月下のかたらい

 ザカリアスはバルコニーにいた。

 月光浴をしながら、昼間のことを振り返る。


(あいつら、元気にしてるかニャ……)


 けなげなゴブリン家族。冒険者パーティーのおかげで、しばらく彼らも食料には困るまい。

 ザカリアスは黄色い眼を細めた。

 そこへグロリアがやってくる。もう遅いというのに、メイドの格好のままだ。


「こんなところで何してるんですか」

「月光浴は魔族の嗜みニャ」


 そうですか、とさして興味もなさそうに言って、グロリアはバルコニーのテーブルに裁縫道具を広げる。


「娘はもう寝てるのに、まだ仕事するのかニャ」

「お嬢様が寝てらっしゃるからですよ。起きてらしたら止められてます。

幸い今日は月が明るいですから、蝋燭代の節約にもなりますからね」


 涙ぐましい倹約っぷりだ。

 せっせと繕い物を始めるグロリアを横目に、ザカリアスは大きなあくびをひとつ。


「……昼間のあなたは意外でしたね。ゴブリン親子を前に必死になって」


 ザカリアスは、自分の心の中が読まれていたかのような言葉にギョッとした。


「べ、別に普通ニャ! 魔王にとってすべての魔物は臣下ニャ。それにあの兄弟ゴブリンたちが、母親は元魔王軍だったと言うから……つい、昔を思い出して」


「昔?」


「我が、魔王になるきっかけニャ。その昔、魔族の世界は色んな一族の連中が権力を巡って酷い有り様で、我はそれで魔族の世界全体に未来はないと思ったニャ」


「……それで?」


「魔族を統一し、平和をもたらすために我は魔王になったニャ」


 その言葉を聞いた途端、グロリアは驚いた。裁縫の手が止まる。


「あなたそんなに平和主義者だったんですか!?」

「平和のために、大きな争いもたくさん乗り越えたニャー。一見矛盾してるようでも、我にはそれしか道がなかったからニャ」


 ザカリアスは過去を振り返る。

 厳しい戦いの果てに掴んだ、魔王の玉座。

 そこからも魔族全体の統治は大変なものだったが、ザカリアスには支えてくれた魔王軍の臣下たちの存在があった。そんな魔王軍は下っ端に至るまで、大切でいとおしい子供のようなものだ。

 グロリアはぽかんと口を開けていた。


「じゃあ、人間と戦争していたのは……」


「あー、それは魔族を統一して新魔王になった我の存在にビビった人間が、一方的に宣戦布告してきたからニャ。こっちは魔族の平和を守ろうとしているのに、ケンカ売られたから困ったもんだったニャ。結局ケンカを買って、こっちの安定のために人間根こそぎ滅ぼすってことに踏み切ったけどニャ」


「……………」


 グロリアは完全に沈黙した。

 ザカリアスは知らないが、当時の人間にとって魔王は、一方的な我欲で人間を攻め滅ぼすのだという認識だった。

 そこにはこんな真相があったとは。


「……あなたの決まり文句が『フフフ、愚かな人間よ……』だったのは本当のことだったんですね」


「人間が愚かなのは仕方ないことニャー」


 グロリアは、はあ、と溜め息をひとつついた。

 ザカリアスは、人間が思っていたよりもずっと人格を伴った魔王で、平和の理想を掲げた善良な統治者だったらしい。魔族側にとっては、だが。

 行き違いで戦争になってしまったのは悲しいが、過ぎたことがどうにかなるわけでもないし、ザカリアスも今はただの猫ちゃんだ。


「今じゃ我以外の魔族は散り散り、人前にろくに姿を現わさないというから困ったもんだニャ……」


「あなたが討たれたのがよほど衝撃だったんでしょうね」


「うニャ。それに、お前の冒険稼業に付き合えば、我の魔力復活の手がかりがあるやもと思ったが……駆け出しに割り振られる仕事じゃ厳しそうだしニャ~」


「……やっぱり魂胆があったんですか。抜け目のない猫ですね」


「うるさい! 大体魔力が戻らないのは誰のせい……ふごふご」


「?」


 グロリアは急に口をつぐんだザカリアスを不思議そうに見る。

 ザカリアスは露骨に気まずそうに目を反らすばかりだった。


「というか……やっぱりまだ魔王として返り咲くことを考えてるんですか?」

「それはもう、当たり前ニャ!」


 ザカリアスはしっぽをピンと立て、自信たっぷりに告げてきた。

 グロリアはここでもひとつ小さく溜め息。


「またそんな世迷い言を……あなたがたとえ復活してもまた倒せばいいかと思って放っておきましたけど、借金返済を邪魔するようなら考え物ですよ」


「えっお前今さらりとすごいこと……」


「私はお嬢様とその暮らしを守りたいんです。余計なことしたら怒りますからね」


 今度、黙るのはザカリアスの方だった。

 何事もなかったように裁縫を再開するグロリアを見上げて。


「お前……我が復活して人類が危機に陥ることよりも、あの娘の方が大事なのかニャ?」


 グロリアは振り返りもせず言った。


「そうですよ」


「にゃにィーッ!? お前それでも元・勇者かニャ!!??」


「昔ならともかく、今はお嬢様のメイドですから」


 ザカリアスはグロリアの言い切りように驚嘆する。


「お前、本気かニャ……」


「そりゃそうですよ。あなただって、自分にとって何が大事かってだけで人間と戦争したでしょう。大事なものがあるということは、他に何を切り捨てられるかということじゃないですか」


「…………なるほどニャ。」


 ザカリアスは頷き、グロリアは裁縫を続ける。

 繕っているのは、フィリアナの服だ。家事に向いたデザインではないので、激しく動くとほつれてしまう。

 メイドの代わりに家事だなんて、変わったお嬢様だ。

 グロリアは自然と微笑んでしまい、ザカリアスに不気味がられた。


「まったく、明日もギルド通いだというのにお前も仕事中毒だニャ」


「私はメイドの仕事、大好きですよ」


「メイドの仕事というより、あの娘に仕えることじゃないのかニャ?」


「………ふふ、鋭いですね。あなたにしては――」


 明るい月明かりの下。

 二人は語らう。


 百年前、こうなることなど予想もしなかった二人が。

 

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