大分県13.
そんな軽口を交わして穏やかに笑いあっていると、いよいよマリアの後方100メートルくらいの最古参ゾンビが『パシャン!』と、音を立てて崩れ落ちる。
その音を聞いたマリアが俺に視線を固定し、薄く笑いながら声を出した。
「颯太はさ、『カプリコン』のリーダーなんだから、ちゃんと最後まで私を連れて行ってよね」
っと言って、ネクタイの結び目に着いているリングごと胸を小突く。
それから優しく、
寂しく、
穏やかで切ない笑顔をふわりと浮かべてくれた。
いつから俺はリーダーになったんだよと思いつつ、マリアのその笑顔が……
綺麗で、
可愛くて。
大人びていて幼く見えて、
直視したくないのに目が離せなくて……
そして俺は心の中で思いっきり……
恨んだ。
涙の一滴も流せず、
みっともなく抱きつく事も出来ず、
マリアの消滅に駄々をこねる事もせず、
ただ、淡々とその事実を受け入れれるゾンビである俺を……
憎んだ。
いつかはあの最古参ゾンビのように、朽ち果てるのが宿命の俺たちゾンビには、悲しみの感情すら腐り果ててしまっているようだ。
だけど……
そんな醜いゾンビな俺だけど……
この胸の切なさは、
苦しさは、
悔しさや虚しさや、
悲しさや辛さや寂しさは、
本物だ。
それはきっとマリアもそうだろう。
自我に目覚め、そして出会った。
笑って話して歩き続けて、
共に唸って吠えて雄叫びを上げて。
腐って衰えてなお、彷徨い続けた俺とマリアのこの感情だけは、例えアビドバス・ガロン・ウィルガラン国王であっても自由にさせてやる気はねぇ。
だからこそマリアは優しく微笑み、そして俺も、フッと、笑って笑顔を返す。
本当の気持ちを自ら殺しながら……
全く……
揃いも揃って不器用ゾンビで呆れてしまう。
そんな俺たちだから、最後まで俺たちでいようと思い、俺は微笑みを浮かべながら声を出した。
「ところでマリア。両手を出すようになってからも、たまにポケットの中でモソモソしてよなぁ。何か入ってるのか?」
するとマリアはすかさずポケットに手を突っ込み、1本の小さめのミネラルウォーター入りのペットボトルを抜き取り、肩を竦めながら見せてくれた。
ペットボトル? 何の?
ミネラルウォーター? いや、何で?
そんなマリアも、自らが持ち上げるペットボトルを眺めながら、不思議そうに答えてくる。
「それが分かんないんだよね。気がついたら入ってたって感じ?まぁでも、ポケットに手を入れて歩いてた時は割と役にたってさ。これをお腹に押し当てると安定して歩きやすかったし」
へぇ……
でもまぁ、マリアの役に立ってたんなら俺からもグッジョブと言わせてもらうぜ。
「それにね……」
と言いながら、ペットボトルを軽く持ち上げ、
「私さ、このペットボトルで颯太の事を助けてた気がするんだ。これをどう使ってたかは分かんないけど、きっとこれで私は颯太の役にたってた気がするの」
そう言ったマリアが俺に視線を戻し、そして言葉を追加する。
「このペットボトルはさ、私と颯太を繋げる物だから、持っていこうかってな……ってね」
それが俺に何の役に立ってたのかなと思ってしまうのだが。
まぁ、マリアがそう言うのならきっとそうなんだろう。
そんな事を思っていると、マリアの後方50メートルくらいの最古参ゾンビが膨張し、液状化した瞬間に、『パシャン!』と、音を立てて崩れ落ちる。
マリアはゆっくりと持ち上げていた右手を下げ、出会ってから今日まで何度も見せてくれた、俺の一番大好きなあのニッと、口角を上げた笑顔を見せてくれる。
「さっ、早く行かないと颯太も巻き込まれちゃうし。行って行って」
マリアの何事も無いような言い方が、これから起きる出来事を打ち消してくれる様な気がして、俺は思わず苦笑いで言葉を出す。
「まっ、俺は『カプリコン』のリーダーだからな。仲間の死に様は目に焼き付けておかねばならん。だから俺はマリアの事を見ながら後ずさる。いいよな」
「ホント好き過ぎじゃね?」
っと言って、ニカッと笑うマリア。
この笑顔も捨て難い。
俺はマリアの笑顔を見つめながら笑顔を返し、一歩、そして一歩、また一歩と後ずさり始める。
マリアもまた俺の笑顔を見つめたまま、ただただ佇んだままだ。
俺がマリアから10メートル離れたくらいで、マリアの後方20メートル程の位置の最古参ゾンビが崩れ落ちた瞬間、俺は後ずさりながら大声を上げた。
「マリアっ!!!」
すかさず大きく声が帰ってくる。
「何ぃっ!!?」
そして俺は右手を大きく上げ、左右にブンブン振りながら叫んだ。
「またなっ!!!」
すると一瞬……
ほんの一瞬だけ間が空いた後、マリアが大声で答えてくれた。
「うんっ! 絶対っ!!! 約束だからっ! 忘れるなっ!!!」
そう言いながら、マリアはふらつきながらも左手を大きく上げて左右に降ってくれる。
一歩、
そしてまた一歩、
俺たちの距離が離れていく中で、俺たちは違いに手を振りあう。
そうする事で、心の距離だけは縮まっていくようで……
だから俺はマリアをしっかりと見つめながら後ずさっていく。
すると、マリアの後方5メートルくらいの最古参ゾンビが崩れ落ちた瞬間、マリアが大声で俺の名前を呼んだ。
「颯太ぁっ!!!」
「何だっ!!?」
条件反射的に言葉を返すと、再びマリアは大声で言った。
「やっぱこれあげるっ! 持ってけっ!!!」
そう言ってマリアは右手に持ったペットボトルを、曇り空の月夜に向かって高く……
高く高く、放り投げた。
ちょっ! まっ!!!
薄曇りの満月の光に照らされたペットボトルはキラキラと舞い上がり、上昇のエネルギーが切れ、落下の方に向い……
パシャン!!!
……………
……………
何かの音に一瞬気を引かれた俺は、落下してくる物体の目測を誤りかける。
だがしかし、不格好ながら何とかそれをキャッチし、しげしげと眺めながら呟いた。
「ミネラルウォーター? なんでこんなもんが降ってきたんだ? ……訳わかんねぇ」
俺は視線を音がした方に向けると、そこには液状化して骨だけとなったゾンビの残骸が複数あるのに気がついた。
何となくそのゾンビ残骸を眺めつつ、何か大事な事を忘れてるんじゃないのだろかと頭を傾げる。
「う〜〜〜ん……」と唸るも、腐りゆく脳ミソでは思い出せる事も出来ず。
「ふうっ……」と、ひと息吐いてから薄雲の上の満月を眺めて再び呟く。
「まぁ、いっか! ラッキー!」
そして俺は素早く踵を返し、ミネラルウォーターのペットボトルをポケットに押し込んだ。
こうしてデッドリーラインから逃げるように、俺は早歩きで移動を始める。
線路の上の枕木だけを選び、ヒョイヒョイとリズミカルに跳ねながら踏みつけ、奥へ奥へと進んで行くのだった。
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