大分県7.

 暫くはそのままで、俺は遠くからやって来る古参ゾンビや最古参ゾンビを眺めている。


 後ろではマリアの衣擦れの音が微かに聞こえてくる中で、自分が後ろを向けばいいじゃねぇかと思いながらもマリアの意識が戻った事に安堵し、少しばかり頬が緩んでしまう俺が此処にいた。


 マリアが居なくならなくて本当に良かったと思いながら天を仰ぎ見ていると、「いいわよ」っと、今度は少し恥ずかしげな声が背中からやってきた。


 再びクルリと反転すると、少し俯き加減でマリアが佇んでいる。


 その表情に、既に止まっているハズの心臓がドキッとした錯覚を覚え、何となく照れてしまった俺は後頭部を掻きながら照れ隠し気味に声を出した。


「あの爆発でやられちまったのか? ったく、とんだクソ野郎共だぜ」


 上手く誤魔化せたかは分からないが、マリアは黙ったまま表情を困惑に変えていき、それでもゆっくりと俺に視線を持ち上げて短く言ってくる。


「ううん……」


 そう言って黙ってしまったマリアだったが、それでもまだ何かを言いたそうで。


 俺は静かにマリアの言葉を待っていると、再び口を開いて言葉を続けた。


「ちょっと前……『カキリコン』を辞めるって言う前くらいかな。最後に人間を引っ掻いた後に何にもない所で躓いちゃってね、気付いたらパーカーの裾から内臓がはみ出しててさ。それを踏んじゃったから躓いちゃったって分かった時はもう遅くてさ。飛び出した内臓はもう元には戻らなくなっちゃってて……」


 そんな出来事を、マリアは俺の目を真っ直ぐ見ながら言ってくれた。


「だからいつもポケットに手を突っ込んで歩いてたって訳か」


 内臓が落ちないようにポケットの中で抱えながら……


「まぁね」っと言って、申し訳なさげに肩を竦めるマリア。



 全く……



 そん時に言ってくれりゃ良かったのに、面倒臭ぇ方向に考えやがって。


 マリアの今までの功績を考えりゃ、そんくらいの事で非難するヤツはいねぇし、いたら俺がぶっ飛ばすし、俺すらも文句なんざ1ミリも思い浮かばねぇ。


 だから、そんな事で足でまといになるなんて考えるよりはだ、マリアらしく笑って言ってくれりゃぁ良かったのに。


 自分ひとりで抱え込みやがって……


 全くらしくもねぇ。


「ごめん……」


 そう言って俯くマリアを、ただただ見つめ続ける俺なんだが、腐りゆく脳ミソではそれ以上考える事も億劫になるし、元よりこんな湿っぽい話しは苦手だし。


 それでも何かひとこと言わねぇと気がすまねぇから「ふんっ!」と、鼻息を鳴らして言ってやった。



 マリアの様に血栓は出せなかった。



「面倒臭ぇんだよ……バカ野郎」


 同じ自我に目覚めたゾンビ同士であり、『カプカキ』の相棒として常に一緒に行動しておきながら、マリアの異変に気付けなかった俺のからの、出来うる限り最大の抗議だ。


 そして、後の言葉は、自責の念を込めた自分自身への罵倒だ。


 それでもマリアは、悲しげな表情で微笑みながら俺に視線を持ち上げて「うん……ごめん……」と呟いた。


「分かりゃいいんだよ」


 っと言って、俺はネクタイに指を引っ掛けシュルりと外す。


 そしてマリアの前に屈んで、パーカーの裾の上に巻き付ける。


 俺の行動に、慌てたマリアが驚きながら声を出してきた。


「ちょっ! 何してんのさ!? そのネクタイ、颯太の大事な物でしょ! 汚れちゃうじゃん!」


 そんな言葉を聞きつつ、腰に巻き付けたネクタイをキツく蝶蝶結びで留める。


「よしっ!」


 そう言った後に立ち上がり、困惑の表情で見つめるマリアにこう言ってやった。


「そう思うんならせいぜい大事にしてくれよ」


 この局面で『お前より大事な物はこの世にはねぇよ……』と、言えない時点でチキン確定である。


 そんな俺の言葉をどう捉えたかは分からないが、マリアは暫く腰のネクタイを見つめ続けた。


 その後、ゆっくりと視線を俺に向けると、ニッと微笑んで声を出した。


「まっ、仕方ないから借りたげる」


 もちろんパーカーのポケットから、両手を出したままでだ。


 それから俺は移動を始めようとマリアの後ろに目を向けた時、傍にある建物が温泉旅館だと分かって、マリアの手首を掴んで飛び込んだ。


 もう既にチキン確定な俺は、どさくさに紛れながらも手を握れない超チキンである事は言うまでもない。



 ちくしょう。



 そこで俺はマリアの顔を何度も何度も、何度も何度も何度も何度も洗うように促す。


「ちょっと、それってそんなにヤバい液体だったの? カッチーーーン! ムカつくぅ! そいつ絶対血祭りにしてやんだから!」


 っと言って、拳を震わせるマリア。



 とても小便をかけられたなんて言えない。



 顔と、ついでに髪を洗ったマリアをソファに座らせ、気を失ってからの顛末とアイツらの居場所を言って聞かせる。


「ゾンビを溶かす液体かぁ……ちょっと厄介かも。そんな物を持ってるヤツ等に私たちで勝てるの?また使ってくるんじゃない?それ」


 マリアの緊張感のある声に、『カプカキ』の頃の懐かしさを覚えながらも、俺は軽く微笑みながら首を左右に振った。


「そこんところは心配ねぇだろう。アイツら『試験液』っと言っていたし、実験は終了とも言っていたから、それ以上は持っていないだろうぜ」


 その言葉を聞いたマリアは納得顔を見せ、それから新たな懸念材料を差し出してくる。


 こういったやり取りも『カプカキ』の頃を思い出して、ついつい頬を緩めてしまうのだが。


「それじゃ後はアイツらが用意するっていう車両が問題ね。それ使われたらもう手出し出来なくなっちゃうし」


 確かに、ヨタヨタと彷徨う様に移動する俺たちでは機動力を使われてしまえばお手上げになっちまう。


 しかし、要はヤツらに使われなければ言い訳であってだ、つまり俺たちが使えなくしてやりゃいいって事だろう。


「出来るの?」っと言って、コテンと小首を傾げるマリア。


 その仕草……



 惚れてまうやろぉぉぉっ!!! である。



 こうして作戦会議を終えた俺たちは、速やかに旅館から退出した。


 近くで横倒しになっていた、隊用車両からロープの束を3つ程くすね、後部座席の後ろからある物を取り上げてマリアに手渡した。


「何これ? 手榴弾?マジ物?」


 その表現に軽く苦笑いをしまった俺は、ネタばらしをする。


「そいつぁ訓練用の手榴弾だ。火薬の量を少なくして派手な音と煙が出るだけの代物さ。マジ物はアイツらが全て持ち出しているみたいだが、俺たちゾンビにゃこれくらいで充分だぜ」


 元より物覚えのいいマリアに軽く使い方をレクチャーし、俺たちは隊用車両から離れた。


 両手を大気に晒しながら歩くマリアと横並びでいる事に、俺は軽い高揚感を抱きながら歩を進める。


 しかし、これがマリアとの最後の共闘になるとは知らず、久しぶりの『カプカキ』の復活に気持ちを高ぶらせていた俺だった。



 辺りが夕暮れから宵闇に変わっていく由布院の田舎道は、薄曇りに被われた満月がじんわりと俺たちの影を地面に落としている。


 そして、雲に隠れている月を眺めながら俺は呟く。



 今宵のゾンビはひと味違うぞ……と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る