指宿5.

 俺は、晴也から詩織に視線をスライドさせてから声を出す。


「詩織は?」


 そう聞いても詩織は何も言わなかった。


 俺は詩織の目の前まで移動して視線を合わせ、小指を耳に当てる仕草をする。


 詩織は慌てたように両耳に小指を突っ込んでほじり始め、そして小指を引き抜いて笑顔向けて言ってくる。



 耳の中の血栓を押し込んでいるのだろう。



「気づいてたんだね、颯太さんの意地悪!」


 っと言って、チロっと舌を出す詩織。


 うむ……萌え度MAXだ。


 詩織の言う通り、俺はちょっと前から気付いていた。


 詩織の耳が聞こえづらくなっていた事に。


「いつからだ?」と、聞く俺に、詩織はしっかり且つ暗くならないように説明し始めた。


「どのくらい前だったかな? 何となく周りの音が聞こえづらくなって耳に指を突っ込んだら血栓が出来ててね。気持ち悪いから引っ掻いて無理矢理取っちゃったら、耳からドロドロの液体がドバドバ出できちゃって」


 そこまで言って肩を竦めた詩織は、更に言葉を続けた。


「多分脳ミソが腐って液状化し始めたてたんだろうね。慌てて塞いどけど、良かったことにそれほど記憶に影響してなくてさ。だから上手く誤魔化せてたと思ってたんだけど」


 っと言って、ウインクを飛ばしてくる。



 ハートを撃ち抜かれそうだ。



 しかし、残念ながら虚ろで焦点の合わない目で、何処に飛ばしたか分からないウインクを俺は受け取る事が出来なかった。


「既に視力も無くなって来てるんだな」


「完全にじゃないけど……やっぱり颯太さんは誤魔化せないや」


 考えてみたら、あの時の詩織はキッチン台の横で女性の方向を向いていたが、実はその姿をハッキリと確認できていなかったのだろう。


 だからこそ、その場で固まっていたのだ。


「あの時に颯太さんが吠えてくれたからさ、一瞬だけ視力が鮮明になったの。後は無我夢中だよ」


「やっぱ颯太さんは頼りになるねっ!」っと追加し、笑顔を作る詩織。


 そこで再び、晴也が穏やかに話し始めた。


「僕、本当に感謝してるんです。颯太さんにもマリアさんにも。それに、最後に『カプリコン』に入る事が出来て凄く満足しています。やっと憧れの颯太さんとマリアさんに追いつく事が出来て」


「私もだよっ!」


 っと言ってくる詩織を、マリアはキツく睨みつけるが、詩織の方は笑顔を固定したままだった。


 多分、マリアの顔がハッキリ見えてても笑顔を向けていただろう。


 変に大人びた素振りをするのが、詩織と言う名の女の子なのだ。


 そして、晴也がスッキリした声で、こう言ってきた。


「最後に『カプリコン』にも入れたし、いっぱい話しも出来たし、僕はもう未練はありません。だけど……だけど、ひとつだけやり残したと言うか、やりたい事があるんです」


「なんだ? 言ってみろよ」


 っと言うと、晴也は後頭部を掻きながらクシャりと破顔して言う。


 その表情は晴也が初めて見せた、優等生では無い、本当の晴也の年相応の笑顔だった。


「最後に一度だけ、詩織ちゃんを背負って歩いてみたいなって。いつも颯太さんの役目で、後ろから見てて羨ましいなって思ってて。だから一度でいいから詩織ちゃんを背負って歩きたいなって」


 そんな事を考えていたのか……


 言ってくれれば何時でも変わってやったのに、誰も何も言わないからそれが普通になってしまっていたのかもしれないな。


「気付いてやれなくて済まなかったな、晴也」


「いえいえ」と言いながら照れる晴也から、視線を詩織に向けて、俺は短く声を出す。


「いいよな、詩織」


 「うん!」っと、元気よく返事をしたタイミングで晴也がその場にしゃがみこむ。


 そこへ詩織が右足だけでぴょんぴょん跳ねながら晴也の背中に張り付き、そして晴也がスッと立ち上がる。



「詩織ちゃんって思ってたよりもずっと軽いんだね」


「そぉ? ありがと! 晴也君って優しいね」



 晴也も詩織もあんなにいい顔になるんなら、もっと早くに交代してやれていたならと後悔するばかりなのだ。


 そんな2体を眺めながら、俺は至って平然を装い、笑顔を作って言い放つ。


「よしっ! 今日で俺は詩織の足を卒業する! これからは晴也が詩織の足だ! 杖代わりと兼任になっちまうが根性でやってのけろよ。だから、あまり詩織の負担にならないような歩き方を心がけるんだぞ」


 すると、今まで悔しそうに俯いていたマリアが顔を上げて言った。


「もし詩織に不快感を与える様な事をしたらぶん殴るからねっ! 分かった!? 分かったら返事しろっ!」


 その言葉に、晴也は表情をキリッと引き締まらせ、右手を額の横に当てて敬礼をしながら応えた。


「はいっ! 了解しましたっ! お任せ下さいっ!」


 その言葉で俺たちは黙り込み、それから暫くして小さく笑い始める。



 その後、大きく深呼吸をした晴也が視線をデッドリーラインの方に向けて声を出した。


「僕たちはそろそろ行こうと思います。ここで、お別れです」


 そう言って俺たちに背を向けると、晴也に背負われた詩織がこちらに向き直る。


 しかし、視線は向けきれて無いものだから名前を呼んでやると、ようやく顔全体をこちらに向けてニコッと笑顔を見せて言った。


「じゃあねっ! 颯太さん! マリアちゃん! 大好きだよっ!」


 そう言って顔を戻し、そして晴也の耳元に顔を寄せて小さく「晴也君も」っと、言ったのを聞き逃さなかった。


「それではっ!」


 っと、顔を半分くらいこちらに向けた晴也が右手を上げた後、姿勢を戻しゆっくりと両足を引き摺りながら移動を始める。


 その晴也の後ろ姿を背中の詩織ごと、東シナ海に沈みゆくオレンジ色の太陽が色濃く照らしていた。



 ゆっくりと……


 ゆっくりと……


 そして確実に去りゆく晴也と詩織を、俺とマリアはただただ見送るだけしか出来ない。


『骸の兵士』として人間を襲えなくなり、移動も出来なくなり、そして動けなくなった者は群れから切り離され朽ち果てて骨になる。


 それもゾンビとされてしまった者の定めであり、逃れられない宿命だ。


 俺たちはそれを分かっている。


 分かっているからこそ、晴也も詩織も抗う選択をしたのだ。


『骸の兵士』から弾かれ、ただのゾンビとして朽ち果てるのではなく、俺たち特殊部隊『カプリコン』のメンバーのまま朽ち果てることを選んだのだ。


 さすがは自我に目覚めた不良ゾンビ。


 もし……


 もし、あの世で晴也と詩織の両親に出会えたのならば土下座をし、地面に額を擦りつけて謝ろうと強く思った。



 最後まで、守ってあげれなくて本当に申し訳なかったと。



「そん時は私も付き合ったげるし」


 そんなマリアの言葉を有難く思っていると、晴也と詩織よりも向こう側、こちらに向かって歩いてくる最古参ゾンビが全身を膨張させたかと思えば、俺たちにまで聞こえる『パシャン!』っという音と共に崩れ落ちた。


 デッドリーラインに追い越されたのだ。


 あの最古参ゾンビもどれくらい前からゾンビにさせられたのかは知らないが、ようやく『骸の兵士』の使命から外れ、お役御免となる事に喜んでやればいいのだろうか。


 明日は我が身の俺たち古参ゾンビなのだからと、その光景を見守っていると、晴也たちの前で次々と最古参ゾンビが破裂し、ドロドロの真っ黒な液体を飛び散らせて骨だけがその場に崩れ落ちる。


 そして、いよいよ晴也の前方20メートル辺りのゾンビが崩れた時、ズルズルと移動して行く晴也に俺は大声を出す。


「晴也っ!!! 詩織っ!!!」


 俺の声は届いた様で、晴也はその場で俺たちの方に向き直って大声で返してきた。


「はいっ!!! 何でしょうっ!!!」


 俺の声は詩織にも届いたようで、晴也の頭の横で詩織は笑顔を向けている。


 そんな2体に俺は右腕を高々と上げ、そして大声で言い放った。



「またなっ!!!」



 そしてマリアも続く。


「絶対にまた会うんだからねっ! 約束だからっ! 分忘れるなっ!!!」


 俺とマリアの声を聞いた晴也は、一拍置いた後に返事を返してくれた。


「はいっ! 絶対にっ! 約束ですっ!!!」


 そして詩織も続く。


「またねぇっ! 颯太さんっ! またねっ! マリアちゃん! 絶対にまた会おうねっ!!!」


 そう言って俺たち『カプリコン』は暫く手を振り合い、そしてまた晴也はクルリと踵を返し歩き始めた。


 その後ろ姿に当たる夕日のオレンジは、まるで混沌とした世界に退場を許され、それを祝福される様に光り輝いているようにも見えた。


 そして、俺とマリアは晴也と詩織の背中に微笑みを残して踵を返すと、2体同時に歩き始める。


 どうやら、アビドバス・ガロン・ウィルガラン国王はまだまだ俺とマリアをこの世から退場させる気がないようで、俺たちは再び人間を求めて彷徨う『骸の兵士』に戻り、最古参ゾンビ達を追い抜くように移動を始め……



 パシャンッ!!!



 そんな大きめの音が耳に届いてきた。


 ……………?

 ……………?


 その音で俺とマリアは顔を見合わせ、そしてゆっくりと振り向くと、そこにはヨロヨロと歩く最古参ゾンビ3体以外は何も無く、音の出処も見当たらなかった。


「今の音、なんだったのかなぁ?」


 不思議そうに音の出処を探すマリアに、俺は言ってやった。


「どうせ最古参ゾンビが、何体か同時にデッドリーラインに追い越されたんだろ。俺たちもそうなる前にとっとと行こうぜ」


「そうね」っと言って.肩をすくめるマリア。


 こうして俺たちはデッドリーラインから離れるように、早歩きでその場を離れて行ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る