第37話 幸せな未来を信じて【完結】

「ライラ!」


 彼の叫び声に目が覚める。


 目が……覚める……?

 私は寝ていたのかしら。


「よかった……ライラ……」

「ヨハン……? 泣いているの?」

「目が覚めなかったらどうしようかと思った……」


 起き上がると、色とりどりの花が周囲に咲き誇っている。私はヨハンとシートの上にいて……この秘密の花園で一緒に寝転がっていたようだ。


 涙が頬を伝う。


「私は泣いていたのかしら」

「そうだよ。拭いても拭いても涙があふれて……悲しい夢でも見たの?」


 何かが伝う感覚がして自分の手を見ると、まだ触れてもいないのに涙で濡れていた。


 私がさっき触れた、彼女の涙……?


 本当に夢だったのかな。

 違う世界に飛んだだけのような……。


「いいえ、悲しくはないわ。でも……全部覚えている」

「これだけ泣いていたのに、悲しくはないの?」


 ヨハンが、ぎゅーっと私を抱きしめる。

 怖がらせてしまったわね……。


「ええ、ライラに会っていたのよ。私になる前のライラに」

「そ……れは……」


 いつもより余裕がなくて年相応に若く見えるヨハンの頭を、よしよしとなでる。


「あなたに憧れて、今日は何を話そうかと事前に一生懸命考えて、想像の中でもさらりとかわされて、合うようで合わない視線に不安になって……そして未来ではあなたが他の女性に恋をしてしまうと知って自らの意思を……人生を捨てて、私に身体を明け渡すことを決めた彼女と話をしていたのよ」

「――――う」


 悪いことを指摘された子供みたいな反応をするわね……。瞳が左右に揺れて、がくりと肩を落とした。


「……ごめん……」


 凹んでいるヨハンに、少しだけ気をよくしてしまう。


 落ち込ませてあげたわよ?

 これで少しは許してあげて。


「少し彼女に感情移入しただけ。ごめんね、責めて。大丈夫、この世界でもう一度彼女も生まれ変わるわ」

「そうか……」

「次は、私の手で幸せにしてあげるわ。途中まではね!」

「ええ……?」


 ヨハンには娘が産まれたら教えてあげようかな。


 親の手では、最後まで幸せにはしてあげられない。どうか次は、彼女を好きになってくれる男性と……。


「私も、こんなところでヨハンとだらだらしていないで、彼女を見習って頑張っちゃおうかなー」

「――え。僕は君とだらだらしたいけど」

「学生時代しか、無駄なことに時間は費やせないものね!」

「そうだよ。僕とだらだらしようよ」

「――ね、お願いがあるの。私のヨハン、叶えてちょうだい?」

「そう言われて、僕が断れるわけないじゃないか」


 こしょこしょと、ヨハンの耳元でお願いをする。


「……なるほど。いいよ、分かったよ。なんとかしよう」

「ごめんね?」

「いいよ、君と汗をかくのも楽しそうだ」


 変な言い方をしないでほしいわね……。


 ――バレエのように演劇性のある情熱的なダンスを、タンゴのリズムにのせて卒業パーティーで踊りたいのよ。前世ではダンスは競技でもあったの。近いものを再現してみたい。誰にも真似できない私たちのダンスを、皆に見せつけてやりたいわ。


「時間はかかるよ? 引き受けてくれる振付師をまずは見つけて、君の意見を聞きながら専門家も交えて一からつくり上げていかなくてはならない」

「ええ、覚悟しているわ。まだ一年生だし、なんとかはなるかなって」

「ああ、なんとかはするさ」


 ――皆に見せつけてやりたい。彼の妻になるべくしてなったと、誰もに思ってもらいたい。

 

 それは……彼女に対してもだ。

 今の私は何をもってしても彼女には敵わない。知識も技術も何もかも、彼女の努力があってこそ。


 一つくらい、見せてあげたい。

 さすがねって、思わせてあげたい。

 自分より何もかも劣る女に……大好きな男を奪われたくはないでしょう?


「メルルたちを巻き込んだら……迷惑かな」

「――え。セオドアはともかく、メルルは君以上にとんでもなく大変になると思うけど……」

「ヒロインだし、頑張ればなんとか?」

「ど……どうなのかな……」


 メルルだってすごいんだぞって言いたいだけの私の我儘に、巻き込んだら迷惑かな……。


「なんとかなれば、あっちの貴族のお嬢さんたちにも一目置かれるかもしれないわよ? 婚約発表パーティーとかでぶちかましてやれば、きっと衝撃を与えられるわよ」


 何もかも自分より劣ると思っている平民出身の女の子へのやっかみは、それなりにはあるだろうからなぁ。さっきのライラもそうだったけど、羨ましさの裏返しがねー……。

 この世界の平民は、結構恵まれているしね。


「セオドアの印象は、あっちでどうなるんだろうな……。ま、練習くらいは巻き込むか。間に合いそうなら、最後の最後にフィデスの第二王子だったってバラして僕たちの前に踊ってもらうのも、悪くはないか」

「ええ。その気がありそうなら、巻き込んでしまいましょう」


 リックを誘えないのは残念だけど、最近彼は仲よくなっている女の子がいる。

 ホルヴィッツ伯爵家のご息女シルフィという淡い金髪の長い髪の女の子で、私とも知り合いだ。母がお茶会に連れてきたことがある。リックを好きになって話しかけたいけれど話題に困っているという彼女に、ヨハンのいない土の曜日に相談にのったことがある。


 彼がベンチで寝ている時に髪についた葉っぱを取ってあげるという例のメルルとの出会いイベントは、シルフィと発生したらしい。

 彼を見つめるシルフィに、メルルが「取ってあげたらどうですか」と話しかけることでイベントを譲ることができたとメルルが話していた。


 私より抜け道を探ることにも長けていそうな印象よね、メルル……。

 まぁ彼女なら、隣国に渡っても上手くやるでしょう。ヒロインだしね!


「それじゃ、もう少しの間だらだらしましょうか」

「……一緒に寝るのが、さっきので少し怖くなったよ」

「私と会話するのは一度きりって言っていたから大丈夫よ」


 一度、シーナとカムラもここに連れてきた。

 日の曜日になかなか寮に戻って来なかったら起こしにきてと頼んである。寮の門限前に確認してもらっている。

 

 安全な場所ではありますけどね……と呆れた目で呟いていた。最初に私たちだけで入って見失うことを体験してもらったから、安全性だけは理解してくれている。


 最近はどことなくカムラの表情が柔らかくなった気がするのよね……。委員会のサポートもしてもらっているし、わずかでも学生気分になれていたら嬉しい。

 彼には……青春と呼べるようなものは、なかっただろうから。


 ヨハンの隣で、ふと恋愛について考える。


 私もアンソニーのことをとやかく言えないわね……。


 恋も愛も、お相手と同じ重さであれば何も問題は起きない。でもそれは……実際のところ、とても難しい。


 相手に振り向いてもらえないのは、そこら中で繰り返されているよくある話。それでも当事者は、苦しいだけの恋に身を裂かれる。

 

 好きな人と思いが通じ合うのは、片思いに身を焦がす人にとっては奇跡的なこと。……でも、両者の重みは違うことの方が多い。

 片方はいつも側にいたくても、もう片方が一人の時間も同じように楽しみたいタイプであれば両者とも不満がたまる。

 

 相手に求めること、許せないこと、我慢できること、妥協できること……全て合致することは困難だ。きっと私とヨハンも何かが食い違うことは、これから出てくるはず。


 ヨハンの言葉を思い出す。


『……簡単に諦めないでほしいんだけどね……。諦めずにいてくれた君に、感動したんだって言っただろう?』


 私には諦める癖がついている。

 幼い頃に、期待して裏切られることが多すぎた。風邪を引いても迷惑がる両親。熱いお茶をこぼして火傷をした時も、ため息をついて片付けをしておくように言われただけだった。

 

 みじめな気持ちになるのが嫌で……夫との関係もすぐに諦めた。


「難しい顔をして何を考えているの?」

「そうね……、あなたが他の女性に惹かれた時に――」

「ええ……」

「どうやって罵ってやろうかと考えていたのよ」


 ヨハンが目を丸くする。

 諦めるか、安楽死するなんて言葉しか言ったことがないからだろう。


 彼が幸せそうに笑って、私の頭をなでた。


「ああ、いくらでも罵ってよ。それは勘違いだって、どれだけの時間を尽くしても証明するからさ」


 健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も――。


 ここでの結婚式の誓いの言葉は、前世と同じ。


 病める時も悲しみの時も、相手を敬って真心を尽くすことは難しい。

 夫からの無関心。その始まりは、私に非が全くなかったわけでは……ない。酷いつわりに余裕をなくし、相手への敬いをまるで示さない時期が続いた。当然、そんな私を思いやらない夫の方が悪かったに違いないけれど……、もう間違えない。


「ええ。それ以外でも、我慢はしないことにするわ! 譲れないことや許せないことが出てきたら、すぐに諦めたりなんかせずに、あなたと怒鳴り合うことにする」

「ええー……、君に怒鳴ったりなんかしないよ……」

「駄目よ、我慢しないでって言ったでしょう。言いたいことはなんでも言って」

「ああ、そうだったね。それなら我慢せずに、もう少し君に手を出そうかな……。ここは二人きりだし」

「それは我慢して」

「我儘だなぁ」


 食い違いやすれ違いが起こっても、もう諦めるのはよそう。みじめな自分と向き合うことを怖れずに……ヨハンなら、いつだって私の話を聞いてくれる。


「前のライラがね、言ったのよ」

「ん?」

「あなたとの幸せな未来を私が信じる時が来たら、一度だけ私と会話をさせてって祈ったんだって」

「――――!」

「私は、あなたとの幸せな未来を確信しているらしいわよ?」


 彼の顔が、まるで薔薇が咲いていくようにほころんでいく。


「愛しているよ、ライラ。永遠に」

「ええ、私も永遠に愛している」


 誓いましょう。


 健やかなる時も 病める時も

 喜びの時も 悲しみの時も

 富める時も 貧しい時も

 これを愛し 敬い 慰め合い 共に助け合い

 その命ある限り真心を尽くすことを


 お互いに無理せず……できる限りね!


 ――幸せは、いつだってその先に。


 

【スピンオフ 完】

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