10‐3 ただ手と手は固くつないだままで

 木の影。

 どこまでも続く、真っ黒な木の影。

 細い道はときには石段になり、ときには平らになり、何度も折れ曲がりながら上り続ける。

 僕らはもう何も言わずに、ただ手と手は固くつないだままで、そんな夜の中を歩いた。


 こんなに遠かったっけ? そろそろ着いてもいい頃なのに。

 そう思いはじめたとき、方違さんがふと立ち止まった。


「どしたの?」

「まもるくん……。なんか、聞こえない?」


 方違さんの不安げな声を聞くと、あたりが急に月曜日になったような気がする。

 耳をすませてみると、確かに聞こえる。


「お……ん……」


 子どもが誰かを呼んでいるような声だ。

 僕と方違さんは顔を見合わせた。暗くてよく見えないけど、どんな顔をしてるかは想像できた。


「おね……ん……」


 方違さんは僕の腕をぎゅっとつかんだ。

「ちこりちゃんの声だ」

「ほんと?」

「『お姉ちゃん』って言った。ちこりちゃんだ、絶対」

「静かに」

 僕らは息をひそめる。


「おね……ちゃ……」


 声は上のほうから聞こえた。ちこりちゃんの声、なのだろうか。なぜか、幼いときの僕が姉を呼んでいた声に似ている気もした。


「わたしを呼んでる。どしたんだろ?」


 早足になった方違さんに腕を引っ張られつつも、僕は足元に意識を集中しながら歩いた。

 石段が二回折れ曲がり、祠をひとつ通り過ぎる。

 声はますますはっきりと聞こえるようになった。


「おねえちゃん……」

「ちこりちゃん! ここだよ! どしたの?」


 僕らがちこりちゃんを見つけたのは、木々の間の広場の一つだった。

 そこだけがなんとなく明るいその広場の隅には、ぼろぼろに壊れて傾いた祠がひとつあった。その横には小さな鳥居がたくさん、倒れたままで積み重ねてある。

 ちこりちゃんは祠の前に、僕らに背中を向けて、お人形みたいに脚をまっすぐに投げ出して座っていた。


「何してるの、ちこりちゃん?」

「おねえちゃんを……待っておったのじゃ」


 ほんとうに、ちこりちゃんの声?

 まるで人の声じゃないみたいに、おぼろげに響く。

 何かがおかしい。

 今日は月曜日じゃないのに。


「ちこりちゃん」と僕は話しかけた。「ほんとに、ちこりちゃんがしゃべってるの?」

「ほう。鋭いのう、人間の小僧」ちこりちゃんは振り向きもしなかった。「だがお前のような雑魚ざこが言葉を発することなど、わしは許してはおらぬ」

 方違さんもさすがにおかしいと思ったらしく、ちこりちゃんに駆け寄って肩をゆすった。

「どしたの? 変だよ、ちこりちゃん。まもるくんは雑魚じゃないよ」

「わしに触れるでない」と、ちこりちゃんは言った。「くるり、そなたにはわしが分からぬのか?」

「ちこりちゃんでしょ?」


 いや、ちこりちゃんじゃない。

 でもその声は、ちこりちゃんの体から聞こえるのだ。


「雑魚の申した通り、わしはこの童女わらわめ憑坐よりましとして話しておるにすぎぬ」

「どういうこと?」方違さんが不安そうに言う。「ワラマメってなに……?」

「少しは古文を勉強せい。童女とは幼い女の子、憑坐とは神が憑依する子どものことじゃ」

「神……?」

「さよう」声はくすくすと笑った。「わしは、神じゃ」

「うそ……神様なんているはずない。月曜日じゃないのに……」

「暦など一枚の薄紙に過ぎぬ。わしの力によって、今、ここだけは月曜日になっておるのじゃ」

「うそだ」僕は思わず大きな声を出した。「そんなのずるいよ。神様か何か知らないけど」

「雑魚は黙っておれと言うたであろう」と声は言った。「わしは、方違大神かたたがえのおおかみ。この祠のあるじじゃ」

「か、かたたた……?」

「『かたたがえ』だよ」と僕はささやいた。「方違さんの名字と同じ漢字」

「そうなんだ……」

「聞け、方違くるり」

 ちこりちゃんは僕らに背中を向けたまま、左右にゆらゆらと揺れながら立ち上がった。

「月曜日にそなたの身に起きる、数多あまた禍事まがごとは、全てわしの力によるものじゃ」

「方違さん、数多の禍事っていうのは、たくさんの災難のことね」

「まもるくんすごい、古文得意だね……」

「いちいち通詞つうじいたすな。文脈で分かるであろう」と、声はいらだたしげに言った。「くるりよ、わしの名に聞き覚えはないか? 『方違大神かたたがえのおおかみ』の名を、一族の者は一度も口にしなかったか?」

「たかかがえ……」

 方違さんは考え込んでしまった。


 なぜだろう? 「方違大神」と名乗るこの声に、僕は聞き覚えがあった。ずっと昔から知ってる気がする。人を見下し、イラつかせるけど、どこか親しみを感じさせるこの声を。

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