第16話 最後の命令

「これは先に僕が引いたことにしよう。何を……してほしい?」


 最後のブロックの命令を私に見せながら、ヨハンが言う。


 ――隣の人の願いを一つ、叶えること。


 色気のあるお願いを期待しているのかもしれない。でも私は、確実にヨハンをメルルに奪われないお願いがしたい。


「……学園入学後、きっとヨハンはメルルと食堂で相席になると思うの。一緒に座っていたら私だけ誰かに呼ばれるとか、何かの理由で起こってしまうと思う。だから……、芝生を裸足で歩くことを提案されても、惹かれない心の準備をしておいてほしいというか……」


 断ってほしいと言おうとして、それはやめた。あの提案をされた時点で、彼は惹かれていた。断るか断らないかは……たぶん関係がない。


「それからできれば……、彼女に弱音も吐かないでほしい」


 それがあるから芝生の話が出てきてしまう。

 でも……ヨハンには、メルルの前で嘘がつきにくいというような設定があるはず。それを完全に防ぐことができるのかは分からない。


 ……もしかしたら……。

 

 ふと気付く。

 

 もしかしたら……、私よりもメルルと一緒にいた方がヨハンにとっては幸せなのかな。素でいられて癒やされるのかな。

 

 私はもしかして――……彼の幸せを奪う人になっているのかな。自分の幸せを手に入れることだけを考えていたけど………………。


「芝生ね……この前もそう言っていたね。意味が分からないけど、それは僕の方でなんとかしよう。弱音を吐くつもりもないよ。言いたくなるようなことも、君が面白いから今は何もないな。心配する必要はない」


 そう言って彼は立ち上がると、ワインの方へ向かった。


「あ……れ? ヨハンのお願いは?」

「せっかくだから、乾杯してから叶えてもらおうかな。最後のお願いだし、いいだろう?」


 そう言って、既に開栓されている赤ワインの細かな装飾のされたワインストッパーを外してグラスへと注いでくれる。


 い……いいのかな。

 いきなり私が酔っぱらって寝ちゃったら、どうするのかしら。


 というか、何をお願いする気?

 お酒の力が必要なこと?


 ……変な想像をしてしまったわ。でも前回、手は出さないって言っていたし……。


「どうぞ。飲みたかったんだろう?」


 トレイの上にワイングラスを載せて持ってきてくれたので、受けとる。


 ……なんで執事でもないのに片手で持てるの。なんでそんなに格好いいの。その持ち方だけで惚れてしまいそうだ。


 ゲームの中で見た素敵な王子様に、お姫様扱いされているような……夢見心地になってしまうわね。


「ありがとう」


 彼もワイングラスを手に持ち、お互いに「乾杯」と言ってグラスを上にあげた。


 前世のようにぶつけはしない。グラスは繊細で、割れてしまうかもしれないからだ。


 そっとワインに口をつける。

 芳醇な味が、喉を潤していく。


 これよ!

 私が求めていたのは、これなのよ!

 あー、やっと飲めるーーー!!!


 ふわっとアルコールが身体の内に染み渡り、そのフレーバーな香りに顔がほころんでいく。


 あーん、幸せー!!!


 きっと大丈夫でしょう。

 貴族だし!

 強いはず、強いはず。

 グラス一杯くらいなら、全部飲んじゃおう!


「ものすごく幸せそうだね」


 そう言って、いつの間にワゴンから持ってきていたのか、目の前の小さなお皿から一口サイズのチーズを取ると、口の中に入れられた。


 なんで食べさせたの!?

 でも……美味しい。


「だって幸せだもの。お酒……強いかも。強いのかしら。まだ分からないわね。でも、すぐに倒れたりはしなさそうで安心したわ」

「ああ、幸せそうな君を見られて嬉しいよ」

「ヨハンは? 強いの?」

「そうだね。試しはしたけど全く酔わないな。君が隣にいるのなら分からないけどね。お酒には酔わなくても、君に酔ってしまうかもしれない」

「……どうしてあなたが口説いているのかしら」

「さっき言ったじゃないか。僕も君を全力で口説こうと思うって。もう酔っぱらったの?」


 ああ、言っていたわね……。


 は!

 私、ヨハンを落とそうと思っていたのに、消去法とか言ってなかった!?

 駄目ね……ヨハンといると、目的を忘れるわ。


 いつの間にか全てを飲み終わり、グラスを置くとまた彼が注いでくれる。


「……さすがに最初にこれだけ飲んだら、酔っぱらいそうなんだけど」

「いいじゃないか。僕はもっと君の幸せそうな顔が見たい。はい、食べて」


 またチーズを口に入れられる。

 なんで餌付けされているの、私……。


 彼もグラスを空にすると、私の背後にまわって、また後ろから私を抱きしめた。


「……くっつくの、好きなの?」


 そういえば、ゲームでもオープニングの紹介文で寂しがりやの王太子様と書いてあった。

 学園では、さすがにずっと抱きついているわけにはいかない。ゲームの中でメルルとこんなことにはなっていなかったけれど、本当は好意ある相手にくっつきたくて仕方がない性分なのかもしれない。

 

 ……ゲームでは一応婚約者である私がいたから、遠慮していたっていう設定だったのかしら。


「ああ、僕のものって感じがするからね」


 ……確かに、独占欲は王太子に必要な性質かもしれないわね。何がなんでも国を守らなければならないのだから。


 目の前にワインがあるからと飲んでいたら、だんだんとほろ酔いになっていくのを感じてきた。

 空になったグラスを置いて、ヨハンに言う。


「さすがに少しくらくらし始めてきたわ。初回に飲み過ぎたわね。もうやめるわ」

「そう。それなら、僕の願いを叶えてもらおうかな」


 忘れてたーーー!!!


 私、こういうことが多すぎるわね……。

 というかヨハン……私が酔うのを待っていたわよね。いったい何をお願いする気なのよ……。


 ぐっと後ろに身体が引かれ、ベッドの上に横たわらされる。

 真上にヨハンが乗っかってきた。


 え……ええ……!?

 まさかまさかまさかまさかまさか……!!!


「ライラ……」


 愛しい人を見るような顔で、頭から頬をなでられる。


「ヨ……ハン…………?」


 本当に?

 いやいやいやいや……。

 え、本当に?


「君はさっき、こう言ってくれたはずだ」

「な、なにかしら……」

「不信に思う時があったら、どれだけでも問い詰めてちょうだい、と」

「え…………と」

「今の君には、おかしなところがありすぎる。僕に言っていないことが、たくさんあるはずだ」

「――――う」

「信頼関係のない夫婦は破綻するんだろう? 僕が満足するまで問い詰めさせてもらおう。嘘をつくことは許さないよ。今の君の全てを吐いてもらう。それが最後の命令――君へのお願いだよ、僕のライラ」


 ……やられたわ。

 今日のヨハンの目的は、間違いなくこれだ。


 急激に頭は冷えていくけれど、ワインのせいで頭が上手くは働かない。


「さぁ、今度は君が――、僕の願いを叶える番だ」


 悪魔のように綺麗な顔で、彼が微笑んだ。

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