そうに眺めていた。



 彼女との旅は、こんなことの繰り返しだった。




(……俺も甘かったな、少しでもあいつの力になれたらなんて)



 百年後、アウロラ王国の城の牢のなか、ロバートは簡素なベッドの上で天井を仰いでいた。

 王都襲撃をグロリアに止められて以来、ロバートは城の騎士団に捕らえられ、きつい取り調べを受ける毎日を送っている。

 他にやることはほとんどない。

 ただ三食の飯を決まった時間に食って、寝るだけだ。

 ただ、鉄の牢獄はよく冷えたから、寝ることに逃げるのもそう上手くいかない。

 そんな生活を送っていると、思考というものもどうにもドン詰まってくる。

 考えるのは、いつも同じ女のこと。

 天才勇者グロリア。

 かつての自分が憧れ、持てる力をすべて尽くして支えようと思った存在。

 しかし、ひとりでなんでもできる彼女にとって、自分やほかの信奉者たちは頼られるどころか、仲間とすら認識されていなかった。

 今思い出しても、当時の彼女にとられた対応や態度の数々がロバートの心をえぐった。

 あの頃、ロバートがグロリアにどんなに必要とされたいと思ったか、彼女は想像もできないだろう。

 

 あの頃のグロリアは化け物だった。

 人間らしい機微をほとんど持ち合わせず、ひとりでなんでもできるという自負からかひどく冷淡で、それで本当に恐ろしいほど強かった。

 エルフが長い寿命を費やして習得するような最上位魔術をたやすく使いこなし、妖精族の王から賜ったという至高の魔剣と聖剣を振るっていたその姿は、まさに戦うことを宿命づけられた、勇者の呼び声がふさわしい。

 

 そのあまりの才能にある者は惚れ込み、その烈火のごとし戦いぶりにある者は魅せられ、その他人を理解しない心のあり方に、みんな、狂った。



(ルミナも、バルドメロも……俺に言わせりゃ全員被害者だ)



 暗い感情が胸のなかでわだかまる。

 ロバートが未だに傷ついた心は取り戻せていないように、ほかの仲間だった者たちも同様だろう。

 彼らがどんなに純粋な願いにもとづいてグロリアの仲間を自称してきたか、想像に難くない。

 だが、現実は、自分仲間たちの才能は彼女の足元にも及ばず、なんの助けにもなれなかった。

 みんな、才能のない自分を責め、責めて、責めすぎたあげく、当のグロリアに憎しみを向けるようになった。


 そうしなければ、自分の非力さに壊れていってしまいそうだったから。



(俺たちは呪われてるんだ)



 心のなかで自嘲し、ロバートは右手を宙に掲げる。

 そこにはかつて魔王の血に触れたことで受けた≪竜血の呪い≫を解析し、己の魔力として運用するための魔法陣が彫られていた。

 今は王国の魔術師たちによって封印の呪が施され、もうロバートの意思では発動できなくなっている。

 やっと持ちえたと思った力も、富も、名声も、今やすべてロバートのもとを去った。

 グロリアを放逐し、代わりに勇者の称号を得たのは、それで彼女を超越したかったからだ。

 どこか無意識のうちに彼女勇者からすべてを奪って、勇者彼女そのものになりたかったのかもしれない。そんなことさえ今になって思う。

 

 われながらばかげている、とロバートは自分の考えを皮肉に思った。

 どれだけ彼女中心に自分の人生ができていたのかと、全部終わった今は思い知るばかりだ。


(……マジで、くだらねぇ)


 ため息をこぼし、ロバートは寝返りを打つ。

 そのとき鉄格子の向こうから声がかかった。


「おい、面会の時間だ」


 警備の兵がそう告げた途端、ロバートは大きく舌打ちした。



(何が一番くだらねぇかっていうと……この時間だ)



 王都襲撃犯として最上級の警備体制で監禁されているなかでも、月に一度だけロバートには外部の人間との面会が許可されていた。

 入ってきた兵たちに手枷をされ、錠で拘束されながら牢を出る。

 通された面会室にいた顔にロバートはうんざりする。


「ロバート。お久しぶりです、元気でしたか?」


 白のエプロンドレスに黒いワンピースを着たグロリアの姿から、ロバートは目を逸らした。

 百年前と違い、今の彼女は勇者どころかお屋敷メイド。

 しかも、当時とは別人だ。


「今も取り調べが続いているそうですから……色々と気が詰まるでしょう。あの……その、運動不足とか、睡眠不足とかは……ありませんか?」

 

 不安そうに瞳を動かしてロバートを見つめると、気遣いの言葉を投げかけるグロリア。

 その小動物のようにこちらの顔色を気にしている様子は、昔の彼女から想像もつかない。

 どういうわけだか、百年経ってグロリアは変わった。

 自分の知らないところで色々と経験して、成長したらしい。

 勝手な話だ。

 今や彼女は過去の自分の行いを悔いているようで、月に一度の面会に欠かさずやってきては体調なんかを気にしてくれる。


「反吐が出るからそういうのやめろって言ってんだろ」


 ぶっきらぼうにロバートが返すと、一度びくりと肩を震わせ、グロリアは残念そうに目を伏せた。


「はい……すみません。でも、心配なのは本当です」


 イライラするほど小さい声音だ。

 ロバートは不快感を顔に出していたつもりだが、グロリアは口を閉ざさない。


「またお弁当を作ってきました。最近、風邪が流行ってるときいたので、なるべく栄養の豊富なものを」


 と言ってグロリアは荷物から明るい水色の包みを取り出す。

 包みをとくと、大きな弁当箱が現れた。


「食わずに捨ててるっていつも答えてるよな? それをどう取り違えたら毎月こんな物好きなことを続けるんだ?」


 毎度おなじみの光景にロバートは思いきり悪態をつく。

 面会のたびにグロリアは手製の弁当を差し入れしてきた。

 どれだけロバートが拒否しても、だ。


「その、やっぱり……身体は壊してほしくないですから」


 グロリアは少ししゅんとしながらそう言った。

 いつも同じ問答を繰り返してきている。

 グロリアにもロバートの拒否が本物であるとそろそろ伝わっているはずだろう。

 それなのにこんな不毛な行為を彼女は毎月続けているのだ。


「手が自由なら、テメェの目の前でブチ撒けてやりてぇよ」


 ロバートは想像する。目の前の弁当箱を壁に叩きつけて、グロリアの顔が悲愴に染まるところを。

 それは、今の自分にとってもはやスカッともなんともしない光景だったが、想像せずにはいられなかった。

 もう、彼女とのあいだにはヤケな感情しか存在していないのだ。

 だからこんなことを続けても無駄だとロバートは言い続ける。

 彼女が今さらどれだけ罪の意識を背負っていようと、関係ない。


「捨ててもいいですけど、ほんの少しでも食べてくれたら嬉しいです」


 そう言って、ほんの少し、力なく微笑むグロリア。


 ――そんな顔で俺に笑うんじゃねぇよ。

 

 そう吐き捨ててやりたい気持ちでいっぱいだったが、今のロバートはあまりに無気力だった。

 面会の時間の期限を告げられると、グロリアは立ち上がり、荷物をまとめ始める。


「元気で、ロバート。また来月来ます」


「……二度と来るんじゃねぇ」


「それでも、また来ます」


 どこか毅然とそう言い、グロリアはエプロンドレスの裾を引っ張ってお辞儀する。

 今の彼女は勇者ではなく、ひとりのメイドなのだということを教えるその仕草を見て、ロバートは舌打ちした。



「俺はお前なんか大嫌いだ」



 * * *




「さて、皆の衆! 食事ができましたぞ!」


 バルドメロが鎧姿のまま大鍋から料理を次々と皿によそい、渡してくる。

 ただでさえ厳しい旅の寒空の下、温かい料理は心に沁みる。

 熱々の皿にふーふーと息を落としながら、ロバートは木さじを突っ込んだ。


「うわっ、これ、にんじん入りかよ……最悪だぜ……」


 ごろっと現れたオレンジ色の塊を見て、ロバートは顔をしかめる。

 そこにフルプレートの上から花柄のエプロンをつけたバルドメロが「おや?」と不思議そうに声をあげた。


「ロバート殿はにんじんが嫌いだったのでござるか?」


「まあな、ちなみに嫌いなんてもんじゃねぇ! 大嫌いだ!」


「胸を張って言うことじゃないですよ、ロバート」


 火を囲んで対面で食事するルミナがそう言う。

 彼女は魔導書を読みながら片手間に食事していた。


「これこれ、ルミナ殿も行儀が悪いでござろう! 食事のときは食事に集中するものでござるよ!」


 バルドメロに無作法を咎められ、ルミナはため息をつきながらそっと本を閉じる。


「はいはい、ごめんなさい。ちなみにこれ、美味しいですよ、バルドメロ。野菜たっぷりで健康によさそう」


「にんじんは余計だけどな……」


「まったくふたりして子どもでござるなぁ……拙者、パーティーの栄養管理に苦労するでござるよ、まったく!」


 兜越しの目線をきらりと夜空にやり、独りごちるバルドメロ。

 彼の保護者気取りの台詞にロバートとルミナは同時に苦笑し、それにバルドメロも豪快に笑った。


「……すみません、静かにしてもらえませんか」


 ひとしきり笑い声が響くなか、火から少し離れたところから声があがる。

 寝袋のなかに身を横たえていたグロリアが身を起こしたのだ。

 バルドメロは「あっ!」と兜で覆われた口元を覆う。


「も、申し訳ないでござる、グロリア殿……」


「……わかってくれればいいです。それじゃ、おやすみなさい」


 気まずい視線を一気に集めるなか、グロリアはマイペースにつぶやいて毛布をかぶる。少しして彼女の寝息が静かな空気に響いた。



「グロリア……本当に食べなくて大丈夫なんでしょうか?」


「行軍中、携帯食料を口にしたと言っていたでござるよ。魔力の回復に少しでも睡眠にあてたいということでござるが……」


 バルドメロはそう言って残念そうに大鍋に視線をやる。

 意外と料理上手なバルドメロはパーティーのために食事を作ってくれることが多かったが、グロリアがそれを口にしているところは仲間の誰も見たことがない。

 いつも食事も睡眠もマイペースで、ロバートたちと時間を共有することはなかった。


「……正直、少し残念でござる。拙者の愛情のこもった手料理、グロリア殿に食べていただきたい……」


「……ええ、そうですね。バルドメロの料理は絶品です、彼女もそれを知ってくれればいいんですけど」


「……だからって邪魔しようにもできねぇよ、あいつは魔王討伐を嘱望される、人類の希望だ。俺たちが口挟める余地なんて……」


 声のボリュームを落としながら会話しつつ、ロバートも淡々と食事を続ける。

 温かった料理が、今はまるで味気ないものだ。

 誰かに気を遣いながら食う飯は美味くない。


「美味くねぇといえば……にんじんだよ、ルミナ食ってくれるか?」


「嫌ですよ、人の食べ残しなんて」


「やれやれ、困ったものでござるなぁ……ロバート殿のために、愛らしいうさぎや猫の顔の型でくり抜いた方がよろしかったかな?」


「そんなガキに食わせるようなやり方するんじゃねぇよっ」


「そこまでされてにんじんを食べないという方がガキっぽいですけど……」 


 「フフフ」と笑いを堪えながらバルドメロが鍋をかき混ぜた。


「このご時世、まともな野菜が手に入るのは奇跡でござるよ。特ににんじんは大地の恵みそのもの、滋養満載でござる、今の季節は風邪の予防にもいいというのに……やれやれ、ロバート殿にどうやって食べさせるかは当面の課題でござるなぁ」


「今度、町に寄ったら猫の顔の型を探してみますね」


「おいおい、俺たちは魔王城を目指して行軍してる真っ最中だぜ、そんな平和なこと……」

 

 ロバートは自分がふたりから子ども扱いされていることに憤慨しながらそう口を挟んだ。

 バルドメロの言うとおり、戦争の被害が拡大する最中、野菜の生産が追いついていない。

 それに、ただでさえ厳しい行軍で、野菜をいかにして食わせるかなどという呑気なことにかまける余裕はないはずだ。


「それでは、世が平和になった後で考えてみるでござるかなぁ」


「そうですね、賛成です。魔王討伐がなされたときの楽しみにとっておきましょう」


「……おいおい、マジかよお前ら……」


 まんざら冗談でもなさそうな口調で言うふたりに、ロバートはげんなりする。


「平和になったらにんじん料理のフルコースを振る舞うでござるよ~」


「あらあら、楽しみですねロバート」


「お前らっ、人でなしかよ!」


 つい声を荒げるロバート。

 その瞬間、「んぅ……」とむずがるような声を立て、グロリアが寝具のなかでもぞもぞと動いた。

 一気に全員静まり返る。

 その後、何事もなくグロリアが寝入ったのを気配で感じ、ロバートたちは揃って胸を撫で下ろした。


「……黙って食うか」


「そうですね……」


「そうでござるな」



 うなずき合い、黙々と食事を口に運んでいく。

 空の星々と焚火が皆の顔を照らすなか、もう二度と誰も自分から口を開くことはなかった。


 百年前の、話。




* * *


 屋敷のテラスから月と星々を見上げて、グロリアはひとり佇んでいた。

 そこにもうひとつ影が歩み寄っていく。


「今日も眠れませんの? グロリア」


 小さな燭台を手にやってきたフィリアナが、その灯りでそっとグロリアの頬を照らす。

「お嬢様」と小さくつぶやきながら、グロリアは重ねられた片手の温度を感じた。


「はい……情けないんですが、面会の後はいつもつらくて」


 指と指が絡み、深く重ね合わされた手を見つめて、静かにこぼす。

 その複雑な表情を見て、フィリアナは黙って手を握る。


「無理しないで、グロリア」


「……いいえ、面会は私の希望で続けてます。これからも……」


 グロリアは小さな胸の痛みに目を閉じて、昼間のロバートの姿を思い出した。

 自分を仲間と慕ってくれていた男。

 最後は自分のせいで歪んでしまったが、それでも彼が慕ってくれた事実は変わらない。

 それも、魔王ザカリアスは『連中は才能にたかる承認欲求こじらせたウジ虫にゃ。相手にするにゃ』と評しているが、グロリアはその言い分をまっすぐに受け入れられない。


 今は、自分がもう少しまともなら、彼らは決しておかしくならずに済んだと思う。


 背負う必要がないと言われるそれを、グロリアは背負わずにいられない。

 仲間――大事なひとの存在を知った自分にとって、それはもはや無視することなどできなかった。


「きっと伝わりますわ、グロリアの思い」


 優しい温度で支えてくれる手。

 グロリアはゆっくりと眼を開いて、目の前で微笑むフィリアナの表情を捉えた。


「いえ……伝わらなくてもいいんです。ただ、私は伝えたいだけで……それに、」


 そう思うのも、ただのエゴでしかないと知っている。

 だが、グロリアは今後もこの意味のない行為を続けるつもりだ。

 決して贖罪にはなりえないと知りながら、それでも、


「……風邪、引いてほしくないですから」


 そう言って、気弱に微笑むグロリアの手を、フィリアナはぎゅっと握り直す。


「それは、グロリアもですわ。さあ、早く寝ましょう?」


 顔を傾けて微笑み、グロリアに屋敷に帰るよう促すフィリアナ。

 グロリアはうなずき、ふたりで手を繋ぎながらテラスを去る。


 空には星が、かがやいていた。





* * *




 いつも問答無用でゴミ箱にぶちまけている弁当箱を、ロバートは静かに開けていた。

 彼女がどんなばかげた熱意を込めて作り上げた代物なのか、たまには目にして嘲笑してやろうと思ったのだ。


「……な、に」

 

 目に飛び込んできたのは、鮮やかなオレンジ色。

 

 ぴょこんと耳の伸びたうさぎの顔に、細かいヒゲの形まで再現された猫の顔たちが、ほかのカラフルな野菜たちとともに弁当箱じゅうに散りばめられていた。

 それは言うまでもなくにんじん。

 ロバートが大嫌いで仕方ない、にんじんだ。


 そのとき、ロバートの胸に、百年前のささやかな記憶が戻ってくる。

 

 ――特ににんじんは大地の恵みそのもの、滋養満載でござる、今の季節は風邪の予防にもいいというのに……。



 そんな耳元でよみがえる台詞の後、聞こえてくる、もうひとつの言葉。

 

 

 ――最近、風邪が流行ってるときいたので、なるべく栄養の豊富なものを。


 

(……聞いてたっていうのかよ)


 百年前にあった、たわいもない会話を思い出したロバートは、唖然としたまま弁当を見つめていた。

 彼女がひとつひとつ、包丁を入れて象ったのだろうそれらが、可愛らしい動物たちがにこにこと笑いかけてくる。

 

「……こんなん、ほぼ嫌がらせだろ……っ」


 声を詰まらせ、ロバートは吐き捨てた。

 大嫌いとまで言った野菜を丁寧に記憶しておきながら、こんなに手をかけて食べさせようとする彼女は、やはりばかげている。

 だが、ロバートは急に飢えたような気持ちになって、無意識に備えつけのスプーンで掻き込んでいた。

 大嫌いなにんじんの味がする。

 それ以上に、涙の味がする。


「クソ……、クソッ、なんでだよ……クソ美味ぇじゃねぇかこれ……!!!」


 信じられないことに、弁当は美味かった。

 苦手なにんじんも食べやすい味つけで、次々と口に運んでしまう。

 しゃくりあげ、鼻をすすりながら、ロバートはやけくそになった気分でスプーンを進める。


 グロリアが料理上手だなんて、知らなかった。

 もしかしたらこの百年の間に上手くなったのかもしれない。


 昔と変わってしまったグロリアもまた、ロバートにとって到底受け入れられるものではなかった。

 こうしている今この瞬間も、彼女が憎い。

 だが、彼女の料理を食べたロバートはもう耐えきれない。



(……あいつらにも、食わせてやりてぇ)

 

  

 冷たい牢のなかに、男のすすり泣く声がいつまでも響いた。

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元勇者メイドのやり直し! ~「強すぎる」からと勇者追放されたけど、元魔王の黒猫とともに愛しのお嬢様との最愛百合ライフを守ります~ 七日 @nanokka

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