第9話 誕生日パーティー

 毎年恒例の父の挨拶から始まる、大広間での誕生日パーティー。


 幼い頃はヨハンや招待客に挨拶をしてすぐに退場してもよかったものの、大人と同じような身長になると同時に、ダンスもまた義務になった。


「お手をどうぞ、ライラ」


 大注目の中で私たちだけが踊り、二回目は招待客の人たちと一緒だ。


 うーん……ローラントが「ああなっちゃった」とか表現していたけど、どこからどう見ても、いつものヨハンね……。ローラントの話を聞いて、私が動揺するところまで計画されていたのでは、とすら思ってしまうわ。


 王太子様然とした表情で私を見るヨハンを見つめ返しながら、今までのライラの記憶を思い出す。


 憧れの王太子様が、私の手や身体に触れてくれる貴重な機会。視線が間近で合うだけでも嬉しく、胸の高鳴りが止まらなかった。


 今は違う。

 藤咲綾香として過ごした時間の方が、濃厚だ。


 そのはずなのに……前回のたった一日で、正直なところ私が落ちかけていることを再確認してしまうわね。


「何を……考えているの」


 探るようなヨハンの視線に、骨の髄まで溶かされていくような甘い痺れを感じる。


「この夢のようなひとときが、朝まで続けばいいと思っていますわ」


 この後には私の部屋で、一癖も二癖もあるこの男と対峙しなくてはならない。

 むしろ逃げたい。

 ずっと、ここにいたい。


「おかしいな。嬉しい意味に聞こえないよ」


 真意が伝わったようで、なによりだ。


 ……なによりじゃないわね。

 口説かなきゃいけないのは、私の方だ。

 今日こそは、十代の男の子らしくあたふたと動揺させてみたい。


 ……できる気がしないけれど。


「朝まで、あなたと過ごしたいと言っているのに?」


 小さく小さく囁く。

 ちょっとくらい、ドキっとしなさいよ。


「この場所でいじめてほしいと、そういう意味かな」


 また耳の側にキスを落とされて、背中が震えた。

 その場所が弱いって……バレているわね……。


 というか、人前なんですけど!!!

 やっぱりアレなの。

 羞恥を煽るのが好きなの、あなた。


 曲が終わり、やれやれと一緒に隅っこへ向かった。熱がなかなか消えてくれない。


「お飲み物はいかがですか」


 そう言ってすっと側に来てくれた使用人からアプリコットのジュースを受けとって飲んでいると、パーティーが始まる前に一度挨拶に来たはずのアンソニーが、またやって来た。


 さっきは彼のお父様とも一緒だったから、言いたいことが言えなかったのかもしれない。


 ……というより、言わないでほしいんだけど。


 アンソニー・スコールズ。

 ゲームでの、メイン攻略対象キャラクターの一人。赤に近いピンクの髪と、似たような瞳の色が目立つ若手の有名画家で、彼の絵画は高額だ。王宮の客間にも彼の絵画が飾られていた。

 それはともかく……変態発言が売りだとよく知っている。共通ルートにも、そこかしこに散りばめられていた。


 仲よくなりたくは、ないのよね……。


「失礼いたします。改めてもう一度挨拶をと思いまして」

「あら、そうですの? 先ほどは聞きにくかったのですけど……珍しいですわね、アンソニー様までいらっしゃるなんて。嬉しいですわ」


 まだ、アンソニーに社交の義務はない。十六歳から始まる社交は、学園に入る場合には卒業後からだ。いつもは彼のご両親だけで、この場に来ている。数年に一度、たまに気まぐれに挨拶をしに来るくらいだった。

 最近は修行のために外国に行っていて、全く会っていなかった。


 ……どうして今回は来たのかしら。

 外国から戻ってきた報告と、学園入学前の挨拶をしたかったのかな。

 そんな律儀な性格には思えないけど。


 側に来た使用人に持っていたグラスを渡すのを待って、アンソニーが答える。


「ええ、王宮でヨハネス様と先日お会いしまして。ライラ様のお話をした時に、少しお二人の関係の変化を感じたものですから、気になりまして」


 ……何を言ったのかしら。


「私は、おかしなことは言っていないよ、ライラ。アンソニーは、よく私をモデルに絵を描きたいと言っていたからね。アンソニーが知るよりも大人びて魅力的になった君を、学園で追いかけないようにと釘を刺しておいただけだ」


 ここは誕生日パーティーではあるものの完全に私的な場ではないので、ヨハンも一人称を私にしている。


 うん……普通の理由ね。

 王太子の婚約者が他の男に追いかけられていたら、それだけで醜聞だ。

 アンソニーは綺麗なものが好きだけど……ヨハンも綺麗だから描きたいのかしら。


 学園への受験結果は既に出ている。それを踏まえて、アンソニーが挨拶にでも行ったのかもしれない。


「以前なら、そのような釘は刺さなかったと思いますが」

「学園の入学前だからね。一応言っておいただけだよ」


 両者とも軽く微笑み合っているけれど、やっぱり仲が悪そうね……。

 ゲームでもそうだった。にも関わらず結構会っているのかしら。もしかしたら、国王様か王妃様が彼の絵画を気に入っているのかもしれない。


 というか……二人とも黙っちゃったんだけど。何かしゃべっておこうかな。


「アンソニー様の絵画は、昨年の誕生日にもいただいていますわ。人の思いやその人の色を、アンソニー様の感性で描かれていると、強く感じます。ヨハネス様は、とても素敵な方ですもの。その心の色を表現されたいと思うのも、無理はないのかもしれませんわね」

「……私の絵に対する姿勢まで感じとっていただけたんですか。それは光栄ですね」


 あ……まずった?

 私への関心が生まれてしまったかもしれない。


 ゲームのオープニングで、メルルに対して「君の色を描きたいんだ。協力、してくれるよね」と台詞が描かれていたから、それと彼の絵のタッチを踏まえて適当に話しただけなんだけど……。ヨハンを褒めたわけだし、問題はなかったわよね。


「ライラ様……変わりましたね。その気はなかったのですが、ライラ様にもモデルになってもらいたくなりました」


 すっと下から手をとられ、ヨハンがさっと奪い返した。


「それは許可できないな。それから、アンソニー。私たちは二人きりの時間を早く過ごしたいんだ。悪いけれど失礼するよ」


 私を外側から包むように、肩から腰まで降りるように触られる。


 ちょっと待って、ヨハン。今から、そーゆーことをしますってアピールしていない?

 どうなっているのよ。あなた、十六歳の坊やでしょーが。アンソニーが嫌いでも、もう少し違う追い払い方があるでしょう。


「それはお楽しみを邪魔してしまい、すみませんでした」


 うわぁ!

 やっぱりそう伝わっているじゃない!


「ああ、分かってくれたのなら、それでいい。ではまた学園で」


 なに肯定しているのよ……ヨハン……。

 私にどうしろって言うのよ。

 顔がつくれないんだけど。


 この会話……聞こえている人もいるでしょう。


 早く……早く立ち去ろう。

 朝までいたいとさっきまでは思っていたけれど……この場所にももう、いたくはないわ。


 ――私の安住の地はどこなのかしら。

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