大分県12.

 肺胞も完全に萎縮してしまって、機能を失っている肺から全ての空気が無くなった感覚に襲われた。


 それに、体温も無いはずなのに身体全体が熱く感じる。


 水分など既に無くしているハズなのに喉がカラカラに乾き、止まっている心臓が跳ね上がる錯覚すら覚える。


 言葉を発する事も出来ず、視線をさ迷わせ、直立している感覚すら失ってふらつきそうになった瞬間、マリアがニッと笑って言った。



「ウケる!」



 たったそれだけの言葉でふらつきかけた膝がカクンと崩れ、悪戯っぽいマリアと共に穏やかな時間が戻ってくる。


 こんな中でもジョークを交えれるマリアさん……


 素敵すぎてヨダレが出そうです。


 しかし、マリアは直ぐに伏し目がちになり、軽く笑顔を残しながらゆっくりと話し始めた。


「内蔵がさ、飛び出してきてポケットに手を入れて歩いてた時あるじゃん? その時から颯太が隣にいた時や前を歩いてくれてる時は何にもなかったんだけど、颯太が私の後ろを歩く時とか視界に入ってない時は意識が遠のいちゃってさ」


 俯きながらも笑顔は崩さず、マリアは言葉を続けた。


「颯太が肩を叩いてくれたり揺すってくれたり、声をかけてくれて、ようやく自分に戻ってくるくるんだけどね。その時に気づいちゃったんだ、もう脳ミソさえ崩れ落ちてきてるんだって」


 確かに、これだけの臓器の残骸がマリアの足元に転がっているのだ、食道のあった所から腐った脳ミソが乾燥し、粉々に崩れ落ちていても不思議では無い。


「さっきはさ、満月の呪いで高揚感はあっても自我は失わなかったけど、次に颯太が視界から外れたらきっと……多分もう、元には戻れなくなっちゃうと思う。だからね……」


 そう言って視線を持ち上げ、真っ直ぐに俺の目に固定しながらマリアは言葉を続けた。


「私は私のまま……ゾンビじゃなくって『骸の兵士』じゃなくって『カプリコン』の一員でもなくって、まんまの私で最後まで颯太を見たまま終わりたいかなって」



 そうか……



 だからマリアは俺を自分の前に立たせて正気を失わないようにし、そして去りゆく俺を見届けながら朽ち果てようと考えたのだろう。


 俺がそう思った瞬間だった。


 突然、マリアの遠く後方からパシャン!という音が俺たちの場所に届いてきた。


 その瞬間、マリアは振り向くことは無かったが眉をピクッと震わせる。


 俺はそちらを伺うと、マリアの後方遠くでヨタヨタと歩く最古参ゾンビが少し膨張し、液状化した途端だった。


 パシャン!


 っと、音を立てた後に全身が骨だけとなって地面に崩れ落ちた。


 最古参ゾンビがデッドリーラインに追い越されたのだ。


 この場所にたどり着くのも時間問題なのがよく分かる。



「颯太、もうちょっとこっち」


 そう言って、にこやかに手招きをするマリア。


 距離にして1メートル程で対峙していると言うのに、これ以上近寄れとは何を考えているのだろう。


 そう思いつつ、俺はもう半歩前に出る。


 マリアはおもむろに自らの右手薬指に付けていたリングを抜き取って、俺のネクタイに通してから俺を見上げ、そのネクタイを首にかけた。


「おいおい、なにやってんだよマリア。そのリングは大事な物なんじゃないのか?」


 そこまで気にはしていなかったが、マリアは初めて会った時から右手の薬指にリングを嵌めていた。


 多分、人間時代に恋人に送られた物だろう。


 人間を引っ掻いて血みどろになっても外すことは一切なかったものだから、余程思い入れのある物だろうと想像していた。


 それに、あのリングがあるからこそ俺も今一歩を踏み出せずに、尻込みをする結果となっていたのは間違いない。


 そんなマリアは、リングを通したネクタイを俺に結びながら言ってくる。


「知ってる? 19歳の女の厄年に、恋人にシルバーのリングを贈られて右手の薬指に付けると厄祓いになるって話し」


 いや、そんな話しは初めて聞いたが、もしそうであれば尚更そのリングはマリアが付けていた方がいいんじゃないのか?


 そんな大事な物を、俺が持っていていいわけはないだろう。


 そんな俺の言葉を聞きながらもマリアはネクタイを俺に結び続け、微笑みながら声を出す。


「どうだろうね、私に彼氏が居たとは思えないけど。それにこれ、シルバーじゃなくプラスチックだから」


 へっ? プラスチック? シルバーじゃなきゃ厄祓いになら無いんじゃないのか?


 するとマリアは苦笑いで短く言った。


「私、金属アレルギーだから」



 …………あぁ……



「まぁ結局ゾンビにされちゃったんだから厄除けにはなって無かったし、プラスチックじゃ効果ないのも当然だし。そもそも私22だし」


 そう言って、ネクタイを結び終えたマリア。


「よしっ!」と言って俺の胸をポンと叩いてニカッ!と笑い、そしてまた楽しげに言葉を出してくる。


「颯太はさ、私の事好き過ぎだから。だから今日からそれが私ね。それだったらさ、颯太にしがみつく事も背負われることも無いし。それに車椅子も必要無いし、お荷物にもならないし」


 っと言って、キメ顔を見せるマリアさん。



 お荷物って……



「例えマリアが巨大化しようと増殖しようと、俺にとってお荷物になることなんざ1ミリもねぇよ」


 そう言った後に「えっ!」っと驚愕の眼差しになったマリア。


「どうしたよ?」っと聞くと、頬を紫に染めて言ってきた。


「秒で惚れたっ!」


「今頃っ!? もっと早く惚れてっ!!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る