長崎3.

「長崎かぁ……」


 さっきのラジオでの天気予報で言っていた、そんな県名を呟きはしたが、実はここが長崎県であることは既に分かっていた。


 とは言え、俺は長崎県に来た事は一度もないのだが。


 それでもここが長崎県である事は、俺でなくても誰だって分かる物体が、俺の目の前で鎮座している。


 右手で上空を指し、左手を水平に構えるそれは被爆地の象徴、平和記念像が広い公園のど真ん中で俺たち最古参ゾンビの進軍を眺めてくれていた。


 その雄大で凛々しい眼差しは、人間にもゾンビにも分け隔ては無いのだろう。


 そんな記念像を遠目で確認できた時、俺は人間時代は広島県出身で、海上自衛隊に勤務していた事を、朧気おぼろげに思い出してもいた。


 同じ原爆被災地であるが為に、小学校の時から社会科や特別授業のある時は必ず長崎県とのセットで習っていたし。


 それに、自衛隊時代も隊内講習で繰り返し受講した記憶も薄らと蘇ってきたしな。


 そんな場所で核兵器使用の話題を聞くことになるとは、タイミングか良すぎて皮肉にも程があると言うものだ。



 パシャン……



 しかしまぁ何だ、この場所が俺の終着地点になるとは、アビドバス・ガロン・ウィルガラン国王も粋なことをしやがるじゃねぇか。


 まさかこんなところでアビの野郎が『骸の兵士』特殊部隊、コードネーム『カプリコン』の、この俺の功績を認め、あんなドでけぇ墓標を用意してくれるとは……


 有難くって、ヨダレがダダ漏れになっちまいそうだ。


 もう、ヨダレも枯れ果てているのだが。


 そう呟きながら、既に力のない両足はいつ倒れてもおかしくない程おぼつかない。


 それでも少しづつ、少しづつ、前へ前へと進み続ける。


 前から思っていた事だが、デッドリーラインに追い越される最古参ゾンビは何故に最後の最後まで歩き続けているのかと。


 どうせ朽ち果てるのだから歩くのを止め、立ち尽くしたり天を仰ぎみたりすりゃぁいいのにと思っていた。


 しかしだ、自分が最古参ゾンビとなり、デッドリーラインに迫られる身になって初めて分かった。



 そこに、自分の意思は無かった。



 止まりたくても止まれないし、佇みたくても足が勝手に動いていく。



 パシャン……



『骸の兵士』として人間を求め、傷付ける事を使命とされた呪われたゾンビは、最後の一瞬までそれを放棄する事は許されていなかった。


 それが例え、使命を果たせなくなったとしても、ただただ何かに引っ張られる様に前へ前へ……


 ただただ人間を求めて彷徨うだけの『骸の兵士』の、まさに成れの果てだ。


 だがそれでもいいと、今では思う。


 好きでなったゾンビじゃねぇが、これまでかなりの人間をカプり、仲間にしてきたこの俺だ。


 先頭ゾンビの様に、自衛隊や警官隊の銃火器で、ド派手に五体をバラバラにされるのもいいかも知れねぇ。


 しかしだ。


 腐るところも無いくらいに腐敗しきり、


 ガサガサでくすみきった皮膚だけが骨にこびり付いている、


 そんな薄汚ねぇ最古参ゾンビとなって、最後の1ミリまで現役で終わるのも誉れ高いってもんだ。


 それに、何となく……


 何となく誰かと約束したような気がする。


 必ず最後まで連れていく……


 何故に、誰を、何処に連れていかねばならないのかは分からねぇし、何時そんな約束をしたのかも分からねぇ。


 きっと人間時代の記憶なんだろうが、俺にとっては何よりも大事な約束の様な気がする。


 自我に目覚めてもなお覚えているという事はだ、余程思い入れのある相手との約束だったのかもしれない。


 それがひとりだったのか、複数のだったのかは最早どうでもいい事だ。



 パシャン……



 だからこそ俺は今、呪いだろうが何だろうが足を動かして移動出来ていることに感謝している。


 最後まで、約束を守り通せるからな。


 それに、こんなにも穏やかでいられるのも、この相棒のお陰だしよ。


 俺はポケットの上からラジオを撫でる。


 すると、ラジオから音が出ていないことに気付き、ポケットからラジオと乾電池を取り出す。


 おぼつかない手つきで電池を交換すると、スピーカーからこんな声が聞こえてきた。


『速報です。日本政府は本日、午後12時に各地で徘徊するアンデッドに対し、対アンデット用化学兵器『SEISUI・06』を使用すると発表しました。この兵器は先月から行方不明となっています、防衛省所属の科学者、辻聡美つじさとみ博士により開発された化学兵器で……』


 せいすい……ろく……6番……


 何となくどこかで聞いたようなワードだが、今更もう思い出そう気にもならねぇし、後ろからやって来る破滅の音がうるせぇし。



 パシャン……



 例えもうすぐ消滅すると分かっていても、迫り来る破滅の足音が耳障りで、その音が胸のざわめきを嫌でも掻き立る。


 一度脳裏にこびり付いた虚無への恐怖がズルズルと引き上げられる感覚に、目覚めてしまった自我を放棄したくなる。


 だが……


 それももう、あと数分で終わる……


 ようやく終わってくれる。


 やっと終われる……


 ようやく……



 人は今際の際に立たされると走馬灯を見ると言うが、ゾンビには当てはまらないようだ。


 ただ引き摺られるように足を動かし、迫り来る消滅の恐怖に押し潰されそうになっても、脳裏に映るものは何も無い。


 ただただ視界に入るのは、ジリジリと近寄る平和記念像のみだ。


「平和記念像か……」


 何だかもう、呟く気力すらもなくなっちまったのだが、せっかくアビが用意してくれた墓標なのに、やはり俺の様な汚らしいゾンビにゃ手に余りすぎて恐縮しちまう。



 パシャン!



 それに、未だ現役の『骸の兵士』のままで終わりを迎えれるんだったらこんな立派な墓標じゃなくていい。


 むしろ、その後ろにある便所の裏で朽ち果てるのが俺には似合ってるのにと苦笑うのみだが、最後に口元が綻んで終わるのもまた一興だ。


『……作戦箇所は以下の通りです。北海道は……市、東北……青森県むつ市、関東甲信越地方は新潟……市、中部……は富山県高岡市、近畿地……府の舞鶴市、中国・四……島根県の出雲市、九州・沖縄地……長崎県の長崎市となっております。生存者の方はく……建物から出ないようにお願いし……』


 相棒が何かを言っている様だが、俺にはもう返す言葉も思いつかねぇし、実はもうハッキリと聞こえねぇ。


 視界はかすみ、手足は上手く動かせず、頭の中は惚けていき、下顎が落ちてダラりと舌が伸びる。


 だのに、聞きたくもねぇ消滅の音色だけはしっかりと真後ろから耳に届いた。


 パシャンッ!!!



 だが……


 これが俺の聞く、最後の音となるのだろう。


 そして今の音こそが『骸の兵士』の成れの果ての、この俺に送られるフィナーレだ。


 次にこの音が鳴る時は俺が崩れ落ちる時だから、俺がその音を聞くことは無い。


 俺が崩れ落ちるその音は、次に崩れ落ちるヤツらの為のフィナーレとなる。



 デッドリーラインが近づくにつれ、乾燥により水分を奪われた全身の奥底から水分が湧き出すようで。


 手足の先まで膨張する感覚に包まれ、


 けたたましい耳鳴りが大きく響き、


 真っ白に霞ゆく視界はこの世の全てを曖昧にしていくようで。


 それでも俺は全神経を集中させて目を見開くと、そこには高い台座に鎮座する平和記念像と、その手前を歩く2体の最古参ゾンビが掠れながらも確認出来た。


 俺はそいつらに、声なき大声で言ってやる。


 声なんてとっくに出やしねぇが……


 それでも俺は、霞みゆく視界を強く睨みつけながら、


 声なき声で、


 叫んでやる。



 これが『骸の兵士』特殊部隊、コードネーム『カプリコン』と呼ばれたこの俺が奏でる、お前たちへのフィナーレだ!


 存分に聞きやがれ!!!


 ついでに、


 俺を孤独にしやがったクソみてぇなこの世界にも言ってやらぁ!




 ……………………………またな……

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