百年越しの因縁③
祭り用の飾りつけが街の至るところに施された王都は、どこか異様な喧騒に満ちていた。
その騒がしさは、祭りの盛り上がりという感じではない。
徐々に下降し、王都の街路に立つふたり。
そのとき彼らは悲鳴を聞いた。鎧を着込んだ兵士たちの駆ける音もする。
音のする方へ駆けつけると、そこにはキメラの姿があった。何人もの人が街路に倒れ、王国の警備兵たちが立ち向かっている。
「キメラが……街にまで!?」
「しかも一体どころではないぞ!」
反対の方角からも別個体がやってくる。
苦戦する警備兵を見かねて、駆け出したグロリアは魔剣を抜き、魔獣を一閃。
「魔法剣、
短剣から巻き上がった炎の刃が魔物を焼き尽くす。
周りから歓声があがるが、魔獣はもう一体残っている。
「《
反対の通りに立っている魔物に黒い灰が集り、その姿を覆いつくしていく。
ザカリアスは右手を高く掲げ、振り下ろすとともに叫ぶ。
「――
瞬間、黒い灰たちのすべてが針のような棘と化し、閉じ込めた魔物から血しぶきが迸る。
どう、と血まみれの魔物が倒れ伏す。
またどこかで悲鳴がした。
キメラは街中の至るところで発生しているらしい。
「ロバートのヤツ、大した規模の復讐を考えているようだ」
「魔物を片付けるのもですが、彼の居場所も割り出さないと……!」
「大方、この騒ぎを見渡せるような場所にいるだろう。ああいうバカの考えは読みやすい」
そう言って、ふたりは王都の高い建物を探して街を巡り始めた。
相対する魔獣を倒しながら、やがて行き着いたのは城下の広場。城を除くと、一番高いのは女神教の旧神殿だ。
岩が積み上げられた頑丈な屋根の上に、人影が見える。
ロバートだ。
二年前、王都でグロリアを見かけたのは本当に偶然だった。
百年前とは違ってメイド服と三つ編みだったが、見間違えるはずがない。
冒険者ギルド支部の創設のため王国に足を運んだとき、たまたま街中で買い物をしている彼女を見つけたのだ。
グロリアは隣にいるふわふわとした美少女を「お嬢様」と呼び、楽しく笑い合いながら街を歩いていた。
その顔が、勇者だった頃よりもずっと幸せそうだったことが、ロバートには一番許せなかった。
(追放された方が幸せだったなんて、反吐が出るぜ)
あのトーナメントもそうだった。
自分よりも実力の遥かに劣る雑魚たちと、仲間ごっこを繰り広げるグロリアの姿には反吐が出た。
ロバートは旧神殿のてっぺんから街を見下ろしながら、内心、二年前とトーナメントの記憶に毒を吐いた。
ロバートがここ十数年、影で研究に心血を注いだ
ほかにも、キメラ研究の集大成ともいえる傑作が奥の手として手元にある。
これは完成まで難儀した――最終的に人間の生命力が必要だと判明したのもごく最近のことだ。
必要な生命力を集めるため、魔術師のツテを使って召喚した魔族の少女と契約したが、これがよくわからないポンコツで、ある日突然契約の終了を一方的に宣言し、ロバートの前から姿を消している。
よくわからないヤツだったが、必要な生命力の回収にだけは役立ってくれた。
それもすべてはこの日のため。
ロバートは未だ眠る少女を見た。
フィリアナは地に膝をつき、魔法の枷をされた両腕を宙に吊られている。
さらにその周りは凶悪な結界で覆われていた。
こうなっては彼女には誰にも手出しできない。
(よっぽど大事なんだ、厳重にしてやらねぇとな)
この少女を見るグロリアの目は特別だった。
愛おしげで、包み込むようなまなざし。
特別な者同士でしか生まれない表情を浮かべ、グロリアは少女に笑いかけていた。
それがロバートにとってどれだけ残酷なことだったか。
その真の残酷さを、あのとぼけた女は理解することなどないだろう。
ロバートは舌打ちしてフィリアナから目を背けた。
この娘もこの娘だ。
借金に家督問題と完全に積んだお家事情にも関わらず、ロバートの求婚を堂々と断った。
おかげでこの娘と結婚し、グロリアに「旦那様」として仕えられるルートは潰えた。
大切なお嬢さんを奪ってやったうえ、超絶いびり倒してやるつもりだったが、この際それはもうどうでもいい。
大事なのは今から始まる復讐劇だ。
魔法陣を抱く右手を静かにさすり、ロバートは再び街を見た。
「ロバートォォッ!」
ロバートの名を叫びながら、魔術で飛翔したグロリアが屋根に降り立つ。
彼女は結界に閉ざされたフィリアナを見てすぐに駆け出そうとするが、後から追いついたザカリアスがそれを止める。
「うかつに近づくな! お前も娘も危険に晒されるぞ!」
言われて、悔しげに唇を噛み締めながら立ち止まるグロリア。
その様子を見て、ロバートは満足そうにうなずいた。
「賢明だぜ、あれはただの結界じゃねぇ」
「うむ……我の知る拘束結界の中でもあれは格段に危険だ」
「そう、触れれば即アウトの危険な――って誰だよお前!?」
ロバートからすれば、今のザカリアスは突然現れた謎の黒髪美丈夫だ。
戸惑う彼に、偉そうに腕組みしたザカリアスが言う。
「答えてやろう――我は魔王! 魔王ザカリアス! 今までは猫の姿で活動していたが、本日をもって生前の肉体を取り戻し、魔王として真なる復活を遂げた――」
「と思い込んでる近所の青年です」
「にゃんだとぉぉぉ!!?」
自信満々に自己紹介をしようとしたところに、グロリアが冷たく言い放つ。
ザカリアスはショックを受けたまなざしを向けてくるが、グロリアは取り合わず、「今はややこしいからあなたのことは伏せてください」と無情な一言を告げた。
「どうして因縁の現場に猫とか近所のイタいひきこもりみたいなヤツばっか連れてくるんだよ! 真面目にやるつもりあるのか、グロリア!」
「私は最初からずっと真面目です!」
「……クソ、だんだんこいつこういうやつだって思い出してきた……」
真顔でそう言うグロリアに、ロバートはげんなりとため息をついて目を逸らした。
「お嬢様を攫ったうえに……王都じゅうにキメラをばらまいて、あなたは何が目的なんですか!?」
グロリアはそんな反応にもかまわず、単刀直入に訊ねる。
「はん……それを話すのはまだ早い。お前にはまだ自分の罪と向き合ってもらわなきゃな」
ロバートは指を鳴らし、囚われたフィリアナに注視を促す。
ヂリリ……と結界の外側で大きく火花が散り、グロリアたちは動揺のまなざしを浮かべる。
「今のを結界の中で起こしてやってもいいんだぜ、グロリア」
「おかしい……なぜ人間の貴様にそこまでの魔力が!?」
「ひきこもりが……まあ、いいぜ、教えてやる。魔王の血の力だよ。《竜血の呪い》として俺の深部に働きかけている魔力を解析して、いつでも自分の力として引き出せるように工夫したんだ。おかげで魔力ゼロの俺でも結構な魔術を行使できるようになった。まあ、正攻法じゃないから右手の魔法陣は欠かせないんだがな」
掌の中の魔法陣をちらつかせながら、自分の力の種明かしをするロバート。
その言葉に、血の持ち主であるザカリアスが複雑に顔を歪めた。こんな人間に力を与える結果になったことを後悔しているとでも言いたげに。
「おい、グロリア、まずは武器だ。魔剣と聖剣をこっちによこせ」
ロバートは横柄な口調でそう言い、武器の解除を命令してくる。
ザカリアスは止めようとしたが、グロリアはすぐに従った。
二本の短剣を吊るしたベルトごと外し、ロバートの方向に投げてよこす。
ベルトを受け取ったロバートは満足げに口の端を吊り上げた。
「良い子だ、グロリア――次は土下座だな」
「おい、いい加減にしておけ、貴様ッ!」
「――いいんです、ザカリアス」
無体を強いるロバートに、ザカリアスは怒りを示すが、それを止めたのはグロリア本人だった。
「お嬢様のためにもこうするほかないんです。……私は困りませんから、大丈夫です」
グロリアはそう言って膝を折ると、すっと両手を屋根につけて、頭を下げていく。
「お次は、『私は百年前ロバート様を傷つけたどうしようもない豚でございます。申し訳ございませんでした』だ。言ってみろ」
土下座するグロリアの頭を見つめながら、ロバートは復唱を迫る。
グロリアは少し間を置いてから答えた。
「私は百年前ロバート様を傷つけたどうしようもない豚でございます。申し訳ございませんでした」
静かにそう言って、額をこすりつける。
その光景にロバートは腹を押さえて笑い出した。
「あーっはっはっはっは! なんだよ、マジで言いやがった! プライドねぇのかよお前は! あっははははッ!!」
ロバートはしばらく哄笑を続けていたが、突然、つかつかと歩み寄ってきて、グロリアの前に立つ。
「……謝れば済む問題じゃ、ねぇんだ、よっ!」
吐き捨てるような口調でそう言い、グロリアの後頭部を片足で踏んづける。
グロリアに抵抗するそぶりはなかった。
げしげしと蹴り続けられても、両手をついたまま土下座の姿勢を保ち続ける。
ロバートは積年の恨みがこもっている蹴りでグロリアをしばらく責め抜いた。
「貴様……百年前の恨み言をいつまで言い続けるつもりだ!? ここまで執着が過ぎるとただの逆恨みだぞ!」
その理不尽すぎる光景に、ザカリアスはわなわなと肩を震わせて怒った。
「仲間扱いされなかった……それだけでここまでの恨みにつなげるというのか! 恨むより前に、仲間と呼ばれるに至らなかった己の能力のなさを嘆くがいい!」
「――そんなもん、いくらでも嘆いたさ! 部外者がごちゃごちゃうるせえぞッ!!」
グロリアの頭に片足を置きながら、ロバートは凶悪な人相で吠えるように叫ぶ。
「逆に聞くが、どれだけ能力があればこいつの『仲間』としてふさわしいんだッ!? こんな、魔王すらひとりで倒すようなバケモノじみた女に、どうやって追いつけばいい! どうやったら対等な仲間ってヤツになれたんだよ!」
踏まれるグロリアは、黙ってその言葉を聞いていた。
ロバートはあらん限りの声で叫ぶと、拳を握り、眼下のグロリアを睨みつける。
「こいつはバケモノだ。バケモノの仲間になりにいった俺たちがバカだったのかもな」
「……『魔王すらひとりで倒す』と言ったが、お前たち仲間はそのときどうしていた? いったいどこにいた?」
腹の底から響く低い声でザカリアスが訊ねる。
それを聞いて、ロバートは「はん」と荒っぽく息をつくと、
「どうってことねぇ。“手を引いた”のさ。こいつには仲間なんて必要なさそうだったから、
その言葉にザカリアスは目を見開く。
彼の脳裏にある風景がよみがえった。
二本の短剣のみを携えて、魔王の間にやってきた女。
女のその顔は、自分が独りであることを受け入れきった悲壮な顔をしていると、やけに思わせた――。
――そういうことだったのか。
「……仲間としての承認に飢えたあげく、一方的に突き放し、死地に追いやっただと。どこまでも見下げ果てた行為だ。貴様と、貴様の仲間たちは――最低のクズだ! あげく逆恨みとは言葉もないッ! 恥を知れ!!」
ザカリアスは怒号し、悪竜のように吠える。
ロバートはその勢いに少し気圧されながらも、悪びれずに鼻を鳴らす。
「は、はん――死地に追いやったって、こいつにゃどうってことなかっただろ。結局、ひとりで魔王を倒しちまう程度にはな!」
「貴様らはこいつの仲間を自称するのもおこがましい! その口を閉じろッ!!」
今にもロバートを咬み殺しそうな勢いで迫るザカリアスは、そのとき小さく耳に響くか細い声を聞いた。
「いいんです……ザカリアス……私が間違っていたのは本当ですから……」
いいんです。
私のために怒らなくて。
聞こえてくる声に茫然として、ザカリアスはその場に立ち尽くす。
なぜ、怒らずにいられる。これだけ理不尽な目に遭わされて、なぜ、受け入れられる。
いくつもの疑問を浮かべては、目の前で実際に耐え抜くグロリアの姿に言葉をなくす。
ザカリアスは気付いた。今のロバートの姿に、誰よりも胸を痛めているのはグロリア自身だということに。
だから、罪を受け入れる。自分のせいでひとりの青年がこうなってしまったことを認めて、どこまでも罪悪感に押しつぶされそうになっている。
これが、勇者の姿。
ロバートは、土下座するグロリアのわき腹に蹴りを入れる。
体勢を崩して転がるグロリア。
その様子にロバートはひどく冷酷なまなざしを向ける。
「……もういい。今のお前を見てても面白くない。それよりもっと面白いショーの予定があるんだ」
そう言って、ロバートは視線を街中に向ける。
街ではあちこちに火の手があがり、キメラを排除しようとする人間たちの怒声と、キメラの咆哮がぶつかり合っている。
「俺はな、勇者の曾孫ロブとして、街中にばらまいたキメラどもを全部ぶっ潰す。
魔王が倒れた節目と建国百年を同時に祝う祭りにはちょうどいいパフォーマンスだろ。百年ぶりに古臭い伝説の更新だ――俺は、勇者の曾孫じゃなく、“勇者ロブ”として生まれ変わる!」
グロリアとザカリアスは同時に息を呑んだ。
狂気がかった計画を吐いた男は滔々と語りだす。
「百年経って、勇者ロバートの勇名はすっかり衰えちまった。今時英雄譚なんか吟じたところで子どもすら寄りつかねぇ。だが、俺は英雄の名にも寿命があることを受け入れた。だから次の伝説を打ち立てるつもりなのさ。お前らはそこで棒立ちして見てろよ。俺が新しい勇者として受け入れられるところをな」
「なっ……正気か貴様! 偽りの英雄として祭り立てられて、十分いい思いをしてきたはずだろう! このうえさらなる栄光を求めるというのか……!」
「求めるね。俺は百年間、勇者ロバートだった。だったら次の百年は勇者ロブとして生きる。それだけだ」
毅然と言い切ったロバートの目には迷いがない。
百年越しの怨嗟はとっくに狂気の域に達し、グロリアから勇者の名前からなにまで奪うことに執着している。
それを確信したザカリアスは、横目でグロリアを見やり、《
『お前はここを動けないな?』
『ええ……お嬢様がいますから』
『ならば、それでいい』
短いやりとりの末に、ザカリアスはばさりと己の背に竜の翼を顕現させた。
突然の行動にロバートが右手の魔法陣で牽制しようとするが、ザカリアスはかまわずに宙へと飛び立つ。
「なっ――テメェ、動くなっつの!!」
ロバートは空に向かって怒声を放つが、フィリアナに攻撃は加えない。
あくまでターゲットはグロリアのみであると絞り込んだようだ。
取り残されたグロリアに、ロバートは「フン」と冷笑を浴びせる。
「よくわかんねぇひきこもり野郎もどっか行っちまった。お前を見捨てたのかもな?」
「……そうじゃないと、思います。多分」
「ハッ、多分かよ」
ロバートは笑うが、そこにあるのは彼がフィリアナに背くようなことはしないだろうという信頼だ。
短い期間に、魔王をそこまで信じるようになっていた自分にかすかに驚きながら、グロリアはロバートを見る。
「……ロバート、あなたの計画、多分上手くいきませんよ」
静かにそう言うグロリアに、ロバートは「あ"ぁ!?」と凄んでくる。
だが、グロリアはあくまで動じず、ロバートの目を見据えている。
「ってまた多分かよ! ……それはあれか? お前が俺を止めて見せるっていうのかよ」
「……違います。私が動かなくても、この王都に住む人や、冒険者ギルドの方たちが阻止すると思います。だって、私がいなくたって、彼らは十分なぐらい強い。私はそれを知っている」
「……ハッ、そりゃどうだかな! いいか、祭りの当日にシルバー・ランクのトーナメントの予定を組んだのはこの俺だ! 格下の試合を格上が見に来ることはない。つまり今この街にはシルバー・ランク以下の冒険者しか滞在してないってことだよ! 警備兵や騎士団と戦力を合わせても、俺の作ったキメラ軍団が敗れることはない!」
「……本当にそうでしょうか?」
グロリアは静かに澄み渡った瞳でロバートを見つめる。
視線には大した圧はこもっていないはずなのに、ロバートはなぜかあとずさった。
グロリアの中には確信がある。
その根拠がわからず、ロバートはかすかに困惑していた。
「……減らず口叩きやがって。あんまりうるせぇとお嬢様の身がもたないぜ? 今は俺がご主人様なんだよ」
「……わかってます。でも本当のことですから」
グロリアはそう言って、視線を街中へと落とす。
そこに見えない何者かたちが、戦っているかのように――。
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