第29話 カムラの研究室

 なんだかんだで今週は、委員会に参加してもらおうと思っていたメンバー六人で談話室での昼食後のおしゃべりを楽しんだ。

 不思議と皆が集まってきたからだ。


 実際の委員会の立ち上げは、メンバーの部への参加状況が確定したらということにしている。ゲームではリックが剣舞部に入っていたし、ここでもそのつもりらしい。メルルからは文芸部に入りたいと談話室で聞いた。

 部のオリエンテーションは来週。

 委員会立ち上げの書類の作成もあるし、ボードゲーム自体も作ってもらわなければならない。


 ……私がヨハンを誑かすために作ったゲームは、さすがに使えないものね。


 今日、土の曜日はヨハンと一緒にカムラの研究室にやってきた。


「じゃ、カムラ、これが私の下書きよ。一つずつ説明するわね」

「はい、お願いします」


 ミーナは外国にいるし、シーナには仕事がある。ボードゲームの手配は、確実に休日に手が空くカムラにお願いすることにした。


「――と、まずはこれだけお願いね」

「かしこまりました」


 一通り説明すると、ソファにもたれかかる。すかさず真横のヨハンが手を握りしめてきた。


 ……べったべたね……。


 カムラは説明の間は真向かいに座っていたけれど、終わり次第すぐに立ち上がった。


「まだ座っていていいのに」

「そういうわけには……」

「いいじゃない。たまには楽に話しましょうよ」


 そう言うと、困ったように苦笑してヨハンを見た。


「ライラは……あれだよね。前の世界のゲームの中だっけ? それに出てきた相手には、途端にガードが緩くなるどころか……なくなるよね」

「それは……確かにそうかもしれないわね」


 そう言われると、そうだ。前世での価値観を優先させる相手になってしまう気がする。公爵令嬢らしくは、いられなくなる。


「仕方ないじゃない。身近に感じちゃうんだもの」

「僕は学園にいる間、気が気じゃなくなりそうだな。いいよカムラ、座って」

「では……失礼します」


 これからずっとヨハンと一緒なら、カムラとも長い付き合いになる。親しくなっておきたい。


「カムラは学園に入ってどうなの? ヨハンと離れて寂しいとか、ないの?」

「さ……寂しい……ですか。御身の無事を常に確認できない点では、今までよりも安心はできませんね」


 そっかぁ……自由時間よりヨハンの無事を確認できない方が嫌なのね。

 ……ヨハンがものすごく微妙な顔をしているわね。寂しい、は駄目だったかな。


「ボードゲームも手配までしてくれるのに、できないのは残念よね。たまにはシーナがオフの時あたりに放課後にでも四人でここでやる?」

「いえ……そのような立場ではないですし、あまり勝負ごとは好きではないので、ご遠慮させていただきます」


 好きじゃないのか……勝負事。残念ね。

 でも、異常に器用そうだし記憶力も高そうだ。むしろ勝ちすぎてしまって気が引けてしまうかもしれない。


「仕方ないな。カムラには顧問になってもらうか。で、カードを配ったりといったサポートを頼むよ」

「それなら、参加させていただきます」

「カムラがそこにいるだけで、ジェラルドへの牽制にもなるだろう」

「……だから、ジェラルドを警戒しすぎでしょう、ヨハン」


 しかし……あの芝生での会話から、本当にジェラルドを警戒しているわね……。そこまでの会話……したかなぁ。あっという間に距離を詰めてくるタイプだった気はするけど。

 ゲームではあんまり絡んでいないから、よく分からないのよねー。


 あ、そうだ。本を返さないと。


「話は変わるけど、カムラが食堂の椅子に置いておいてくれた本、面白かったわ。返すわね」


 そう言って、あの時の本を鞄から取り出した。


 なかなか本での席取りっていうのも……カムラらしいわよね。


 鞄のように大きければ、遠くからでもすぐに場所が取られていると分かる。

 おそらくメルルは、この本が置いてある席が空いていると信じて向かい、場所取りされていることに軽くショックを受けながらヨハンに相席を頼んだことだろう。


 確実にヨハンの前に座らせるためだったのか、それともカムラなりの意地悪だったのか……、どちらなのかしらね。


「読まれたのですか」

「ええ、面白そうだったから」


 タイトルは、『究極の選択』だ。

 ヨハンがメルルに落ちるか落ちないか、それを試す場だっただけに、なかなか皮肉が効いている。

 やっと昨日、読み終わった。


「どんな話だったの? ライラ」

「……読む前に話してもいいのかしら」


 ネタバレは避けたいのだけど。

 

「ライラから聞くだけにするよ」


 読む気はないのね……。

 

「……そう。全ての話が、究極の選択をする直前で終わっているのよ。例えば、貧しい女の子と身分違いで愛し合ってしまった高貴な相手が、罰として二つの扉のうちどちらかを開けなければならないの。片方は猛獣で、食われて死ぬ扉よ。もう片方は、同じく高貴な身分の美しいお嬢さん。その扉を開けたら、彼にはそのお嬢さんとの祝福された結婚生活が待っている。貧しい女の子は扉の中身を知ってしまった。彼に教えられるチャンスも到来する。彼もそれを知って大喜び。死を免れて素敵なお嬢さんと結婚できると確信してね。さぁ、どちらが助かる扉だと教えてあげますかってね」

「……なるほど。で、結末は書いていないのか」

「そうなのよ」


 似たような本を前世でも読んだことがあった。あの本のタイトルは、なんだったか……。


「ライラならどうするの?」

「一度でも愛した人を間接的にでも殺したような記憶なんて、持って生きていたくないわよ」

「それもそうか」

「ヨハンは?」

「僕も生かすよ。手筈を整えて、必ず攫いに行く」

「……あなたらしいわね。カムラは?」


 自分にも聞くのかと、肩をすくめられる。


「状況によりますね。直後に金銭援助なりなんなりがありそうなら生かしますし、過去の汚点として後々消されそうな気がすれば、その前に死んでおいてもらった方がいいでしょう。どちらにせよ、そこでは暮らしていけないでしょうけど」


 見事に理由も何もかもバラバラね……。


「こんな小説、読むのね。カムラ」

「タイトルが目に入っただけです。さっと速読はしましたが」


 私の前世での話を思い出して、このタイトルの本を手にしてくれたのなら、嬉しいわね。


「お二人は、こちらでもう少し過ごされますか? それなら失礼いたしますが」


 ……カムラの研究室なのに、それは可哀想じゃないかしら。


「ヨハンとはこれからいくらでも話せるし、もう少しカムラと親しくなりたいわね」

「……ライラ……釣った魚に餌をやらなさすぎだよ」

「ご、ごめん。でもほら……今からカムラと親しくなっておいた方が、結婚した時に頼み事もしやすいじゃない」

「えー……、そんなの僕に言ってよ」

「ヨハンに言いにくい頼み事とか……」

「え。待って、何それ。どんな頼み事をする気?」

「えっと……、ヨハンが他の女性に惹かれたり気持ちが離れたりする予兆が見えたら教えて、とか……」

「……えぇー………………」


 そんな苦悶の表情をされても……。

 私のこと、熱しやすく冷めやすいかもしれないって自分だって言っていたじゃない。私だって、ヨハンがそうかもしれないなんて思ってしまう。


「悪評は出る前に手を打った方がいいでしょう。その場合は手遅れになる前に、ライラ様にご報告いたします」

「あら、ありがとう。安心したわ」

「安心って……、待ってよ。絶対ないけど報告を受けたらどうするの」


 ううん……確かにどうしよう。前世のように体調激悪で夫とは会話もなくなり誰にも相談できずに部屋で泣く、なんて二度と味わいたくないわね……。

 私にとってそれは、たった二ヶ月程度前の話だ。その孤独感は幼かった頃の部屋での記憶にも似て……。


「……何かしらの対策を講じるわよ。でも……、手遅れだったらカムラに安楽死でも頼もうかしら……」


 でも……それだと今まで生きてきたライラが可哀想か。私の意識だけがまたどこかへ飛んでいくとか無理かな……。

 いや、それでも元のライラが可哀想ね。いきなり愛のない結婚生活が目の前に広がっていたら地獄だ。


「え……ちょ……思っていた以上だな……。大丈夫だ、それはない。それはないよ、ライラ……」


 悲痛な顔で私の腰を持って、彼の腕の中にまた移動させられた。


 しまった……今思ったことをそのまま言ってしまったわ。そんな暗い気持ちで、一緒にいてほしいわけじゃないのに。


「ごめんなさい。瞬間的に思ったことを言っただけよ。その時はその時でなんとかするから、大丈夫よ」

「ライラ様、ご安心ください。手遅れになる前にご報告しますし、安楽死される時は私もお供しましょう」

「しないで!!!」


 び、びっくりしたわ。

 いきなり何を言い出すのかしら、カムラは。


「いない人に指図はできませんから。お供しますね」

「だから、しないでってば! 分かったわ、大丈夫。ただの思いつきよ。お願いしないから心配しないで。本気にしなくていいわ」


 私の性格を考えて、そう言えばその道はないと思っているからよね。

 カムラ、意外と優しいのね……。


 メルルの立場ならともかく、私の場合はヨハンの婚約者でいずれ妻になるのだから、カムラから害されることはないはず。

 そういう意味での安心感はあったけど、カムラには影がありすぎて近寄りがたい。ヨハンと一緒にいるからこそ気さくに話せるけれど、二人きりになるのは怖いなとも少し思っていた。


 でも……、怖がらなくても大丈夫かもしれない。


「はぁ……やっぱり日が浅すぎるな。この四年間の学園生活の中で、もう少しなんとかさせてもらおう。覚悟しておいてくれよ、ライラ」

「……覚悟って、何を……」

「君がもっと自信を持てるように、僕は君を溺愛する。安心して、好きなだけ溺れてくれ」


 な、なにその溺愛宣言……。


「じゃ、そろそろ行こうか、ライラ」


 抱きしめられながら覗き込まれる。

 この態勢、前にもあったわね。

 なんで私は人前でこのようなことに……。


 ヨハンの腕を振りほどいて、立ち上がる。


「そうね、行きましょう。カムラともお話できて嬉しかったわよ。ボードゲーム、よろしくね」

「はい、お任せください」


 こうして、私たちはカムラの研究室を後にした。

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