嘘と真実①
森から戻った後、ニーナたちはギルドで報告書作成にとりかかり、グロリアはザカリアスとともに先に上がることになった。
報告書の要である魔族との交戦を果たしたのはグロリアであるため、最初は手伝うと声をかけたのだが、戦闘で消耗しているはずだからと断られてしまった。
実際は大した消耗ではなかったが、今は彼らといると少し居心地が悪いのもあって、グロリアは従ってしまった。
あの戦いが終わった後の、彼らの顔色をまだ覚えていたからだ。
化け物扱いはさんざんされてきたはずなのに、とドレミー家に辿り着くまでの百年間をグロリアは回顧した。
グロリアを「強すぎる」という理由で敬遠したり、目の前から逃げ出したりした人々と、
(そもそも、私が初心者パーティーにお邪魔するのが間違いだったのかも……)
思えば、実力差があることは最初からわかっていたはずだ。
それでも最初は彼らもグロリアの強さを称えてくれたが、グロリアが本気に近い力を出したらあの反応だ。
彼らの落ち込む顔が見たかったわけではない。
だが、グロリアが実力を発揮すると、そういうことになってしまう。
(……パーティーに長居しすぎたのかもしれませんね)
ほどよい距離感で留まっていれば、何事もなかったはずだ。
彼らの向上心まで奪いかねない自分は、パーティーを出た方が良いのかも――そう思ってグロリアは空を見上げた。
空の端は赤く染まり、夕方が近い。
グロリアは今まで自分の考え事に手いっぱいで、足元を歩くザカリアスの元気がないことに気付かなかった。
『まだ落ち込んでるんですか?』
『元気が出るわけにゃいニャ……』
街中で人目もあるため、《
ザカリアスからすれば、やっと会えた魔族にこけにされまくって、魔族の復活はないと宣言されてしまったのだ。
同胞たちとの再会を夢見て今までやってきたのだから、落ち込むのも必然というもの。
だが、こんなに元気がなくては問題だ。フィリアナが心配するに違いない。
そう思ったグロリアだが、かけるべき言葉というのがいまいちわからない。
『まあ、まあ、彼女の言うことが魔族の総意とは限らないですし』
『………』
『お嬢様がお屋敷で待っていますよ。早く帰って夕飯にしましょう』
『…………』
だが、ザカリアスは一向に元気を出しそうにない。
改めて彼の落ち込み方が重症であることを悟ると、グロリアもかすかにため息をつく。
「……ん?」
ギルドを出て帰路につく中、人通りの多い通りに出たとき、グロリアはその人影に気が付いた。
バラーダだ。
彼はひとりではなく、両隣にそれぞれ男たちがついて歩いている。
二人とも、大柄で屈強そうな印象の男だった。
バラーダはこちらに気付く様子はなく、人目を避けたいのか男たちとともに狭い路地裏に消えてしまった。
行き先は、飲み屋が続く繁華街だろう。
『役人の方がこんな時間に……』
『怪しい動きだニャ』
頭の中でつい洩らしてしまった呟きに、ザカリアスが反応する。
ザカリアスは彼らが消えた方角を睨むように見ていた。
夕刻、ますます盛りを増す街に、意地悪で堅物の役人はどう考えてもミスマッチだ。
隣にいた男たちも飲み友達にしては人相が悪すぎる。
グロリアとザカリアスの足は自然と彼らの消えた方角に向いていた。
『これで弱みでも握れたら楽しいもんだニャ! 絶対何か握ってやるニャ!』
『まだ黒い付き合いとは決まってはいませんが……もともと彼はお嬢様へのあたりが強すぎて、そのあたり気になってたんです。人柄を知る良いチャンスです……!』
メイドと黒猫は人通りの中を駆けて、彼らを追い、裏通りに入る。
バラーダたちを探すと、彼らはある酒場を裏手に回っていったところだった。
グロリアたちもその後を追う。
「いよう、メイドさん」
「なんか用かい」
すると、行き当たったのは別の人相の悪い男たちだった。
彼らは表とは別の出入り口を守っているらしい。
グロリアは適当な挨拶をし、ザカリアスを抱きかかえて早急にその場を去る。
『裏口を守らせてる酒場……どう考えても怪しすぎるニャ!』
ザカリアスが半ば興奮気味に《
グロリアも当然、怪しいと思った。
だが、嗅ぎ回ろうにもグロリアの格好は悪目立ちするし、コネもないのにあの裏口を突破できるとは思えない。
『私ではここで限界です……』
『うぐぐ、ここまできて口惜しいニャ……!』
『だからあなたの出番ですよ』
『へ?』
ザカリアスは驚きのあまり目を見開いた。
そこには、無表情なのに目をキラキラとさせるメイドが自分を見下ろして立っていた。
『小さな足音、身軽な体躯、物陰に紛れやすい毛並みの色……どう考えても潜入向きです。あなたはこのために猫に生まれ変わったんです。そうに違いありません』
『お前、我に無茶なこと頼んでるのになんかイキイキしてるニャ……』
『気のせいです』
ザカリアスは呆然としてグロリアを見た。
だが、言われてみれば適役な気もするし、他にバラーダに辿り着く手段もない。
渋々ながらにザカリアスは偵察役を引き受けることにした。
『中で見たもの聞いたものは《
『お気をつけて。見つかったら何をされるかわかりませんから、くれぐれも慎重に』
『プレッシャーかけるにゃ!』
ドキドキの潜入捜査、開始。
ザカリアスは己の足音に消音の魔法をかけ、さきほどの裏口の付近まで近づく。
木陰に隠れて様子を伺うと、一人の男が裏口の方に回ってきて、門番の男たちと少し言葉をかわし始めた。
「遅かったな? へへ、野暮用か?」
「ま、そんなところだ」
「アッチはもう来てるぜ。入りな」
どうやら裏口を使うらしい。
ザカリアスは音もなく忍び寄って、やってきた男の足元にばれないように纏わりついた。
裏口が開いて、男とともに中へと入っていく。
入るとそこは狭い廊下になっていた。酒場のホールと扉でつながっているらしく、中はアルコールとたばこの匂いで溢れ返っていて、動物の鼻には少々きついぐらいだったが、ザカリアスは怯まずに男の後をついていく。
男は突き当たりに一個しかない部屋の前で立ち止まり、ノックもせずに入室した。
ザカリアスは閉まるドアを軽く押し、中の様子を見るためのわずかな隙間を作った。
「よう、遅かったな。今日はあの人は来れないってよ」
「俺たちだけで定期報告を受けろってことだと」
「そうか。バラーダさん、アンタ調子はどうだい」
バラーダはにやついた男から声をかけられて、露骨に嫌悪の表情を浮かべた。
「チッ、よくないのを知っていて聞いてるのか」
「おっと、すまねぇ。アンタもがんばってるんだもんな?」
「まったく、忌々しい連中だ……!」
男たちが笑い、バラーダの頬が怒りで紅潮する。
『……どーやら仲良しではにゃいみたいニャ……』
その様子を見て、ザカリアスが感想をこぼす。
『友達付き合いではないとしたら……なんだっていうんでしょう?』
『大方、考えられるのはひとつだニャ~……』
男たちから金を借りている。
ザカリアスが予想するのはそんなところだ。
借金を背負うフィリアナをさんざんなじっておいて、自分も借金しているなんて笑えないが。
(それさえつつけば、おとなしくなって態度も軟化するかニャ……)
その後、今ひとつ具体的な話題が上がらないまましばらく経った。
「そういやぁ、明日はついに祭りだな」
「ああ、昼から飲めるぜ!」
「お前はいつも朝から飲んでるだろ。……そうだな、儲け話でも転がってりゃいいんだがな」
不意に男たちが百年祭を話題に出すと、またもバラーダの顔色が曇る。
それに気付くと、男たちはまたにやにやとし始めた。
「楽しみだよなぁ、勇者ロバートの式典がよ!」
男たちは爆笑し、酒を呷る。
バラーダは、下品な連中とは一線を引くようにフンと鼻息をつく。
だが、その態度を面白がるように男たちは囃し立てた。
「今、この王都で勇者ロバートと聞いてそんな反応するのアンタだけだぜ?」
「式典には曾孫の方が出るって話だし、アンタも見ておかなきゃ損だぜ」
「誰が見るものか! あんな偽善者の晴れ姿など……!」
しつこく絡まれ、バラーダは怒りをあらわに言い返す。
その言い様にザカリアスは首を傾げた。
『……勇者ロバートの、曾孫? のことが嫌いみたいニャ』
『? どうしていきなりその名前が出るんですか』
『我もわからんニャ』
不思議そうにしながら話を聞いていく。
その話でヒートアップしたバラーダを笑い、男たちは次々と言う。
「さすが勇者様の曾孫、借金200万ゴールドで困ってる役人を助けてくれるなんざ、お優しいねぇ」
「なのにアンタときたら貧乏貴族の娘に自分の借金肩代わりさせて、悪どいったらないぜ」
それを言われて、バラーダはこれ以上なく顔を赤く染めると、酒のグラスをテーブルに叩きつけた。
「それを全部させているのはあの男だ!! 私の借金を肩代わりすると言って、私を自分の専用の駒にしたんだ!
わざわざ小作人一家を攫ってそれっぽく偽装までしてな! だから誰も好きこのんで貴族の娘を苛めているわけではないっ!
貴様らもあの男の手駒のくせに、偉そうにするな!」
矢継ぎ早に繰り出された発言。
それらを受けてザカリアスは激しく動揺した。
『200万の、借金の肩代わり……!?』
『どういうことですか?』
思わず口をついた一言に、グロリアが聞き返す。
男たちの発言と、バラーダの発言。
それらを合わせると、ありえない真実が浮かび上がった。
『……ロバートの曾孫だニャ』
『え?』
『そいつの仕業だったのニャ――!』
バラーダの借金につけこんで言うことを聞かせた挙句、ドレミー家の経済状況を悪化させた。
それがロバートの曾孫のやったことだと彼らは言う。
『なぜ? 彼の曾孫が、どうしてドレミー家を追い込む真似をするんです』
『理由はわからんニャ! ただ、とんでもにゃいことが起きてたんだニャ……!!』
ザカリアスは興奮のままに念じているうちに、周りの気配を感じ取るのがおろそかになっていた。
「――おっと、こんなところにかわいい猫ちゃんがいるぜ」
上から降ってくる野太い声。
ザカリアスは一瞬の油断から後れを取り、首根っこを掴まれて持ち上げられてしまう。
その物音に気付いた他の男たちも次々と廊下に押し寄せる。
ザカリアスは宙に吊られ、人相の悪い男と対峙しながら、これから待ち受ける仕打ちを思って恐怖する。
(やばいニャ……!!)
「勝手に入り込んだのかぁ? クク……悪い猫ちゃんだぜ……」
「たっぷりかわいがやってやらねーとなぁ……」
(ギャーーーーーッッッ!!)
「う~ん♡ もふもふでちゅね~♡」
「勝手に入ってきたりして悪い子でちゅ~♡」
「真っ黒くてツヤツヤ~♡ ブラシかけてもらってるんでちゅね~♡」
(ギャーーーーーーーーーーーーッッッッッ!!!!!)
男たちはザカリアスを奪い合うようにしながら我も我もと撫でたがる。
屈強な腕の間を行ったり来たりさせられ、全方位から触られまくるザカリアスは恐ろしさに震え上がった。
男たちはたいそう猫好きだったらしく、命は救われたが、本当の意味で救われたのかはわからない。
しばらくの間、ザカリアスは揉みくちゃにされ、「疲れてるみたいだからお家に帰してあげなきゃ♡」という理由で解放されたのだった。
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