メイド、働きます①


 百年前、魔王ザカリアスを倒して、グロリアの身体は呪われてしまった。


 老いず、死なずの呪いは一見羨望に値するようだが、グロリアのように欲の少ない人間にとっては、ただ膨大な時間の中に閉じ込められる拷問でしかなかった。

 仲間たちによって勇者の地位から放逐されて以来、グロリアは独りで各地を放浪しながら変わってゆく世間を目にしてきた。


 あの後、勇者として祭り上げられたロバートは、王侯にも引けを取らない権力を手にし、様々な事業で成功を収めたという。打って変わって、グロリアのその後の人生は過酷だった。独り世捨て人のように暮らすには、グロリアは強すぎた。勇者の看板を背負って旅をしていたときとそれが違うのは、もう“勇者”は他に存在していたことだ。


 大きな魔物を倒して人を救っても、グロリアが桁外れに強いことで不気味がられた。勇者でもない存在が強大な力を持っていることは当時の人々にとって恐怖でしかなかったのだ。化け物扱いを受けるグロリアは、どの土地にも長居することはできなかった。

 そんな放浪が何十年と続き、さすがにグロリアも孤独を感じることがあった。わけありの流れ者たちと一緒に旅を続けたこともあったが、グロリアが不死だとわかると、金持ちの魔術師である領主のもとに売られてしまった。


 仲間も作れない。

 そんなグロリアが行き着いたのが、アウロラ王国。


 その王都の近くを御者もつけずに馬車で移動していた当時のドレミー伯爵家族を、盗賊が襲った。

 たまたま通りかかったグロリアはそれを退治したが、最後の一人がナイフで彼女の背中を貫いた。

 すさまじい出血でグロリアは気絶し、領主夫妻は必死で馬車を走らせ、医者の元に連れて行こうとしてくれたが、グロリアは馬車の中で目を覚ます。血の河のようだった出血も止まり、傷も塞がりかけていた。


 ――この通り、私は普通ではありません。ご心配には及びません。すぐに出て行きますから。


 グロリアはそう言って、屋敷に招待してくれた領主夫妻に頭を下げた。

 グロリアはそのときまで本気でそうするつもりだった。彼らが善人であることはわかっていたし、ならなおのこと、迷惑をかけるのは辛い。それに、どんな善人だって化け物の恐ろしさに気付くときはある。

 傷つかないうちにグロリアは去りたかったのだ。

 だが、伯爵たちはそうさせてくれなかった。


 ――命の恩人がわけありだと知って、黙っていられるドレミー家だと思わないでいてほしいね。

 ――ええ、本当に困っちゃう方。


 伯爵たちは互いに目を見合わせてそう言う。戸惑うグロリアの様子は伝わっているはずなのに、それを物ともしない気丈さで笑うと、彼女には世の目を忍ぶ姿が必要だろうと提案した。


 ――そんな、ご迷惑です。あなた方にデメリットしかありません。


 信じられなかった。旅の中で人の好意やあたたかい気持ちに触れることもあったが、それもグロリアの正体を知るまでのこと。それからは皆、同じ反応しかしなかった。

 拒絶。軽蔑。嫌悪。

 なのに、彼と彼女ときたら。


 ――メリット、デメリットだけで、人間は動くものじゃあないんだよ。

 ――それにグロリア。この子も、あなたには行ってほしくなさそう。


 屋敷を出て行こうとしていたグロリアは、服の裾を引っ張る小さな指に気がついた。



 ――いっちゃ、いや、グロリア。


 ――グロリアと、離れたくありませんわ……!



 青天の下に広がる大通りで、グロリアはふと思い出した過去について思いを馳せていた。

 ドレミー家には、恩がある。自分が化け物であることを受け入れてくれたこと、放浪暮らしの自分に“家”を与えてくれたこと、メイドとして、フィリアナの成長を今まで見守らせてくれたこと。

 そのすべての恩を今こそ返すべきだと思った。

 ドレミー家の背負った200万ゴールドの借金。

 まだ若く、成人すらしていないフィリアナに、過酷な労働はさせられない。

 修道院に入れるなんてもってのほかだ。

 グロリアは自分が外へ働きに出ることで、問題を解決することに決めた。



「いっ――けませんわ! グロリアに借金を返してもらうなんて!」


 決断を申し出たとき、フィリアナは予想通り反対した。


「ですがお嬢様、これは私にとってようやくご恩を返す機会が巡ってきたのです。身寄りのない私に、仕事と家を与えて下さった先代伯爵夫妻は、もう亡くなられてしまいました。ですが、あなたがいらっしゃるんです」


 グロリアは目を見つめながら、真摯に告げる。


「ご夫妻の残されたあなたをお守りすることこそ、私の誇りです」


 普段は感情をあまり表に出さないグロリアが、そこまで言うのだ。フィリアナも無理だと悟ったのだろう。

 やっと首を縦に振ると、フィリアナは「無理だけはしないで」とか細い声で懇願した。

 グロリアは頷く。

 ――無理なんてものはない。

 だってグロリアは元・勇者なのだから。


 

 彼女の行き先は、王都の冒険者ギルド。

 地図を見ていると、背中のバッグパックがもぞもぞと動く。グロリアは何か嫌な予感がした。


「……ぷはぁ~っ! 死ぬかと思ったニャ!」


 グロリアはすごい勢いで路地裏に入ると、バッグパックから頭を出した黒猫ことザカリアスをつまみ出す。


「いったい何をやっているんですか。」

「ひ、暇だったから……ニャ」

「こっちは遊びに行くんじゃないんですよ」


 グロリアは厳しい顔をしながら首根っこを掴んだザカリアスを睨む。

 ザカリアスはしゅんとして、


「だって、お前が冒険者ギルドとかいう面白そうな場所に行くって言うから~。我も気になるのニャ~、行ってみたいのニャ~」


 ザカリアスはニャーニャー鳴き、子どもみたいな言い訳を披露する。

 グロリアは呆れのあまり頭痛がしてきた。


「まったく……行ったところで動物はきっと冒険者登録できませんよ」

「冒険者? でにゃくてもオッケーなのニャ! お前が苦労してるところを見られればいいニャ!」

「このへんの路地裏に置いて帰りましょうか……?」

「に"ゃーーー! それは勘弁なのニャ! 謝るのニャ!」


 最近まで野良猫のチンピラたちにいびられていたザカリアスは恐怖に忠実だった。

 ついてきてしまったものは仕方ないと、グロリアは一旦腹を括る。


「邪魔はしないでくださいね。これはお家を救う大事なミッションなんです」


 そう言ってグロリアは路地裏を出ると、地図通りのルートに戻る。


「冒険者ギルドとかいうのは、それほど儲かるのかニャ?」


 バッグパックから頭だけ出しながら、ザカリアスはグロリアに耳打ちする。

 グロリアは通行人に怪しまれない程度の音量で囁き返した。


「百年前なら考えられないことですが、今の人間にとって一攫千金の夢を見る対象にまでなっているみたいですね。前時代の遺跡や迷宮の探索から、大型の魔物退治、果ては失せ物や消えた人の捜索まで、なんでもござれが特徴で、それだけに稼ぐチャンスはたくさんあるということです」


 それこそ百年前、グロリアが魔王討伐を目指す勇者だった頃は冒険者なんて考えられなかった。

 世は魔族との戦争で荒れ放題で、古代のロマンや神秘を求めて冒険に乗り出すなんて物好きはおらず、冒険稼業が金になるという考えすらない時代だったのだ。


 魔王が去って時代は変わった。

 変えたのはロバートだ。冒険者ギルドは、彼が勇者になって真っ先に始めた事業だという。

 平和になった世の中こそ冒険によって拓かれる何かがあると、見通していたかのような見事な手腕だ。

 今や彼の冒険者ギルドは大陸じゅうに支部を広げ、ここ王都ルベラにも巨大な支部が最近新設されたという。

 グロリアが目指すのはそこだ。

 よく行く教会の知り合いが何度か僧侶プリーステスとしてギルド関係者に協力を求められたことがあるらしく、地図を書いてもらえた。その通りに従うと、もうすぐ見えてくるようだが……。


「ああ、ここですね」


 ここだけ人の流れが違うから、そういう意味でも気付いた。

 最近できたばかりだというのに、ものすごい人出だ。ユニークな武器や防具を身に着けた人々がたむろし、その中にはアウロラ王国では珍しい、ドワーフやエルフといった他種族の者まで。

 グロリアは外でも中でも長い順番待ちを済ませて、新規で冒険者登録を受け付けているカウンターに辿り着いた。


「いらっしゃいませ。新規登録者の方ですか? それならこの用紙にお名前と職業ジョブを……って、うおお!?」


 カウンターの若い男は、グロリアの姿を見て驚きの声をあげる。

 グロリアがメイドの格好をしているからだ。ギルドのロビーには武器を背負ったむさ苦しい冒険者たちがひしめいていて、その姿はとんでもなく異彩を放っている。

 若い男は「しっ失礼しました」とそばかすの頬をかきながら、改めて用紙をグロリアに差し出す。


「名前と……職業ジョブですか?」

「え、ええ……」


 グロリアが確認すると、男はややひきつった顔で頷いた。

 ふうむ、と小さく考え込んでから、グロリアは羽ペンを受け取り、用紙に筆先を走らせる。


「名前グロリア……、職業メイド、と」

「ちょっ、あの!? 待って頂けますか!!?」


 ガタンと椅子を蹴らんばかりに立ち上がって、男は用紙を指した。


「職業欄というのは、あの、剣士セイバーとか魔導士ウィザードですとか、そういった冒険に向いた戦闘職を想定されて用意されたもので……だから、メイドさんは、ちょっと……」


 何が悪いのか、と会話を聞いていたザカリアスがバッグパックからぴょこりと顔を出した。


「しかも猫連れてるし………」

「にゃ~」


 男はかなり引いている。

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