百年越しの因縁②


「お前、こんなところでモタモタしてる場合じゃにゃいニャー! 早くここを切り抜けて王都に戻るのニャ!」

「全部……私が悪いんです……私が、……だから……私が……」


 ザカリアスはグロリアのスカートを引っ張って敵に注意を引きつけようとするが、グロリアはぶつぶつと暗い独り言をするばかりで何も応じない。

 そこへ二足で立つ巨大なトカゲのキメラが迫り、炎を吐く。


「バカ! 避けるのニャーッ!!」


 俯いたグロリアは炎の攻撃にも一切無防備だ。

 ザカリアスはとっさにグロリアの身体をおしのけ、前に出た。

 目の前に炎が迫り来る。

 業火に包み込まれる身体。小さな手足。

 

(まさか――我がこいつを守ろうとする日が来るとは――)

 

 白くなりつつある意識のなか、ザカリアスはグロリアが目を瞠っているのがぼんやりと見えた。

 その顔は驚きに満ちている。


(我がこんな真似をしたことに驚いているのか……)

 

 一番驚いているのは自分自身だ。

 かつて自分の真の肉体を滅ぼした相手を、百年経ってから守ろうとするなんて。


 まったく……世話の焼ける勇者だニャ。

 

 そう思ったとき、ザカリアスは気が付いた。

 想像していた炎が身体を包む感覚は、まるでないに等しい。

 それどころか、白く染まりかけた意識と身体に何かが満ちてくる。

 何かが――。


「――ザカリアス!」


 叫ぶ勇者の声に、ザカリアスは――月のように黄色い瞳を見開いた。 

 青みがかかった長髪が、揺れる。

 炎を受ける彼の身体は、今や黒猫の姿をしていない。

 長身痩躯、長い黒髪に青白い美貌。

 その姿はかつての魔王・・ザカリアスだ。

 彼の身体は炎を吸収するように受け入れ、髪の毛の一筋も燃やされてはいない。


「っ―――!!? 身体が戻った!!」


 拳を何度も作っては確かめ、本来の肉体が復活していることを認識する。

 信じがたそうに何度も何度も。

 やがて腕を下ろしたザカリアスは、目の前で炎を吐くトカゲのキメラを振り返った。


「《罰死剣カイーナ》」


 唇からこぼれた闇の呪文。

 呼応して宙から降り注いだ黒い剣たちが、トカゲの身体をあらゆる角度から刺し穿つ。

 闇より出でた剣はトカゲを屠ると、黒い灰のように風に溶けて消えゆく。

 無詠唱で放たれた呪文は、まったく威力が損なわれていない。

 ザカリアスは再び、ぐっと拳を握った。


「なんだか知らんがこの身体……めちゃくちゃ魔力に溢れているッ!! 百年前の全盛期には遠いが、猫の身体だったときとは段違いだ! すばらしいぞ! なんだかよくわからんが!!」


 復活を遂げたザカリアスは快哉をあげるが、合成獣たちはまだ他にも存在している。

 驚いて正気に返ったグロリアが剣を取り、正反対の方向をザカリアスが向く。


「ここからは共闘だぞ、勇者! 百年前とは大違いだが、それも一興だろう!」


「順応するのが速すぎます、こっちはまだ戸惑ったままですよ!」


「甘いな勇者! 適応が遅い者はこの世界では生きてゆけんぞ!」


「……百年ぶりに復活したら猫だった人の言葉は重いですね!」


 ふたりはそれぞれの方向を走り出し、キメラたちにぶつかっていく。

 グロリアは縦横無尽に駆けながら双剣で魔物を切り捨てていき、ザカリアスも魔法の一撃で確実に相手を粉砕していく。

 ふたりの奮迅ぶりで、ものの数分にしてキメラたちは全滅した。


「早くここを出て王都に戻るぞ、勇者!」


「ええ……わかってます!」

 

 周りに一匹も動く魔物がいなくなったことを確認し、洞窟の外に脱出する。

 グロリアは飛行呪文、ザカリアスは己の背に竜の翼を生やして空へと飛んだ。

 山から王都まで一直線。大して時間はかかからないだろう。


「それにしても……なぜあなたの魔力が急に戻ったんでしょう?」


 高速飛行しながらグロリアはザカリアスに率直な疑問をぶつける。

 「うむ……」と返事したザカリアスは考え込んだ。

 猫の身体でも徐々に魔力は復活傾向にあったものの、とても真の肉体を復活させられるほどの魔力量ではなかった。

 どう考えても自然ではない魔力の復活ペースに、ザカリアスは少しだけ心当たりがあった。

 かつての自分が死に際に遺した呪いとして魔王の魔力を内包しているグロリアから、魔力を移譲してもらった可能性だ。

 直接移譲を受けたわけではない。そこには仲介者が存在する。

 フィリアナだ。

 魔族の間でもっとも古くオーソドックスな魔力の移譲の儀として、口移しという手段がある。

 以前、スライムに襲われて気絶したフィリアナにグロリアは人工呼吸として唇を重ねていた。魔力の移譲が発生したのは、おそらくそのとき。


(我もそのあと娘と……いや鼻チューだったけどな……!!)


 鼻でもオッケーという判定がよくわからない。

 だが、考えられる線はそれしかなかった。

 これを打ち明けるには相当恥ずかしい思いをしなければならない。

 フィリアナと鼻チューしたことをグロリアに嫉妬されて怒られるかもしれないし。

 なんとか話を逸らそうと、ザカリアスは別の話題を振る。


「それよりロバートのことだ! あいつ、相当お前に恨みを募らせてるが、お前は本当にそれだけのことをしたのか?」

 

 その名を出されると、グロリアの顔がみるみる曇った。


「したんです。私は最近までそれがわかってなかった。それだけでも彼には耐えがたい仕打ちでしょう」


 俯いたグロリアは訥々と語る。

 その瞳は百年前を想い馳せて、遠いものになっていた。


「彼らは私の魔王討伐の旅についてきてくれた仲間だったんです。……でも当時の私は彼らを仲間だなんて思えなかった。私がひとりでなんでもできてしまえたから、仲間の必要性なんて感じられなかったんです。その態度が彼らを傷つけた」


「確かにお前は百年前も今も破格の強さだからな……」


「自分が本当にひどいことをしてきたとわかったのは最近です。ニーナさんたちと一緒に冒険していて、ああ、これが仲間なのかな、と思える瞬間がいくつもあって。……自分が仲間と思っている相手が、そうは思ってはいないことがどれだけ残酷なことなのか、ようやく理解できたんです」


 そして、今、グロリアは己を殺しかねないほどの強い罪悪感に蝕まれている。

 ザカリアスは目を細めてその悔悟が貼りついた顔を見た。


「……私、なんのとりえもない人間なんです」


 突然、そんな言葉を放り出したグロリアに、ザカリアスは驚く。


「いきなりなんだ!? お前になんのとりえもないって……」

「本当にそうなんです。私は百年前から、なんのとりえもない、からっぽの人間なんです。 からっぽだから、勇者以外の人間になれなかった・・・・・・・・・・・・・・


 グロリアは語る。

 決して誰にも明かさなかった、本当の自分を。


「私には物心ついたときから剣と魔法の才能があった。でも、それだけだったんです。それ以外には何も持ってないから、親からも村の人からも愛されなかった」


 ――百年以上も昔、強さというのは一部の英雄と呼ばれる人物が持つべきもので、辺境の田舎の村にとっては手に余るものだった。それを持つのが年端もゆかない娘だったならなおさら。村人は彼女を避け、平凡を望んだ親は娘の強さを疎んじた。

 それが、すべてのはじまり。


「私の魔王討伐の旅は、私を持て余した村の村長に言われて始まったんです。村には置いておけないから魔王討伐でもなんでも理由をつけて私を追い出したかった。私は、それがわかっていて旅に出ました。私自身、他に生きる道がわからなかったんです。あなたを倒せば、私にも生きている意味がわかるかもしれないと――私は、たったそれだけの理由であなたを殺したんです、ザカリアス」


「理由なんて……あのときは戦争状態だったじゃないか、後ろめたく思う必要なんて――」


 そうフォローしようとしたとき、グロリアの顔に気付く。


「……百年前、あなたを倒したら、私にはなんの目標もなくなって、本当のからっぽの自分が待っていました。私は本当に戦うことしか能のない人間なんだと痛感したんです。勇者と呼ばれるのだって、もうどうでもよかった。だからロバートたちに弾劾されても私は素直に従いました。だって、全部がどうでもよかったから、面倒だったから、です」


 風に涙を散らし、目元を赤く染めて、いつも無表情だった女が泣いている。


「だから、ロバートたちとまともな関係になれなかったのは、全部私が原因なんです。私があまりに愚かでからっぽの人間だったから。彼らを無駄に傷つけて、逃げ出したんです。恨まれても仕方ありません」


 泣きながら吐露するグロリアを、ザカリアスは静かな目で見つめていた。


「恨まれても仕方ないというのは……フィリアナを巻き込んでもいいということか?」


 その名前に、グロリアの表情に生気が戻る。

 涙を散らしながら、大切な者の名前を噛み締め、赤い目元を何度も擦る。


「そうは言いません……! お嬢様は必ず私が助けます!」


 涙を拭いた後のグロリアの瞳には、ひとつの覚悟を思わせる強い光が宿っている。

 それが百年前と今の彼女が違うことの証左だと、ザカリアスはふっと口元を緩める。


「王都は近いな……!」


 迫る王都の姿に、ふたりは速度を緩めず飛び続ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る