魂ヲ搾取スル者①
グロリアが朝の洗濯を済ませ、いつものように冒険者ギルドに向かおうとしたとき、来客があった。
査察官のバラーダだ。
「それで、本日はどういったご用件でして?」
約束もない来訪にもフィリアナは丁寧な物腰を崩さず、彼を屋敷へと通すと、グロリアにお茶を出すよう命じた。
バラーダのいつかの非礼を忘れたわけではないはずなのに、フィリアナは毅然としている。
その態度が気に食わないとでも言うように、バラーダは最初から不機嫌だった。
「いやなに、貴家の借金返済ペースがあまりにも遅いので、その点をご忠告せねばと思いましてな」
ふん、と鼻を鳴らし、バラーダはつまらなさそうに告げた。
借金という避けられない話題に、かすかに複雑そうな顔をしながらも、フィリアナは堂々と言い返す。
「返済自体は順調ですわ。それを早いとするか遅いとするかは個人の見解ですけれど」
「言い訳が達者でおられる……そんな調子では、債権者は納得されませんぞ?」
債権者、フィリアナの消えた小作人が金を借りた相手とは、直接対面したことがない。
相手との関係もバラーダが取り持ってくれているからだ。
「あまりにも鈍重な支払いペースでは、債権者の方が痺れを切らして支払期限を縮めてもおかしくはない。そうなっては分が悪いのはそちらでしょう」
フィリアナは黙りこくった。
正論だ。
主な収入をメイドのグロリアの冒険者稼業に委ねている以上、主として大きな口も叩けない。
膝の上で組んだ手を震わせて、フィリアナは屈辱に耐えた。
「失礼いたします。お茶のおかわりをお持ちしました」
そのとき、奥に引っ込んでいたグロリアがティーポットとカップの乗ったトレーを持って戻ってきた。
不意の登場の仕方にフィリアナが顔をあげてポカンとする。
グロリアはバラーダ側に立つと、湯気の出なくなった紅茶を下げて、新しいカップに熱い紅茶を注ごうとする。
「お茶のおかわりなんていらな……」
バラーダはそう言って払いのけようとしたが、グロリアはお茶を注ぐ手を止めない。
「どうぞ、当家秘伝の紅茶になります。ぜひご堪能を――あっ」
「あづづづづ!! あつううういっ!!!」
グロリアの手元が狂ったのか、ポットの注ぎ口はバラーダの膝に向けられて、熱い紅茶がなみなみと注がれる。
熱さを叫ぶバラーダに、グロリアは頭を下げる。
「申し訳ございません。手元が狂いました。なんとお詫びすればよいやらで……」
「だったらなぜポットを傾け続けているんだーッ!!」
「は、私としたことが、つい……」
言っている間にポットの中身が尽きてアツアツのお茶攻撃は止まる。
バラーダは席から飛びのくが、下半身はほぼお茶で濡れて、まだほんのり湯気を立てていた。
「も、申し訳ありません、バラーダさん! 何かお着替えになるものを……」
「亡くなった旦那様がお嬢様を喜ばせるために買ったピエロの衣装がまだ残っていますが」
「ええい! そんな面白い格好で帰れるか! このまま帰らせてもらう! なんて無礼なメイドだ!!」
お茶で濡れそぼったズボンの不快感に耐えながら、バラーダは部屋を出る。
廊下には一匹の黒猫がいて、バラーダと目が合うなり「フシャーッ!!」と牙を剥いて威嚇してきた。
「っ……訂正する、無礼なのはこの屋敷全体だ!」
捨て台詞を吐いてバラーダは屋敷を去る。
その姿が戻ってこないようにとザカリアスは屋敷の玄関からずっと睨みをきかせていた。
「……もう! いけませんわよ、グロリア。あんなことをしては」
「申し訳ございません。お嬢様がなじられるのを聞いていられなくて」
一緒にお茶で濡れた家具を掃除しながら、グロリアはフィリアナに詫びた。
ギルドのブロンズ・ランク冒険者ではまだまだ稼ぎが小さい依頼の方が多い。
それでも数はこなしているので収入にはなっているが、200万ゴールド完済は遠い目標だ。
トーナメント優勝で賞金を得られなかったことが痛い。
「ふふ、私はなんとも思ってませんことよ。グロリアは優しいんですのね」
フィリアナは仕方なさそうに笑ってグロリアを見た。
「私は、グロリアと二人三脚で借金返済しているつもりですわ。グロリアの確かな力を感じられるから、借金への不安もないまま今も戦えているんですの。一緒なら、大丈夫ですわ」
気丈にそう言って、フィリアナは床をふきんで磨いていく。
「私も、家事がだいぶ様になってきていますもの! 二人で頑張りましょうっ」
「にゃ~」
いつの間にかいたザカリアスが鳴き声をあげると、フィリアナは頬をとろけさせてペットを抱き上げた。
「マオちゃんもいるから、三人でしたわね! 三人で頑張りましょう~っ!!」
ザカリアスを腕に抱いてご機嫌なフィリアナを見て、グロリアもまたかすかな微笑みを浮かべる。
この笑顔を守るためなら、グロリアは何と戦ってもいいという気分になる。
愛すべき主人を見守りながら、グロリアはふと何か忘れていることがあるような気がした。
「あっ……皆さんとの約束の時間です! ギルドに行かなくては!」
「いってらっしゃい~! お夕飯も頑張って作って待ってますわ~!」
▼ ▼ ▼
「まさか、王国からの直々の依頼にボクたちが指名されるなんてねーっ」
歩きながらニーナは興奮を隠さずに言う。
彼女の言う通り、今回のクエストは王国からの要請だった。
大抵、そういったクエストは高位の冒険者がつくもので、
「きっと、トーナメントで活躍できたからだよ。ボクたちかなり評価されてたりして!」
「調子にのんじゃねーよ、ニーナ。戦力をあてにされてるのは多分グロリアさんだ、なんせ大会で一番活躍してたからな」
ため息まじり、ニコラはニーナを諫める。
いつものようにザカリアスを肩に乗せたグロリアは、話題に上がったことに「え?」と意外そうに聞き返した。
活躍したのは全員だと思っていたからだ。
「試合での活躍と、妨害で召喚された巨大モンスターを撃破した功績がなんと王族の耳に入ったらしい。今回のご指名もその王族関係者からの一押しだってギルドじゃもっぱらの噂だぜ」
「すごいや! グロリアさん、王族に知り合いができちゃうかも」
「グロリアさんぐらい活躍したのに、偉い人の耳に届かないなんてありえないもんね」
三人は口々にグロリアを誉めそやす。
グロリアは黙って聞いていたが、自分ばかり持ち上げられるのは落ち着かない。
「私の活躍よりも、皆さんの活躍も評価されるべきだと思いますが……」
「あっはは! ボクなんてまだまだ、グロリアさんには到底敵わないよ!」
「誰もアンタとは比べ物にならねーよ。ウチの不動のエースだもんな」
「うんうん……! グロリアさんはすごい! ってことで」
彼らはそれぞれ笑顔で言葉をかけて、グロリアの返事を困らせた。
一目置かれすぎると、却って居心地が悪くなる。
彼らの悪意のない褒め言葉を聞いていると、なぜか逆に彼らとの距離を感じ、少し寂しい気もした。
そんな心中を悟らせないよう、グロリアはいつも通り振る舞っていたが、ザカリアスは何か思うところがあるように視線を寄せてきた。
「おい、君たち! おしゃべりもいいが、道中でも緊張はしていてくれ。我々もこの件には最大級の警戒心を持って当たっている」
引率を担当する警備隊長が振り返り、
たわいもないおしゃべりを見咎められたグロリア以外の三人は、ギョッとして警備隊長を見る。
「は、はひ! すみません……」
「面目ないッス」
「ごめんなさい……」
「まったく、町内のお楽しみキャンプではないんだぞ……」
警備隊長も呆れてため息をつく。
彼女は四十に届くかどうかの年代で、赤茶色の髪に日焼けした肌の精悍な女性だ。
「今回の事件は不可思議な点が多い。冒険者としての君たちの知見を借りたいのだ」
一週間ほど前、森の警備にあたっている兵が何人も倒れて見つかったとの報告があったらしい。
全員、ひどく衰弱し、死んだ者はいないが、未だに誰も意識さえ戻らないという。
この森の近くには村もあり、王都に向かうには最短の道となるため、通行者も多い。
警備が不在では盗賊や魔物の被害が懸念されるため、早めの解決が求められた。
「人か魔物の仕業かもわからぬのが現状だ。諸君らには現場で原因を突き止める手伝いをしてもらいたい」
警備隊長は凛々しく歩を進めながらそう言う。
「別の部下たちが先に向かって調査している。何か伸展があればいいのだが……」
「何か魔術的な攻撃という可能性はあるんですか?」
ニーナが勢いよく手をあげ、質問する。
「分析の結果、薬を盛られた可能性は薄いそうだ。となると……やはり魔術が行使された可能性が高いが……」
魔術といえば。
グロリアはふと思い立ち、声をひそめながら隣のルカに訊ねた。
「ルカさん。あれから調子はどうですか」
「うん、実はね、あれから《
「?」
グロリアが不思議そうにしていると、前方で警備隊長が声をあげた。
「そろそろ警備の小屋だ! ――ッ!?」
女警備隊長が声をあげたかと思うと、驚きで呼気を止める気配が伝わった。
彼女はすぐに駆け出し、
小屋の周りには、すでに人が倒れていた。
「おい! お前たち、しっかりしろ――! いったい何があったというんだッ」
彼女はしきりに部下に聞いて回るが、答える者は一人もいなかった。
すべて、気を失っている。
ザカリアスは地上に降り立ち、辺りの状況を見回し始めた。
ニーナたちも倒れた人々を気遣って声をかけ始める。だが、やはり報告通り簡単に目覚めるわけではないようだ。
グロリアは倒れている警備兵たちの様子を見た。彼らにはそれぞれ武器を抜いた痕跡がある。
彼らは皆、交戦したのだ。
そのことに気が付いたグロリアは、周りに警戒を以て呼びかける。
「皆さん気を付けて! まだ“近く”にいるかもしれません!」
「――せーぇ、かぁーい」
突然、少女の声が降ってかかったかと思うと、グロリアの背後にあった木が両断された。
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