百年越しの因縁①
グロリアとザカリアスはまだ朝も明けないうちに王都を出発し、指定の場所を目指した。
場所は王都はずれの森を抜けたところにある山の中腹部。そこにある洞窟の内部だ。
「以前、フレアリザードが大量出現した洞窟ですね……」
洞窟の風景を見て、当時のことを思い出す。
あの時点では、なぜフレアリザードが大量発生したかまではわからずじまいだった。
通常、魔物が変異するには大量の魔力に触れる必要がある。自然の世界にはたまにマナを溢れさせる泉などがあり、それに浸り続けた動植物などが変異するという研究報告もあるほどだ。
だが、この洞窟にはそういった力場は一切見当たらなかったのだ。
あたりを見回しつつ、《
このあたりにフィリアナを攫った人物が待ち構えている様子はない。
「地図では確かにここなんですが……一杯食わされたんでしょうか?」
グロリアは地図を片手に、周囲を見回す。
その足元ではザカリアスがくんくんと何かの匂いを辿っていた。
彼は壁の方に近づくと、そこで何かを嗅ぎつけたらしく、興奮した口調で言う。
「ここから魔力の匂いがするニャ! 恐らく見えない障壁を張ってるんだニャ!」
ザカリアスは前足でぺたぺたと土壁を叩く。
「これぐらい、今の我の魔力でも解除できる……にゃっ!」
壁に前足をかけたザカリアスは、気合を入れるように「ハァッ!」と唱えて、魔力を送り込む。
すると今まで自然の天然物に見えていた壁は、蜃気楼のように姿を歪め、真実と虚構の間を行ったり来たりする。その向こうには道が続いていた。
「道が……! お嬢様はこの先に!?」
「ふぬぬぬ……楽勝だニャーーー!」
尻尾をピンと立てて気合を入れるザカリアスはさらに魔力を送り込む。
途端、壁は大きなガラスが破裂するように魔力の破片を飛び散らせ、消滅した。
あまりに派手な消滅の仕方なので、飛び退ってビビるザカリアス。
「い、いや~……びっくりしたニャ……」
「な、なんだか、解除というよりも、崩壊した、という感じですが……」
グロリアは目を丸くしてザカリアスを見ると、彼の周りに黒いオーラがたゆたっているように見えた。
思わず目を凝らすが、それは一瞬のうちに消えてしまう。
「どーしたのニャ?」
「い、いえ、なんでもありません……」
見間違いだろう、とグロリアは自分に言い聞かせる。
それよりも、今はこの先に進むことだ。
隠されていた道は、天然の岩壁をくり抜いて作られたかのようで、まるで坑道だった。
壁や天井には光る魔鉱石が松明のように掲げられており、《
「ここで使われてる魔鉱石の影響でフレアリザードが……?」
「でもこの大きさじゃ魔物化するほどじゃにゃいニャ」
会話しながら、あたりの様子を見回すふたり。
しかし、進むほどに、ザカリアスでなくてもわかるほどの魔力の濃い匂いがグロリアの感覚を刺激し始める。
異常な魔力は瘴気となり、人体にも影響を及ぼす。ここには瘴気になるすれすれの魔力が常に溢れ返っているらしい。
グロリアとザカリアスは匂いを辿るうち、道が枝分かれした先にある部屋を見つけた。
小部屋を覗くと、そこにはガラスの中で透明な液に浸される魔物たちの姿があった。
「!?」
「お、大きい声出すニャ!」
ザカリアスは彼らがガラスの中で眠っていることに気付いた。
魔物たちは皆、頭部を違う種族の魔物にされたり、不自然に身体のパーツを増やされたり、異形めいた雰囲気をしている。
部屋には他にも大規模な錬金術を行う設備があり、何かの文字を刻まれたオーブや書物、様々な薬品たちがそのままになっていた。
異常な魔力の匂いも、ここで眠っている魔物たちから発せられている。
ここから洩れ出した魔力が洞窟内のトカゲを変異させ、フレアリザード大量発生につながったのだろう。
「ここは、魔導の研究室のようだニャ……」
「研究って、このおかしな魔物たちですか!?」
「おそらくニャ……勇者よ、この魔物たちに見覚えはにゃいか?」
聞かれて、グロリアは四方を囲む異形の魔物たちを見渡した。
「トーナメントの
異なる三つの種族の魔物で作られた、疑似キマイラ。
あの恐ろしい姿を思い出して、背筋が薄らと寒くなる。
「
「いったい、なんのために」
「……さあ、本人に聞くしかなさそうだニャ。幸い近くまで来てるのニャ、すぐそこニャ」
ふたりは雰囲気のよくない部屋を後にし、元の道をまっすぐ進む。
次第に道は広くなり、広間のような場所に出る。
そこにはひときわ大きなガラスに閉じ込められた魔物たちと、人の気配があった。
フィリアナだ。フィリアナは地面よりも高く設えられた台の上に横たわり、意識がないのか身動きひとつ取ろうとしない。
その姿を見つけたグロリアは思わず走り出す。
「お嬢様!」
その再会を阻む、もうひとり。
「おっと、そんな簡単に再会させると思うなよ」
駆け寄ろうとしたグロリアの前を阻むようにその男は現れた。
茶色の髪に茶色の瞳をした青年。
その容貌をまざまざと見せられて、グロリアははっとしたように息を呑む。
「……あなたは」
驚きのあまり目を見開いて青年を見るグロリア。
後から追いついてきたザカリアスは、青年の顔を見て叫ぶ。
「そいつがロバートの曾孫のロブとかいうやつかニャ!」
「いいえ、違います――彼は――」
グロリアの声はかすかに震えていた。
それを嘲笑うように、男がフンと鼻を鳴らす。
「懐かしの再会に言葉もないって感じか? グロリア」
「――ロバート!!」
グロリアは男を見て、その名を叫ぶ。
ザカリアスは「は!?」と聞き返すが、グロリアには答える余裕がない。
ロバート。百年前、グロリアを追放し、勇者の名を奪った男。
そんなはずはないと息を呑み、でも目の前には確かに男がいるもので、普段無表情のグロリアは見てわかるほど激しく動揺した。
男は確かにロバートだった。
百年前と変わらない姿で、そこに立っている。
「百年ぶりだな、グロリア。俺もお前と一緒だよ、《竜血の呪い》ってヤツだ。百年前、魔王を倒した直後のお前に触れて、俺にも返り血がいったんだよ。そんな少量でここまでの不老になるなんてまったく大した魔力の持ち主だよな、魔王のやつは」
「お前は覚えちゃいねぇだろうけどな」、とロバートは自嘲でもするように苦笑する。
その若々しい姿で笑う彼を見て、グロリアはまさかと問いかける。
「もしかして……噂の曾孫というのはあなた自身のことなんですか?」
「ああ、見た目が一切老けなくなったせいで世間に怪しまれるからな。時代のその都度勇者ロバートの子供や孫、親戚になりすましてる。今は勇者の曾孫“ロブ”だ」
「じゃあ帝国にいるという120歳のロバートは……?」
「適当に調達してきたただのジジイさ」
軽やかに受け答えするロバートにはまったく悪びれる様子がない。
冒険者ギルドを影から支配してきたのも、このロブを偽ったロバート自身なのだろう。
そして、今回の一件も。
「すべて……あなたの仕業なんですね!?」
バラーダを使い、ドレミー家に借金200万をも背負わせ、あげくフィリアナを攫うまでに至った。
なぜそうやって裏から手を回して追い詰めるような真似をしたのか、グロリアが訊ねると、ロバートは飄々と肩を竦めた。
「借金なんてそう大したダメージじゃなかっただろ。そこのお嬢様、両手に希望しか持ってねーって感じで厄介だったよ。俺と結婚する代わりに借金チャラにしてやるってプロポーズしても一切なびかなかったしな」
「け、けっこん、プロポーズ……!?」
飛び出す衝撃的なキーワードに混乱するグロリア。
「そんなにもお嬢様を振り回して……あなたは、お嬢様にどれだけ恨みがあるっていうんですか!」
ロバートは突然哄笑した。
まるで見当違いのことを言われたかのように。
「俺があのお嬢様に恨みだって? とんでもない――恨みはテメェだ、グロリア。俺はお前を追い詰めたくてここまでのことをやってきたのさ」
その言葉に、は、と聞き返す。
侮蔑に満ちたふうに鼻を鳴らすと、ロバートはこう続けた。
「思い当たるフシもねぇってか――そういうところだよッ! テメェは自分以外のヤツはアリぐらいにしか見えてねぇ、ちょっと剣と魔法の天才だからってお高くとまりやがって、百年前からテメェの態度にはうんざりだったぜ!」
一気に捲し立てると、ロバートはグロリアを睨みつける。
その目には、確かな憎しみがこもっていた。
「お前は仲間を仲間とも思わない、冷血女だ。俺だけじゃねぇ、ルミナやバルドメロだって同じことを言うさ。百年前のお前を、俺はまだ許しちゃいない。グロリア、俺はお前を、許さない」
目を見据えてそう言うロバート。
それを聞いて、今まで聞いていたザカリアスが喚き出す。
「ちょっと待つニャ! お前らは理由つけてこいつを追放したはずニャ! 普通はそれで収まるはずニャ!」
「なんだよこの喋る猫! こういうときはひとりで来るのがセオリーだろ! ったく相変わらず空気読めねえな!」
ちょっと黙っててください、とグロリアはザカリアスを抱っこして口を塞ぐ。
「チッ……追放したぐらいじゃあ、収まる怒りじゃなかったってことだよ。恨みってのは時間置くほど深くなる――それぐらい昔のお前が俺たちに取った態度は許せねぇ、お前は俺たちを仲間とすら見てなかったんだ」
ぐさり、とロバートの言葉が胸に刺さる。
確かに百年前のグロリアはロバートたちを対等な仲間だと思って接していなかった。
だが、今ではそれがどれだけ重いことなのか、理解できる。
彼に深い恨みを持たれても道理だと思えた。
きゅ、とエプロンスカートを握り締める。
「あなたたちには申し訳ないことをしたと思っています。当時の私は、確かに自分以外見えてませんでした……私の未熟さであなたを傷つけたことは謝ります。だからどうか、お嬢様を……」
「『申し訳ない』で全部済ませる気か!? 甘いね、俺は復讐するつもりなんだ。お前には俺の復讐に付き合う義務があるんだぜ、グロリア!」
ロバートは右手をかざした。
その手には魔法陣が刺青で彫られており、魔力の胎動を始めて強い輝きを放っている。
そこから強い波動のようなものが起こって、広間を揺らした。
何かが破裂する音がする。
ガラスだ。
「バケモノの相手はバケモノに任せて、俺たちは一足先に王都に行ってる」
ロバートはフィリアナが眠る台の上に上がり、また右手の魔法陣を起動した。
「っ待つニャー!」
「待ってくださ……!」
台には大きな魔法陣が描かれていた。
ロバートが右手をかざすと、眩い光の柱が立ち、ロバートとフィリアナを閉じ込めて消えてしまう。
「くっそー、逃げられたニャ! しかもこの魔法陣は一方通行だニャ……!」
台の上に上がり、ザカリアスは後を追えないか調べるが、その間にも四方からガラスを破ったキメラたちが押し寄せてこようとしている。
一刻も猶予はない。
だが、グロリアは顔色を悪くしたまま立っているだけだった。
いつもなら即座に剣を抜いて戦うところなのに。
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