第33話 ジェラルドと最初で最後の

 まるで貴族の屋敷のような装飾のされた螺旋階段を三階まで上り、無心のまま図書館の最奥まで辿り着くと、なぜか半開きの扉があった。


 なんだろう、ここ……。


 キィと音を鳴らしながら扉を開け、またも奥へと向かう。

 中は窓も小さいせいか薄暗く、棚の間隔も狭い。本の状態も古そうだし、書庫のようだ。


 精も根も尽き果てたので、ゾンビのようにふらふらと力無く進む。


 行き止まりが見えたので窓際へと移動すると……。


「「……あ」」


 視線が合った瞬間に、二人して気まずい顔を見合わせる。


「会っちゃったね、ライラちゃん……」

「会ってしまったわね、ジェラルド……」


 ヨハンが何度も言っていた。「僕がいないところではジェラルドと話すな」と……。


「えっ……と、このまま立ち去る?」


 気まずそうに聞かれる。

 そうよね、あんなにヨハンに釘をさされていたものね……。


 どうしようかな……。談話室でも毎日のように会っているし、友人相手にこのまま踵を返すのもなぁ。


 ジェラルドが、静かに私の返答を待っている。


 小さな窓の陽の光で、緑がかった銀髪がさらさらと透き通っているように見える。少しだけ寂しそうな顔をしている彼の儚げな顔は、ここが舞台の上かと思うほどに美しいのに、そのまま消えてしまいそうだ。


 その眩い存在感はヨハンにも似て……、なぜか安心感すら抱いてしまう。


「そ……うね。今日はもう、ものすごく疲れているし、これが最初で最後にするわ。少しここで休憩する」

「それは嬉しいな」

「でも、ヨハンが心配していたし……ないとは思うけど私に惚れないでよ」

「はいはい、おかしいよね。なんであんなに警戒するんだろう。それより、確かにすごく疲れている顔だね。何か会ったの?」


 ジェラルドの横に並ぶと、そのまま座りこんでため息をついた。


「頭も使って、精神的にも疲れたのよ」

「ああ、ここの学習室で勉強でもしていた?」

「それなら、ここまで疲労困憊にはならないわよ。アンソニーのお悩み相談にのったあげくに、愛人にしてくれとか食い下がられたのよ。もう疲れた。へとへとよ……」

「え……アンソニーって……画家のだよね」

「そうよ」

「どうなってるの、ライラちゃん……。あんなにヨハネスと仲よさげにしているのに。僕まで変な毒牙にかけないでよ」

「かけるつもりはないわよ」


 言ってよかったかな……。

 でも疲れたし。愚痴りたい。

 ジェラルドなら、誰かに言ったりはしないでしょう。


「でも、確かにお悩み相談されているうちに惚れられそうな雰囲気は持っているよね。ヨハネスとああなる前は、愛人目的で言い寄ってくる男も他にいたんじゃない?」

「そもそも、機会がほとんどないわよ」

「それもそうか」


 言い寄ってくる男か……。

 前世では、確かにそうだったかもしれない。


 両親にほとんど関心を持たれなかった私は、親が言ってほしい言葉を察知するのも得意になった。でも……可愛い子供を演じて愛されたって意味がないと、分かっていてあまり言わなかった。

 たまに親の望んでいるような言葉を言ってわずかでも褒められると、気持ち悪さすら感じた。


 反動で、友人の望んでいるだろう言葉は積極的に返していたと思う。親からもらえない愛情の代わりを、友人からの好意や乙女ゲームのキャラクターとの恋愛で補填しようとしていた。


 大学生時代には、話しやすいのか期待通りの言葉が嬉しいのか、男性の恋愛相談にのることもよくあった。その過程でなぜか告白され……結局は続かない。

 気の合う友人のような女性より、最終的にはメルルのように可愛らしい女の子を男は求めるってことよね……。

 

「これが二人になる最初で最後か……。アンソニーに続いて、僕の相談事にまでのりたくないよね」

「別にいいわよ。疲れているから、おざなりになるけど」

「それでも嬉しいよ。こんな機会、絶対にないと思った」


 そう無邪気な顔で言って、私の真横に座った。

 いいのかな、これ……後でヨハンに怒られそう。まぁ、最初で最後だったと強調しておこう。


「悪いけど短い相談にしてね。誰かに見つかると困るし」

「あー……、そうだよね。芝生で手をつないで裸足でジャンプするくらいに、あいつに夢中ですって感じだもんね」

「……既に限界に近い私の精神力を削らないでくれない?」

「あ、おかしくなっている自覚はあったんだ」

「もう戻ろうかしら」

「ごめんごめん、冗談だよ。いや冗談ではないけど、まぁいいや」


 ほんと、ジェラルドはジェラルドよね……。


 本棚に隔絶された秘密基地のような場所で、少しだけ声をひそめて彼が相談事を始めた。


「じゃ、短くいくね。メルルちゃんはセオドアの……第二王子の妻に相応しいと思う?」


 ああ……こんなところで何をやっているのかと思ったら、考え事をしていたのね……。二人の関係の変化をジェラルドが感じ取っていることも、分かってはいた。


「思うわよ」

「……即答なのか。根拠は?」

「私の頭に降ってきた天啓よ」

「えー、またそれ? 本当におざなりだな……」

「だから言ったでしょう。でも、苦労はするだろうけど大丈夫よ、彼女なら」

「そうか。まぁ、参考にするよ。ありがとう」


 私の言葉、思ったより信用しているのかな……。会って間もないのに。


 突然、彼が私の表情をうかがうような顔をする。もしかして……厄介な質問をされる?


「たださ、心配なんだよ。護衛も張り付くだろう? それが嫌になって後悔しないかなって」

「……ああ……まぁ、慣れるとは思うわ。彼女なら、覚悟くらいはして臨むわよ」


 ゲームの中で、それなりには知っているはずだしね。


「例えばヨハネスはさ……常に護衛が張り付いているのって、嫌がっている様子とかないの? 天井裏にまで、いつもいるんだけどさ」


 ああ……この子は嫌なのね……。

 ゲーム内では、さらっとカムラが天井裏によくいるとは書かれていたし、その必要性についても軽く述べられていた。

 天井裏に常に人がいることはライラ自身は知らなかったけれど、最も大事なことだけは理解していた。


 王子は、どんなことがあろうと暗殺されてはならない――と。


「ないわよ。当然だと思っているわね」

「そう……なのか。ライラちゃんも、嫌ではないの?」

「あんなに若い子が天井裏なんて寂しそうな場所にいないといけないなんて、可哀想じゃない。感謝しているし、労ってあげたいわ。ただ、どうでもいい相手に常に張り付くなんて苦痛だろうし、張り付きたくなるような人でありたいとは思うわよ」

「前向きだね」

「王族なんだから割り切りなさいよ。この人のために張り付いて盾となって死んであげたいと、誰も彼もに思わせてあげなさい」

「……格好いいな……。ヨハネスも、そう心がけているのかな」

「分からないけど、そう思わせるようには仕向けている気がするわ」


 だからこそ、私になる前のライラも心酔してしまった。そうならざるを得なかったとは、思うけどね。

 

 さて……もう、そこそこ会話してしまったわね。そろそろ誰かに見つかるかも。


「……もう行くわ。書庫が開いているってことは、職員による整理の最中なんじゃない? 二人でいるところを見られるのも閉じ込められるのも困るもの」


 そう言って、立ち上がる。


「ええー、待ってよ。なら出たところでさ、ヨハネスを落としたゲーム内容でも教えてよ」


 彼も立ち上がって、私と一緒に歩き出す。


 そういえば、婚約者と上手くいってないって言ってたわね……。


「それは無理ね……。でも、『あてっこゲーム』とか、そのへんならルールくらいなら教えてもいいかな……」


 ――こうして、書庫を出た後にも少しだけ話をした。恥とか考えずに、セオドアにも相談なりなんなりしなさいとも助言をした。


 私たちの最初で最後の二人きりの時間は、これで終わりだ。


「本当はさ、たまにこうやって相談にのってほしいんだけど」

「無理ね。ヨハンとこうなって日が浅いと言ったでしょう。信頼関係は、まだ築けていない。ちょっとしたきっかけで、簡単にこの関係は崩れるのよ。少しでも長くもたせたいもの」


 そもそも……男性と信頼関係を築けたことは、なかったのかもしれない。ヨハンと築きつつあるのか、それすらも自信がない。


 彼が最後に言った。


「アンソニーの気持ちを少しだけ理解してしまったよ。隙が多すぎる。こんなに人がいない場所で、男と二人きりになっちゃ駄目だよ、ライラちゃん」


 バイバイと手を振る彼は、最初に見た時よりもずっと寂しそうで……何かを言いたくなったけれど……何も思いつかなくて、やめた。

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