再会のあしおと
ドレミー家の唯一のメイド、グロリアは買い物から帰る途中だった。
石畳をカツカツ鳴らして歩くのに合わせて、顔の横の三つ編みも揺れる。
王都の中でも古い地区で、貴族たちの住まいは新しく華やかな土地に次々と移ってしまったが、その中でもドレミー家は建国当時から変わらずずっとここに住んでいる。
グロリアは買い物の荷物を抱えながら、角を曲がり、お屋敷の近くの路地に入った。
「フフ……“真の勇者”が買い物とは、平和になったものだニャ」
すると、グロリアにどこからか声がかかる。
グロリアはその言葉を聞いた途端、大きく反応した。
声のした方向を探すように視線をあたりに送る。
そしてちょうど背後の建物の塀の上に、ひとつの影があった。
黒い影のような形のものに、グロリアがじっと目を凝らす。
それはやがて
たっ、と軽やかに着地したその姿に、グロリアは思わず困惑する。
「猫………?」
真っ黒い毛並みに、大きな瞳。しなやかな手足。どこからどう見ても一匹の黒猫。
グロリアの困惑を楽しむかのように、意地悪い声は笑った。
「フ……フフフ、今はそう見えても不思議はないニャ。
だが、こんな姿にも利点はある。お前の魔力を感知して、辿り着くのも容易だったからニャ――」
「ッ――……!?」
黒猫はさきほどの声で笑いながら、魔力という言葉を口にする。
この世界で魔力とは限られた人間のみが持つ才能のようなもので、ただのメイドであるグロリアには似つかわしくない言葉だ。少しでも魔力を持っているものは魔術師の端くれをやっていた方がメイドよりよっぽど稼げる。
だが、グロリアはさっきからこの猫が使う言葉にずっと動揺していた。
普段は冷静な表情にひとすじの汗を伝わせ、黒猫と向き合う。
「あなたは誰ですか?」
黒猫はそれを聞かれるのを待っていたと言わんばかり、胸を反らして獅子のように誇った。
「我が
グロリアは停止した。
その様子を見て、魔王を名乗る黒猫は満足そうに笑う。
「そんなニャーニャー言ってる魔王いるわけないじゃないですか。」
「うおぁあああぁ! 言ってはにゃらないことをぉおお!!」
冷静にツッコミを入れるグロリアに、地べたでバタバタ暴れる猫。
そこにさっきまでの不敵さはかけらもない。子供のような妙に甲高い声で、ギャーギャー喚き散らすこの不思議な生き物からは、魔王といういかめしい響きは何よりも遠く見えた。
「フンッ――目にもの見せてくれるニャ、まだこれぐらいの魔力は残ってるはず……!」
そう言って、体勢を立て直すと、魔王(?)は頭を低くし、獲物を狙うような仕草のまま、「ハァッ!」と気合を入れた。
路地に伸びる小さな影が不気味にうごめき、ひとりでに動き始める。それはやがて大きく広がって、巨大な竜の禍々しい輪郭を浮き上がらせた。
暗黒竜ザカリアス。影を見て、その名前を思い出したグロリアは、思わず緊張を覚えた。
忘れられるはずがなかった――彼女が、メイドのグロリアが、”真の勇者”である以上。
「本当にあなたなんですね、ザカリアス」
確信したグロリアは静かに言う。その視線の先は、「ふぃ~」と一息ついて、顔をなめる黒猫――魔王ザカリアスの姿があった。
もう路地に巨大な竜の影は見えないが、それがなくてもグロリアに疑う余地はない。
「百年前、我は戦いの中で貴様に負けることを確信し、生身の身体を捨てることにしたのニャ。肉体が死を迎える直前、とっさにコア化させた魂をエーテル世界に飛ばし、魔力が微量ながらも復活した頃、仮初めの肉体を纏って降り立ったのが昨日ニャ………一応言っとくが、選びたくてこの姿のわけではにゃいからな!」
身の上話を終えたザカリアスは溜め息をついて、ちょこんと耳を垂れさせた。
「それはいいんですが……なんで私のところに? まさか復讐ですか?」
「そう! それが一番大事な話ニャ……ってお前なんで買い物のダイコン構えてるニャ! それで我を撲殺する気かニャ!」
グロリアが雪のように真っ白いダイコンを片手にじりじりと間合いを詰めてくるので、ザカリアスは全身の毛を逆立てて悲鳴をあげた。
「わ、我は邪竜ニャ! 邪竜を討った者には呪いがある――お前も身をもって知っているはずニャ!
我にとどめを刺したとき、我の血を浴びたお前には、我の《竜血の呪い》が降りかかっている。だからこそ戦いから百年経った今も老いずにその姿を保てているのニャ!」
「……なるほど。大体そんなことじゃないかと思ってましたが」
「どうかニャ? 勇者がメイドなんぞにまで落ちぶれて、さぞ惨めな暮らしをしているに違いないニャ。
さきの戦いの禍根は忘れてやるから、我と手を組み、魔族の覇権復活、人類の滅亡をもくろむというのは……」
にやり。邪悪さを思わせる笑みで、黒猫はメイドに問う。
グロリアは数秒停止すると、思い出したようにダイコンをしまい、
「やるわけないでしょう。あと、メイドは好きこのんでやってますし」
と、くるり踵を返してこの場を去ろうとした。
そこへ「うにゃあああああ!!待つのにゃああああ!!!」とすさまじい絶叫をあげながら追いすがるザカリアス。
「ま、待つのニャ勇者よ! の、望みはないかニャ!? 財宝とか名誉とか美女とかとにかく好待遇にしてあげるニャっだからだからおねがい我と手を組んでええええええ」
みっともないぐらいの粘り方に、グロリアはひそやかに眉をひそめる。そして足元にだばだばと纏わりつく黒猫を見下ろした。
「何度でも言いますが、私は今の生活が好きです。あなたの言うものは何も望みません」
「しょ、しょんにゃぁ……」
「あと、よりによって頼れるのが仇敵の私なあたり、本当に孤立無援みたいですね。魔力も大して戻ってないみたいだし、放っておいても問題なさそうですから」
「えっ、まさかほんとに……」
「さようなら」
と言ってグロリアは突然走り出し、足元のザカリアスを振り払った。
その速度は、あまりにもすさまじい。
「そそそそ、そんにゃ~~~~~!!?」
やがてグロリアは屋敷に入るや、完全に門を締め切る。
その前に辿り着いたザカリアスは、あまりにも高すぎるその門の前で脱力した。
「ふ……ふにゃぁ~~~……まだこの身体、そんな使い慣れてないから、昇れないのニャ……!」
「あ、そうそう、思い出しました」
門の小窓から顔を出すグロリア。
「この近所の野良猫、強いので気をつけてくださいね」
「えっ………」
そしてパタリと閉められる窓。
ザカリアスは言われたことを考えている間に、後ろから禍々しい気配が。
『ヒヒッ、親分、見たことねえツラの黒猫がいやすぜ……』
『どうやらトラジロー親分に挨拶するのを忘れちまったようだなぁ~』
『とんだおのぼりさんだぜぇ……』
にゃーにゃーと不気味な声。
ザカリアスは感じたことのない恐怖を覚える。
その後、ドレミー家のお屋敷の方から、一匹の猫の悲鳴が上がった。
「あら? 最近あの子たち大人しかったのに……変ですわね、グロリア」
「ええ、季節はずれの盛りがついたのでしょうか」
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