第32話 アンソニーと図書館で

 そうして、また一週間が過ぎた。

 部のオリエンテーションも終わり、私たちの知的ボードゲーム制作委員会なるものは、全員の都合のいい金の曜日の放課後と、隔週で日の曜日の午後に開催することに決定した。


 そして迎えた土の曜日。

 残念なことに、ヨハンは王宮へと公務のために戻っている。午前中は勉強をしていたものの、せっかくなので午後には馬鹿でかい学園の図書館を堪能しようと、一人でやってきた。


 ヨハンと来たこともあるけれど、全体像は掴めていない。課題に必要になりそうな本のエリアは、ご親切にも講師が予め講義の中で場所を教えてくれる。

 今日はこの中をさまよってみようと、冒険者気分でやってきた。


 いざ、探索だ!


 国の威信をかけたであろうこの図書館は、目も眩むような美しさを誇っている。まるでコンサートホールのように本棚がそびえ立ち、入ってくる生徒を出迎える。


 教会のような厳かな雰囲気を持つ本棚の中を奥へ奥へと歩いていくと、突然カラフルな色彩が目に入った。


「画家の紹介かしらね……」


 アンソニーの名前も目に飛び込んできた。

 彼の絵画は変態発言が大好きな性格に似合わず、モネやターナーのように明るくふわりとした前世でいう印象派といった色使いだ。ゲームの製作者に印象派好きの人がいたのかもしれない。

 誕生日プレゼントとしても彼の絵画はもらっているけれど、ゲームでのスチルよりもはるかに美しかった。


 彼がこの本に挿絵なんかも描いて寄贈していたら、すごい値段のはずよね……。他にもどんな作品を描いてどこに所蔵してあるのかも、少し気になるわ。


 つい手が『若き天才画家 アンソニー・スコールズ』の背表紙にのびてしまった。


「俺に興味があるんですか。これは嬉しいですね」


 手にとったところで、後ろからアンソニーの声がした。

 しまった……つけられていたわね。

 

「……あなたに興味はありませんわ。でも、絵画は毎年いただいていますもの。アンソニー様の描く絵画の独特の色使い……とても気に入っていますの。それだけですわ」

「描いているのは、俺ですが」

「そちらに興味はないのよ」


 はー、めんどいめんどい。

 背後を確認してから手にするか、考えればよかったわ。


「ライラ様は……俺の色使いが変わってしまったら、気に入ってはいただけなくなりますか?」


 そういえば食堂で、恋をしたら表現が変わるのかと聞いてきたっけ。


「見てみないと分かりませんわ。でも、新しい風を吹き込むことに、意味はあると思いますわよ」

「ライラ様のお考えは、とても興味深い。以前はそのようなお言葉、聞けなかったかと。まるで人が違ってしまったかのようだ」


 ……鋭いわね……。


「あなたの言うように、恋を知ったからではないかしら」

「これまでも、ヨハネス様への恋情は抱いていたはずですよね」


 なんで私は食堂でも恋について語ったのに、ここでも……。立ち去りたくなるほどに、のろけてやろうかしら。


「今は愛し合っていますもの。人が違ったように浮かれていますわ」


 駄目だ、恥ずかしすぎる。

 誰か私を止めてちょうだい。


「俺が外国に行っている間に何があったのか、気になりますね」


 実際はたった二日で、だものね。

 アンソニーが外国で修行していてよかったわ。ここにいたら、もっとしつこく聞かれるところだった。


 それにしても立ち去りにくいわね……。早く会話を終わらせたいわ。


「あまり他の男性と二人で話し込みたくはありませんし、そろそろ行きますわ」


 アンソニーの本も、棚へ戻す。


「あ、戻さないでくださいよ。一緒に読みましょうよ」

「だから、ヨハネス様以外の男性と二人にはなりたくないの。早くどこかへ行ってくださる?」

「仕方ないですね……、ではご助言を一ついただいてからにしますよ」


 またそれ?

 はー、鬱陶しいな……。


「私に絵心はないと言ったでしょう?」

「ライラ様には俺の色使いを気に入っていると言っていただけましたが……、今は誰もがその色使いを期待するんです。描く前からイメージを抱かれて、その枠にはまらなければならない気になる。いただく金額も、前金だけでもかなりのものだ。期待を裏切れない。絵の中でなら自由に羽ばたいていたはずのその翼を、もがれていく気になるんです」


 これは、結構なスランプに陥っていたのね……。全然気付かなかったわ。

 だから攻略対象者なのか。メルルとのベストエンドでは、きっとそのスランプを彼女との絆で乗り越えるのかしらね。


 もう彼女はセオドアに相手は決めてしまっているようだった。

 その壁は……彼が一人で越えるしかないのね。


「だから、恐れながらも変化を欲しているのね」

「その通りです」


 メルルがアンソニーも攻略していたのなら、何が彼に必要なのかも分かるのだろうけど……。

 私にはさっぱりだ。


「アンソニー様の絵画は、その瞬間を素早く切り取ったような印象を受けますわ。あなたの感じたもの、そのもののような。そこに相手の期待が忖度されてしまうということかしら」

「そう……ですね。ご慧眼に感服いたします」

「それなら、あなたの心持ちの問題でしょう。確かに誰かへと恋をしてそちらに心を奪われれば、他の人の期待などどうでもよくなるのかもしれない。表現が変わる可能性もあるわ。でも、それが本当の解決だとは思えませんわ」

「はい……確かにそれは、根本の解決ではなさそうですね」


 アンソニーの憂いを帯びた顔は、初めて見るかもしれない。売りであるはずの変態発言もない。

 ……そんなに私の助言に期待されると、困るわね。


「私とヨハネス様との関係の変化の理由を、教えてさしあげますわ」

「え……?」

「私の、強い意志ですわ。運命すら覆してやるという強い意志。絵については分からないけれど、絵を描かずにはいられなかった初心を思い出してはどうかしら。思うままに描けるのも期待の通りに描けるのも、あなたの実力。どちらも素敵なことで、幸せの形だと思うわ。強い意志で、その全てを融合して表現できればいいですわね」


 こんなところでいいかしら。

 もう疲れちゃったわ……何も考えたくない。


「全てを融合……ですか。欲張りな発想ですね」

「ええ。芸術家なら、それくらいでなくては。たった一つの絵で、人に感動を与えようとする職業でしょう?」

「ライラ様……俺は、ライラ様が欲しいです」


 なんでそうなったのよ!


「私はヨハネス様のもの。もう行きますわ」

「俺の方がずっと、ライラ様を必要としていますよ」

「さっきも言ったけど、ヨハネス様とは愛し合っているし婚約もしているの。王族を敵にまわす気かしら」

「それは厳しいですね」

「報われない恋なんて、する柄ではないでしょう? 他の……あ、メルルは駄目よ。彼女にもお相手がいるから」

「え、なんで俺が彼女に興味を持ったことを知っているんですか。ライラ様、何者ですか」

「たまに天啓が落ちてくるのよ。もう疲れた……もう行くわ。引き止めないでいただける?」


 アンソニー相手に丁寧語って、特に疲れるのよね……。ゲームでも会っていたせいで、つい使うのを忘れてしまう。

 頭も使ってどうでもよくなってきた……。ヨハンにはガードが緩むって怒られそうだけど。


「天啓ですか……。いきなり色々な面で不思議な方になりましたよね。報われない恋はしたくないですが俺、ライラ様のことが好きですよ」

「それはどうも。次の私の誕生日、またあなたの絵画で感動させてちょうだい。今までと違った色使い、それもまた楽しみですわ。今度こそ、もう行きますわ」

「俺のこと、愛人にしません? ご満足いただけるよう頑張りますよ。一度だけでも、俺とも試してみてくださいよ」


 凄まじい変態発言がきたー!!!

 ああもう、ヨハンが前にあんなことを匂わせたせいで!


 もういいや、疲れた。普通にしゃべろう。そして、ぶった斬ろう。


「絶対にしないわ」

「ヨハネス様とは違う境地へ行けるかもしれませんよ」

「結構よ。そんなこと言っていると殺されるわよ? どんな境地にもヨハンとしか行かないわ。それに、私が支えてほしいと縋りたくなるのは、あの人だけ。あなたは眼中にないのよ」

「縋りたく……なるんですか。それは敵いませんね」

「そうよ。もう行くったら行くわ」

「そうですか……。とりあえずは諦めます。ライラ様のご助言は、ずっと覚えていますよ」

「そう。壁を乗り越えられるといいわね。私とは全くの無関係のところで、一人で新境地へと辿り着くといいわ」

「こんなにライラ様に惹かれているのに」

「はいはい。ヨハン以外の誰に惹かれてもらっても、正直どうだっていいのよ」


 アンソニーもさすがにこれは駄目だと思ったのか、肩をすくめると「俺の絵に惚れてもらえるよう精進しますね」と言って立ち去っていった。


 もう疲れた……。

 アンソニーは入口の方へ戻っていったし、奥に行きましょう。


 誰にも絶対に会わないような、奥へ――。

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