6-4 約束ね
僕は駆け寄って、彼女の細い腰を夢中で抱き留めた。そしていっしょに倒れ、僕は草の上に、方違さんは僕のおなかの上に尻もちをついた。
「ぐえっ」
息もできずにいる僕の腕を振りほどいて、方違さんはくるりちゃんに駆け寄った。
「くっ……うっ……わあああ」
声を上げて泣きだしたくるりちゃんを、方違さんはぎゅっと抱きしめ、頭を撫でながら、自分も目にいっぱい涙をためていた。
「苗村くん……思い出した……わたし……おばあちゃんから届いたプレゼントの帽子、一日でなくしちゃったんだ……。ごめんね……わたしが悪いの」
竹の棒かロープか、何か無いかと探してみたけど、見つからない。これくらいの距離なら泳げる、と思って柵を越えようとしたら、今度は僕が方違さんに止められた。
「お願いだからやめて。苗村くんが危ない目にあったりしたら、わたしもう、二度と誕生日をむかえられないよ……」
◇
くるりちゃんはなかなか泣きやもうとしない。
方違さんは幼い自分を長い間抱きしめていたけど、ふと顔を上げて涙目で僕を見て、
「苗村くん……」
とだけ言うと、自分の髪からヘアクリップを外して、くるりちゃんの小さな手に握らせた。
「くるりちゃん、これあげる」
「だめ……」くるりちゃんは首をふった。「おねーちゃん、だいじでしょ」
「じゃあ、貸してあげる。ぜったいに大切にして、ぜったいに返してね」
方違さんはくるりちゃんの涙をふき、二つ結びの髪をほどいてやると、お団子をひとつ作ってヘアクリップで留めた。
「ほら、素敵。いい? くるりちゃんの十六歳のお誕生日に、おうちに返してもらいに行くね。それまで大切に持ってるんだよ。約束ね」
「じゅうろくさい……」指を折って数えながら、くるりちゃんは鼻をすすった。「わかった。やくそく……」
◇
やがてくるりちゃんは疲れて眠ってしまい、僕がおんぶして歩いた。
遊園地を出ると山の中の県道で、緑とアスファルトしか見えない景色の中を、僕らは長い時間歩いて街を目指した。
方違さんは僕の隣でくるりちゃんを気づかっていたけど、ほとんどしゃべらなかった。
そろそろ街が近いかなと思ったころ、僕は背中のくるりちゃんが急に重くなったのを感じた。
「方違さん、くるりちゃんの様子がおかしい。ぐったりしてるみたい。ちょっと見てくれる?」
返事がない。
それどころか、ずっと隣を歩いていたはずの彼女の姿が、どこにも見えない。
僕の手はくるりちゃんの脚をおさえていただけで、方違さんの手を離してしまっていたのだ。
僕は思わず叫んだ。
「方違さん! どこ?!」
「ふぁ……」と、寝ぼけた声が僕の肩から聞こえた。「どしたの、苗村くん……?」
振り返ろうとすると、くっつきそうなほどすぐそばに彼女の顔があった。
重いわけだ。僕がおんぶしていたのは、五歳のくるりちゃんではなく、十六歳の方違さんだった。
「なんだ、苗村くんか……。ユニコーンさんに乗ってる夢見てたのに……」
まだ眠そうな方違さんの髪に、ヘアクリップは無かった。
◇
雲一つない秋晴れの火曜日、乗換駅で降りると、制服の方違さんがホームのベンチで小さく手を振った。
「おはよう、方違さん」
「おはよ」
方違さんは、にこっと微笑んで、斜めを向いて僕に後ろ頭を見せた。
お団子にまとめた髪に、青い石がはめ込まれたキキョウの花の飾りがついた、あのヘアクリップがきらめいていた。
「方違さん、それ……」
「ふふふ」
あれから家に帰ると、方違さんは押し入れのいちばん奥から、幼いころの「たからばこ」を出して開けてみたのだそうだ。そこには、子犬のマスコットや、絵本や、毛糸の手袋や、クッキーの缶といっしょに、ちゃんとこのヘアクリップが入っていたのだという。
金属の部分は少し色がくすんでるみたいだけど、石も外れていないし、傷もついていない。あの子はちゃんと約束を守って、十一年間大切に持っていたのだ。
「えらかったね、くるりちゃん」
僕は五歳の彼女のことを言ったのだけど、方違さんは赤くなって顔をそむけた。
「な……なにそれ」
二両つなぎの赤い電車が駅に入ってくる。僕が立ち上がって手を差し出すと、方違さんは自然に握り返した。
「行こう、くるりちゃん」
「ふつうに呼んでよ、なえぐらなもるくん」
電車に乗っても、僕らは手をつないだままだった。たぶん方違さんは、今日は月曜じゃないってことを忘れていたんだと思う。
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