「それでは、当日までにこちらの物資の搬入をお願いします」


 王都ルベラの商工会議所で、ひとりの青年がにこやかに告げる。

 髪と眼の色は落ち着いた印象のブラウン。顔立ちもわりと整っている方で、老若男女に好感を与えそうな爽やかな風貌をしている。

 言い換えれば、そのルックスは人の心に入るのに何よりも向いていると言えた。


「ええ、承りました。あの勇者ロバート様からのご依頼ですからな、断ることなどできませんとも」


 対面にいるのは、商工会の会長。

 勇者ロバートの名を口にする彼の表情は興奮しており、青年を見つめる目にもどことなく熱がこもっている。


「そう言って頂けて曾祖父も喜んでいると思いますよ」


 青年は勇者ロバートの曾孫、ロブと言った。

 すでに若くして冒険者ギルドの運営を任されており、今は年老いた曾祖父の代理人として公の場に現れることも多い。

 そして今回は、アウロラ王国の王都ルベラで開催される百年祭に地元商工会とともに関わろうとしている。


 青年に渡された紙には、王都の中央広場を中心に、指定の荷物を配置する手はずが書かれていた。

 それをしげしげと眺めながら会長はつぶらな眼を細めると、


「しかし……ずいぶんと多いんですなぁ。これだけの数の配置が必要とは。そもそも、荷物の中にはいったい何が入ってるので?」


「それは……はは、百年祭当日のお楽しみですよ」


 当たり障りのない笑みで流し、出された紅茶を啜る青年。

 勇者ロバートが王都を巻き込んだスペシャルなサプライズをしたがっている、と曾孫のロブは伝えた。

 関係者にも中身は秘匿とされる荷物に疑問は残るが、商工会は勇者ロバート直々の協力の申し出に舞い上がっていた。

 近年、王都の商業にも商人ギルドが根を張るようになり、外国からの商売人が倍増した。地元の商工会の力は弱まる一方で、それを打開できるのがこの勇者ロバートとの協賛に思えた。


「まあ、魔術を用いた仕掛けというか、帝都の魔術協会との共同研究で開発した花火みたいなものですよ」


 青年ロブの言葉に、会長はふんふんと頷く。

 帝国からやってきた青年の言葉は、地元しか知らない男にとってなんとも先進的で魅惑的なものに思えた。


「楽しみになさっていてください、とてもすばらしいショーになるはずですから」


 そう言ってロブは微笑んだ。

 まるで本当に、素敵な夢を見せてくれると言っているかのように。




▼ ▼ ▼




 青みを帯びた長い黒髪と、月のように黄色い眼。

 この世のものとは思えない美貌の青年が、勇者グロリアの目の前にいる。


 彼は魔王。

 魔王ザカリアス。


 彼は魔王の玉座の間にて、グロリアを待っていた。


「フフッ……愚かな人間どもめ、必死にあがくさまで笑わせてくれるものよ。貴様、本当に我を倒して人の世界を救おうというのか」


 魔王は哄笑した。


「いくら人類の英傑、勇者と呼ばれる存在であろうと、たったひとりで我が元に来たということは死を意味するぞ! わかっていような――!」


 ――わかってる。


 仲間は離れていくものだから。


 ひとりで戦っている方が気が楽だ。


 その方が、誰も傷つけない。誰も、不幸にしない……。



「ひとりじゃないよっ、グロリアさん!」



 急に脇から元気のいい声がして、グロリアは「え?」と顔を上げた。


「ここまで長い道のりだったけど、皆一緒だからもう大丈夫! さあ、皆で魔王を倒そう!」

「アンタひとりをほっとけないだろ。今までさんざん一緒にやってきたんだ」

「足手まといかもしれないけど、一緒に戦わせて! グロリアさんっ!」


 そこにいるのは、決しているはずのない人々。

 魔王を前にするには非力な存在のはずなのに、その声は不思議とグロリアの心を昂揚させ、戸惑わせる。


 何故? どうして?


 私は百年前と、何も変わっていないのに……。



 切ないものが胸に落ちてきて、一粒の涙が片頬を濡らしたとき、グロリアは目を覚ました。

 とてつもなく昔の夢を見ていた気がするし、ちょっと違う気もする。

 だが、右の頬に流れる涙の粒は本物だ。グロリアは深夜に溜め息をつく。

 すると、自分の呼吸音に合わせて「ごろごろごろ……」と妙な寝息が響く。

 ん、と目を開けてみれば、腹の上でザカリアスが丸くなって寝ていた。


「なんで人の身体の上で寝てるんですか。」

「ぬああああ今日はちょっと寒かったからニャ……!」


 半身を起こすと、グロリアはザカリアスの首根っこを掴んで持ち上げる。


「なんで私のベッドにいるんです。あなたはお嬢様のペットじゃないんですか」

「あの娘のベッドに行ったら、深夜なのにテンションマックスで構われるに決まってるニャ……」

「……なるほど」


 ペット(魔王)にも切実な事情があるらしい。

 起こされたザカリアスは眠そうにあくびをするものの、「もう明け方近いし、庭で寝てるモグラでもからかって暇つぶしするかニャア」などと言って、グロリアのベッドを飛び降りる。

 猫になった魔王の限界娯楽を知ってグロリアは少しばかり哀れな気持ちにもなったが、本人は最近これで落ち着きかけているので、放っておく。

 だが、夢で見たかつての魔王の姿を、グロリアは忘れたわけではない。

 グロリアに生まれて初めて、心底からの敗北の予感を与えた存在は、ザカリアスだ。

 人外を超えた超常の力。剣と魔法を駆使して戦うグロリアに対し、彼は魔法の一手のみでグロリアを追い詰めた。

 何故、彼に勝てたのかは、実はグロリアが一番わかっていない。

 本来はあれほどの力を秘めていながら、彼がわずかな魔力と猫の身体で復活してくれたことに世の人々は深く感謝するべきだろう。

 今だって、彼さえその気なら、お屋敷のペットなんて身分を捨てることもできるのだし……。


「……そーいえば」


 はたりと足を止めて、ザカリアスは言った。


「さっき、昔の夢を見たのニャ。百年前のお前と、我の夢だったニャ」

「っ!」


 彼の驚くべき一言に、グロリアが反応する。

 すると、ザカリアスもその反応に驚きを洩らした。


「まさか………ううん、可能性はあるニャー」

「ひとりで何考え込んでるんですか」


 ザカリアスはうにゃうにゃ唸っていたが、やがて向き直り、話し始める。


「昔、お前が我を斬ったとき……我の返り血は《竜血の呪い》としてお前を呪ったニャ。その血は失われた我が魔力でできていた……つまり、お前の身体には我の魔力が蓄積されている状態ニャ」

「つまり……?」

「我の魔力と、お前に呪いとしてかかっている我が魔力が感応して、同じ夢を見た可能性があるニャ」


 ザカリアスはそう言って、ふんふんと鼻を鳴らす。


「今すぐにも取り戻したい魔力がそこにあるかと思うと……もどかしいニャアァ……!」

「……そういうことだったんですね。あなたが私と手を組みたがっていた理由とか諸々わかりましたよ」

「死んだ後も相手を祟るのが《竜血の呪い》、生き返った我にはメリット薄かったニャ……!」


 残念そうに唸るザカリアス。

 グロリアはネグリジェ姿のままベッドを出ると、扉の前に佇むザカリアスの身体を持ち上げた。


「魔力を取り返す方法は?」

「わかったら教えてほしいぐらいニャ」


「安心しました。じゃあ、私は寝ますので」

「ふごッ、体よく追い出すニャ! このこの!」


 持ち上げられた宙で身をよじりながらも、部屋から閉め出されるザカリアス。

 そのままにゃーにゃーうるさく抗議してきたが、「お嬢様を起こす気ですか」と言ってやり、完全に沈黙させる。

 ひとりの部屋に戻ったグロリアは、もう一度寝付こうと横になったが、いざ落ち着くと、あまり眠る気にはなれなかった。

 目を閉じると、あの夢の情景ばかりがよぎっては消えていく。




 ――魔王が、手傷を負い、激しく血を流しながらも、凄絶な美貌で笑う。



 勇者よ、たったひとりで我をここまで追い詰めたことを褒めてやる。



 たったひとりで。


 たった、ひとりで………。




(なんであのとき“ひとり”だったのニャ?)


 追い出された廊下を歩きながらザカリアスは思った。

 夢ではなく、本当の勇者グロリアは、孤立無援で自分に向かってきた。

 後から仲間がいたと聞かされたが、そうしたらそのときの仲間は何をしていた?

 魔王軍の情報では、勇者グロリア以外の報告は一切、存在しなかった。


(わけがわからんのニャ……)


 そして、後に彼女は仲間によって追放を受けた。


 それが何を意味しているのか。魔王にはまだわからない。


(だが、別に、構わんニャ。昔の仲間と何があろうが……)


 ザカリアスにとって、かつての宿敵の過去など気にしても仕方ない。

 しかし、何か呑み込みきれない思いが残る。その納得できない不快感が自分の胸にある理由を、魔王自身よくわからないままでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る