災難のおしらせ
ある日、お屋敷に客人があった。
厳めしい顔をした役人、貴族の領地の査察官だった。
「それで……査察官のバラーダさん。本日はどういったご用件ですの?」
来客用のテーブル越し、フィリアナは訊ねた。
いつもは領地の運営状況を年に何度か確認しにくるぐらいで、突然こうやって押しかけるのは珍しい。
グロリアが出したお茶にも一切手をつけず、厳しい顔を作ったままのバラーダ。
フィリアナの顔に小さな不安が浮かぶ。
バラーダは、口を開いた。
「単刀直入に告げましょう。貴家の最後の領地の小作人が、夜逃げしました」
「ええっ!?」
「家族ごと消えていたのです。前日までに家畜はすべて売り払われていたので、確信的でしょう」
次々とバラーダの言うことにフィリアナは驚き、困惑する。
「そんなっ、本当なのでしょうか!?」
「本当です。そしてフィリアナ嬢、貴女はたしか彼が大けがで借金をする際、保証人として名乗りをあげたかと存じます。それはつまり、本人に払わせることが不可能となった今、貴女に借金の返済義務が移ったということ………」
バラーダは、同情するそぶりもなく言った。
「その金額はしめて200万ゴールド――」
フィリアナは真っ青になる。
そばで見ていたグロリアは思わず駆け寄ろうとしてしまったが、彼女がぐっと拳を作り、背筋を正す様を見て、それを諦めた。
「とても心苦しい事態ですけれど……未だに彼らが夜逃げしたことが私には信じがたいのです、バラーダさん。彼らはすでに没落したわがドレミー家にも心を込めて尽くして下さいましたわ。私などは子供の頃から彼らを知っているのです! そんな方たちが――」
「慈悲深いのも結構なことですが、それが貴家の没落の原因では? そもそも、亡くなられた先代伯爵夫妻、貴女のご両親ときたら、戦後の兵士や庶民の暮らしを憂うあまりに、領地を切り売りし、ご自身の暮らしをここまで追い詰めたのでしょう。使用人を今のように最低限まで減らしたとて、それは何も変わらない」
バラーダは不遜な態度で次々とフィリアナの状況を指摘する。
不必要なことまで責めるような口調はいやらしく、フィリアナの両親に対する侮蔑すら感じられた。
「お人好しは両親だけの特権ではありませんわ、わがドレミー家歴代当主はみんなそうです!」
両親を責められ、フィリアナはさすがに怒ったらしく、強い口調で言い返した。
おしとやかなフィリアナに強く言い返されたのが意外だったのか、バラーダは少々鼻白む。
「あ、貴女は当主ですらないのに、結構な言い様ですな! 娘御の貴女は伯爵家を継げないのに気丈なことだ! そもそも、200万ゴールドなんて大金、貴家には存在しないのでしょう?
悪いことは申しません。この家の格を王家に返上し、修道院にでも入って借金の義務を放棄なさい。修道女になればご趣味の慈善活動も好きなだけできるでしょうし――」
「お帰りくださいまし、バラーダさん」
フィリアナは相手を制し、毅然とそう告げた。
「借金は当家の誇りにかけて、必ずご返済いたします――ですから安心して、お帰りくださいまし」
フィリアナが続けると、グロリアが歩み寄り、バラーダを家の玄関まで案内しようとする。
バラーダは完全に気を悪くしたようで、グロリアを振り払うと、勝手に屋敷を出て行ってしまう。
「お嬢様……」
無礼な客人が出て行った後、グロリアは主人を見た。彼女は座り込んだまま、身体からは力が失せているようだった。
「グロリア。大変なことに、なっちゃいましたわ……」
力なく呟くフィリアナに、グロリアはかける言葉が見つからない。
200万ゴールド――最後の領地から労働力が失われた今、このドレミー家の収入源はゼロになった。
返すあては現状、ない。フィリアナが絶望するのも仕方ないことだった。
ぽたぽた、とフィリアナのドレスの裾が水滴で濡れる。
「……私が修道院に入れば解決するのなら、そうします」
「っ!?」
思ってもみない発言にグロリアが動揺する。
そこに、フィリアナは続けた。
「私が労働に就いて、辛い思いをすれば解決するのなら、それもそうしますわ。
借金を返済して、この家の誇りを汚さずに済むのなら――“家”を、残すことが……できるなら……なんだって、しなければならないのですわ」
「お嬢様……ご無理はなさらないで下さい」
「無理だってしなくてはならないのですわ! だって、そうじゃないと、私、……私は………」
声をあげるフィリアナに、グロリアは沈痛な面持ちで寄り添った。
隣に腰掛け、そっと頭を撫でる。すると、身を固くしていたフィリアナがグロリアに体重をかけ、寄りかかった。
まるで姉妹か、母子のような姿で、グロリアはフィリアナを慰め、フィリアナはグロリアを頼った。
「十年前、お父様とお母様が病で亡くなって……、メイド長のアンナさんも、庭師のロペスおじいさんも……みんな、みんな………」
「……お嬢様」
「もう――グロリアだけですの。私といてくれる“家族”は」
フィリアナは涙に濡れる顔を上げた。
「ごめんなさい、私、嘘をつきましたわ――修道院なんか、ほんとは行きたくありません」
グロリアはまた「お嬢様」と呼びかけた。
だが、フィリアナがそれより先に、胸に飛び込んで、
「――グロリアと、離れたくありませんわ……!」
と、震える声で、確かにそう言った。
グロリアは目を閉じ、そっと優しくフィリアナを抱き締める。
胸の中に、フィリアナの嗚咽が響いた。
キィ、とドアが小さく開いて、小さな何かがやってくる気配がする。
フィリアナの足元に、黒い猫がやってきて、「みゃぉ」と短く鳴いた。
「マオちゃん……心配してくれてるんですの? ふふ……いい子ですのね、マオちゃんは」
ザカリアスは困惑したようににゃーにゃー鳴き、フィリアナの笑顔を誘った。
フィリアナは腕を伸ばし、ザカリアスを抱き上げる。ザカリアスはずっとわけがわからなさそうにしていたが、泣いていたフィリアナに冷たくもできず、されるがままだった。
愛猫を抱き、やっと微笑むようになってくれたフィリアナを見ながら、グロリアはある一つの考えを頭に浮かべた。
この家のかつてない危機を救う、唯一の方法を。
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