3-2 濡れた雨がっぱと、スニーカーと靴下

 濡れた雨がっぱと、スニーカーと靴下を玄関で脱いで、僕はリビングに通された。ソファの前のテーブルにミルクの半分入ったグラスがあり、テレビがついていた。


「法事で博多のほうに行って、大雨で帰って来れないの」と方違さんは言った。「お父さんとお母さんと、ちこり」

「ちこり?」

「ん。妹」


 僕をソファに座らせ、方違さんは「ちょっと待ってて」と出ていった。

 雨はますます強くぶつかって来て、庭に面した大きなガラス戸をだばだばと流れる。方違さんの言ったとおり、ニュースは鉄道の運休を伝えていた。


 戻ってきた方違さんは、普段通りに髪を下ろし、いつかのレモンイエローのTシャツに着替えていた。ココアのカップをテーブルに置き、バスタオルを僕に手渡すと、隣には来ないで、床のラグにぺたんと座った。

 ココアは甘くて、温かかった。


「ごめんね、方違さん。迷惑かけて」

「……なことないよ。ありがと。ひとりで、ちょっと心細かったし……」


 窓の外はもう夕方みたいになり、激しい雨音や、ちょろちょろと流れる水音で、テレビの音や方違さんの声も聞き取りにくいほどだった。


 突然、ふっと部屋が暗くなった。

 天井の明かりも、テレビの画面も消え、音も無くなった。

 薄暗い中で、僕と方違さんは顔を見合わせた。


「停電かな」

「わたし、ブレーカー見てくる……」


 立ち上がった方違さんの、レモンイエローの小さな背中を見て、僕の頭の中で警報が鳴りだした。

 だめだ。一人で行かせちゃいけない。月曜に。こんなときに。たとえ家の中でも。


「待って、方違さん。危ないよ。えっと、ひゃくボルトぐらいになるよ、たぶん」

「そうなの……?」

「まあ僕もよく分かんないけど。停電が終わるまで触らないほうがいいと思うな。ここにいなよ」

「……ん」

 方違さんはうなずき、ラグには戻らないで、僕の隣に座った。


   ◇


 雨はずっと降り続いた。どこからか、ばちゃばちゃばちゃと大量の水が落ちる音も聞こえてきた。

 方違さんは両膝を折り曲げて、はだしの足をソファに乗せている。暗い中に、白い両脚がくっきりと浮き上がっていた。


「ありがとね。わたしひとりだったら、怖かったと思う」

「僕も。ひとりだったら怖かったよ」

「……男の子でも怖いの?」

「だって女の子でも怖いんでしょ?」

「ん……。だよね……」


 玄関の方で、どごーん、と何か重いものが落ちるような音がした。

 方違さんがびくっとして、僕のパーカーの袖をぎゅっと握った。


「……なんだろ?」

「僕が見てくるよ。待ってて」


 暗い廊下に出て、玄関の様子を見てみる。特に何ともないようだった。ドアを開けてみようかと思ったけど、ものすごい勢いで水が落ちる音が外から聞こえたのでやめておいた。


 リビングに戻り、またソファに座る。

「何ともなかったよ」

 方違さんはまた僕の袖をつかむ。たばたばたばたばと雨音が続く。


 そのまま時間が流れて、少しだけ窓の外が明るくなってきた。

 方違さんがソファから立った。


「どこ行くの? 僕が行こうか」

「ん……トイレ」

「あ、ごめん」


 これは代わるわけにも、いっしょに行くわけにもいかない。というより、自分ちのトイレに行く人を心配するほうが変だろう。


   ◇


 僕はひとり、ソファで待っていた。

 雨音がちょっと弱まってきた気がする。

 部屋には空気清浄機と、葉のしげった植木鉢があった。壁には数字のない時計がかかっている。


 毎日会う方違さんの家。はじめて見る部屋。そこにひとりでいるなんて、不思議な気がした。


 方違さん、遅いな。

 まさかとは思うけど、今日は月曜日だし……


 心配になってきた頃に、方違さんが戻ってきた。カップのバニラアイスを二つと、スプーンを二本持って。


「冷蔵庫も止まってた……。とけちゃう前に、たべよ?」

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