大分県8.

「さっきから気になってたんだけどさ、颯太は何であれのこと『軍用車両』って言わないで『隊用車両』って言ってんの?」


 そんな疑問を投げかけてくるマリアと俺は今現在、アイツらの潜伏先である、駅前通りの食堂の裏側の、小窓の下で身を丸くしながら2体寄り添って潜んでいた。


 ちなみに小窓はまだ開いていて、中からは博士と呼ばれる女性がパソコンのキーボードを叩くリズミカルな音が漏れ聞こえていた。


 それ以外の音と言えば、通りを歩く古参ゾンビや最古参ゾンビの足を引き摺る音くらいなものだ。


 食堂の前には何も停められていないところを見ると、隊長のAは未だ移動用の車両を確保出来ていないことが分かる。



 あれから俺たちは、隊用車両から移動して駅構内でちょいとした細工を施した。


 そして、アイツらが出発すると言っていた時間の15分前に食堂にたどり着き、この狭い路地で身を潜める中、暇つぶしがてらにマリアからの質問を受けたと言うわけだ。


「この国に組織されているのは、あくまで防衛を目的とした自衛『隊』であって『軍』ではないと言うのがお偉いさん方の主張だ。武器や兵器の殆どが何処ぞの国の軍隊のお古ばかりを買わされていると言うのによ、笑い話にもならねぇぜ。それに、この国が『軍』と言う文言を使うと、近隣諸国や民主主義国家がアレルギー反応を起こすらしいんだ。まぁ諸説ありだが少なくとも俺はそう教えられたぜ」


「訳わかんない」と言うマリアに激しく同意だが、元が海上自衛隊の端くれだった俺が、今では『骸の兵士』の一旦になっちまってるのも皮肉なもんだが、こっちは単なる笑い話しだ。



 大いに笑って欲しい。


 俺にとっては苦笑いだが。



「ウケる!」


 そう言って、笑顔を向けてくれるマリアとクスクス笑っていると、街灯も無い薄曇りの月明かりの通りにヘッドライトの一筋の明かりが近づいてきた。


 やがて、食堂の前に一台の真っ黒なワンボックスカーが滑り込んできて横付けされる。


 俺たちの潜む建物と建物の間に設置された業務用エアコンの、大型の室外機の裏からは助手席側後輪のタイヤが確認できた。


 どうやら隊長Aが戻って来たのだろう、ワンボックスカーの運転席側のドアの音が鳴ると、素早く移動する足音の後に店舗の扉が開かれた音が聞こえる。


 それから直ぐに、今度は小窓から扉のノック音の後で、くぐもった隊長Aの声が聞こえてきた。


「辻博士、車両の用意が出来た。移動の準備はよろしいか」


 扉は開かずに声を出している様だ。


 出来る男なのかもしれない。


 それでも喰いちぎってやるのだが。


「後11分後に出発します」


 澄ました声が部屋の中から聞こえた後は、再びキーボードを弾く音だけとなる。


 それを確認して俺はロープの束を持って5番ほふくで車体の下に潜り込んだ。


 人間時代はそこそこ筋肉質だった俺だが、ゾンビになって長いものだから、筋肉はそげ落ちて体脂肪はゼロになったために低い車体にも難なく潜り込める。


 爪をアスファルトに引っ掛けながら車体下を前進して行き、助手席の真下のタイヤホイールの裏側からロープの端を通す。


 もやい結びでガッチリ留めると、残りのロープを車体下の中央辺りに放置し、体制を低くして俺の様子を見ていたマリアと共に道路側に這い出した。


 そして、身を潜めるように駅に向かっていく。


 その際に、ワンボックスカーの運転席側の窓を全開にし、ヘッドライトは切ってやる。


 程なく駅の入口に到着し、屈みながら食堂側に向き直ると、薄い月明かりの世界の中でワンボックスカーの車内の僅かな光以外の明かりは何処にも無かった。


 ワンボックスカーの後方に、古参ゾンビや最古参ゾンビが蠢いているのが小さく確認できるだけで、駅周辺にゾンビの移動は皆無だった。



 何故でしょう……


 まっ、この後の展開を、お楽しみと言うヤツだ。



「たったあれだけのロープで本当に何とかなっちゃうもんなの?」


 っと、俺の横で身を潜めるマリアが不思議そうに言ってくる。


 それも見てのお楽しみだなと言いながら、俺たちは静かにワンボックスカーを眺めた。



 そしてその時は突然やってくる。



「何かやけに静かっスね。もうアイツらは行っちゃいましたかねぇ」


 そんな軽い眼鏡Cの声が開かれた食堂の扉から聞こえたかと思えば、迷彩服を着た三人の男と白衣を着た細身の人物が現れて、辺りをキョロキョロと見回し始めた。


「ちっ、まだいやがるじゃないか。少し計算が狂ってるんじゃ無いんですか? 辻博士」


 今のは多分、長身Bの声だろう。


 車の前を横切って運転席側に出た瞬間に、ワンボックスカーの後方からやって来る古参ゾンビや最古参ゾンビを発見して小銃を構えた。


「山崎さん、無駄に弾を消費するのは控えてください。あれ等のゾンビは動きが鈍いものばかりです。無駄な戦闘を避けるために弾き出した計算に狂いは有りません。行きますよ」


 そんな冷静な声を聞きつつ、なるほど博士と呼ばれているだけの事はあると感心するばかりだ。


 多分あの女性は防衛省か何処かの職員とみた。


 でなければ、自衛官の特殊部隊とは同行しないだろうしな。


 そこで進行する『骸の兵士』の研究に勤しみ、どのくらいの位置にどれくらいの数のゾンビと、どの様なゾンビが居るのかを正確に把握して、出発時間を割り出したのだろう。


 それに、外に出てからの余裕の態度はだ、確実に古参ゾンビや最古参ゾンビの特性を把握している行動だ。


 迫り来るゾンビを恐れることなくノートパソコンを携えて、運転席側後方のスライドドアを開けて普通に乗り込んで行った。


 運転席に長身Bが乗り込み、助手席に眼鏡Cが乗り込んだタイミングで、古参ゾンビ2体がワンボックスカーの後方に張り付いてボディをバンバンと叩き始めた。


 そんな中で、隊長Aだけが助手席後方のスライドドアを開けたまま前方を眺めていると、車の中から博士の声が聞こえてくる。


「安藤隊長、どうしました? いくら動きの鈍いゾンビでも回り込まれるのは面倒です。早く乗り込んでくれませんか?」


「ライトが……」っと言う呟きの後に、安藤隊長と呼ばれた隊長Aは顔を車内に向けて、そして素早く乗り込みドアを閉めた。


 これで、最初にやられるのが長身Bと博士で決まりだなと思いながら、俺は立ち上がる。


 そして、マリアを背中にして入口前に移動し、古参ゾンビらしいポーズで構えながらワンボックスカーを眺めていると、パッとヘッドライトが点灯した。



 そのヘッドライトはまさに、の如く俺だけを照らし出しているだろう、窓を全開にしていた運転席側から長身Bの落ち着いた声が聞こえる。



「前方にゾンビ1体発見。古いですね」


 1体ね……


 案の定、後ろのマリアは見えない様で、さらに後方の駅の様子も分からないでいる様だ。



 全ては計算通りに……



「どうします?」と、長身Bの声の後に博士の「予定通りに」の声がした後、ワンボックスカーは後方に張り付いた古参ゾンビを引き摺るようにゆっくりと動きだす。


 それが合図だったかのように、薄曇りがスゥっと晴れていき、辺りが月明かりに照らされた瞬間だ。


 俺は上空に浮かぶ満月に顎を突き上げ、思いっきり吠え上げた。



 ゴッオォォォォォォォォォッッッ!!!



 俺の叫びが聞こえたのか、ワンボックスカーは1メートル動いたところでキキキっと音を鳴らして急停止し、車の中から長身Bの驚きの声が上がる。


「隊長っ! 何だかあのゾンビ、様子がおかしいです! どうしますか?」


 すると隊長Aが素早く「構うな、行け!」と言う声が聞こえた。



 行けるもんなら行ってみな。


 そう呟いて俺は再び雄叫びを上げる。


 ガァァァァァァァァァァッッッ!!!



 するとワンボックスカーの後ろで倒れた古参ゾンビや、こちらに向かってくる最古参ゾンビ、更には姿は見えないが、至る場所からゾンビの雄叫びが世界のあらゆる音をかき消すように轟始めた。



 もちろん俺の背中に身を寄せているマリアもだ。



 グォォォォォォォォッッッ!!!

 ギャァァァァァァァアァァァッッッ!!!

 ガァァァァァァァァァァッッッ!!!

 ゴォッ!ゴォッ!ゴォッ!ゴォォッ!!!


 そして、何処に潜んでいたのか古参ゾンビや最古参ゾンビがワンボックスカーの後方や右側面、左側の道路から這い出すように出現してきた。



 今宵は満月。



 迫り来るゾンビの動きは3割増だ。


 その為に、移動する古参ゾンビや最古参ゾンビは、ノマゾン(ノーマルゾンビ)並の速度でワンボックスカーに近寄っていく。


 右側面、左側面、そして後方から少しずつ数を増やしていく『骸の兵士』の群れには、ただ1点だけ穴がある。



 それは真正面。



 ワンボックスカーの正面にはただ1体の、真っ黒でくすんだジャージを着た、古びたゾンビがヘッドライトの明かり浴びて佇んでいるだけ。


 そしてワンボックスカーは急発進し、その1体のゾンビ目掛けて突っ込んで来やがった。

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