第七話:月曜日の方違さんは、トリック・オア・トリート

7-1 トリック・オア・トリート!

 僕がまだ小さくて、少し体が弱かったころ、お風呂上がりに湯冷めして風邪をひいてしまうことがよくあった。

 それで母親に言われて、今でも冬の習慣になっているのが、お風呂に入る前に部屋に布団を敷くことだ。そうしておけば、体が冷える前に寝床に入ることができる。


 その日曜の夜は、もう冬かと思うほど肌寒かった。宿題をすませて布団を敷くと、僕は虫の声を聞きながら熱めのお湯にゆっくり入り、スウェットを着て二階の部屋に戻った。

 そして何気なく掛け布団をめくった。


 その瞬間。

 黒いものが目の前にばっと飛び起きて、両腕を広げて叫んだ。

「トリック! オア」でもその声はすぐに尻すぼみになった。「トリ……ト?」


 布団から飛び出したのは、僕のクラスメイトで、女子だけどいちばん仲良しの――と言ってもいいと思う――友達、方違くるりさんだった。


「えっ。ま……な、な、苗村くん……?!」

 敷布団に膝立ちになった方違さんは、黄色いパジャマの上に、視聴覚室のカーテンみたいな真っ黒のマントを着て、黒いとんがり帽子と、百均で売ってる魔法のステッキを持っていた。

「うそ、苗村くんが、どしてわたしんちに?!」

「ちょっと待って、方違さん……」

「ちょっ、待って、あの、その、えと」

 方違さんは魔法のステッキを竹刀みたいに構えながら、膝歩きで後ずさりした。

「わたし、ま、な、苗村くんが来てくれるのは、う……うれしいんだよ? でも、ちょっと突然すぎるし、よ、夜中だし、それにここ、妹の部屋だし……」

「よく見て方違さん。ここは僕の部屋だよ」

「……えっ?」


 方違さんは黒いとんがり帽子を深くかぶり直し、マントの前を合わせながら、カーテンや勉強机やふすまにきょろきょろと目を向けた。


「わたし、苗村くんのお布団に入ってたの……?」

 方違さんは帽子のつばを引っ張り下ろして顔を隠した。


   ◇


 僕らの高校では、今月の末に文化祭がある。僕らのクラスでは「ハロウィン喫茶」という、特に面白みのない企画をやることになっていた。僕はシーツおばけになってチケットを受け取る係なんだけど、それはまあ、いいや。方違さんの話だ。


 彼女はなぜか、女子たちの多数意見で、魔女の姿のウエイトレスに選ばれたのだ。

 半日どんよりするほどそれを嫌がっていた彼女が、なんで魔女姿で僕の布団にいるのか。


 わけが分からない。

 そりゃ、かわいいけど……。


「ちこりちゃんを……妹をびっくりさせようと思ったの」と、方違さんは涙目で言った。「妹のベッドに隠れてたつもりだったのに、苗村くんの部屋に来ちゃうなんて。どうしよう……」


 時計を見ると、夜中の十二時半。日付けはもう月曜日になっている。


 だいじょうぶ。僕がなんとかする、と言おうとしたとき、

「まもる?」

 と、板戸いたどの向こうから母親の声がした。


 方違さんが見つかったら、大変な騒ぎになる。僕はあわてて立ち上がったけど、何もできずにただあたふたするだけだった。


「まだアニメ見てるの? 明日学校でしょう。早く寝なさい」

「わ、分かってるよ。もう寝るよ」

「ちゃんと目覚ましセットしときなね」

 スリッパの足音が、ぱたぱたと階段を降りていった。


 一息ついて振り返ると、方違さんは頭からすっぽり布団をかぶってうずくまっているらしく、三角形の小山ができていた。

 いくら小柄な彼女でも、これでは隠れられない。


   ◇


 電気を消した部屋で、携帯を手に、小さく音楽を流しながら、僕は押入れのふすまにもたれて座っていた。


「方違さん、寒くない?」

「だいじょぶ……」

 押入れの中から、方違さんが答えた。ふすま越しだけど、すぐ近くで聞こえた。

「ごめんね、僕の毛布で。嫌じゃない?」

「なんで? やじゃないよ、ぜんぜん。あったかいよ。ありがと……」


 ふすま一枚の向こうの、真っ暗な押し入れで、僕の毛布にくるまっている方違さんのことを考えると、胸がもやもやと苦しくなる。

 早く出してあげたいのだけど、下からはまだテレビの音や、戸を開け閉めする音が聞こえる。


 一時過ぎには、親も寝るだろう。そしたら二人でそっと家を出て、とりあえず駅まで行き、そこで始発を待てばいい。電車が来たらいっしょに乗換駅まで行って、方違さんは家に寄って制服に着替え、そのまま二人で学校に行く。

 完璧な計画だ。


 押入れの中から、方違さんが言った。

「ねえ、苗村くん……。最初に会ったときのこと、覚えてる?」

「うん。もう半年になるね」

「あの時は、ごめんね。せっかく苗村くんから話しかけてくれたのに……。ずっと、謝りたかったの。第一印象、最悪だったよね……?」

「ううん、いいんだよ。それに、実はそれが第一印象じゃないんだ」

「え?」

「方違さん、入学式の朝、乗換駅のホームで迷ってたよね?」

「あー……」

「電車の中から見かけたんだ。同じ学校の子だな、声かけようかな、って迷ってるうちに、電車が出ちゃって。ごめん。僕もずっと気になってたんだ」

「いいよ、そんなの……」

「でも、僕が声かけてたら、入学式に出れたかもしれないし」

「入学式なんか出なくても、わたし、高校生になって、苗村くんと仲良くなって、今まででいちばん楽しいよ」

「ほんと?」

「ん……。今だって、こんな迷惑かけてるのに、苗村くんといっしょだと、すごく楽しくて。ごめん……変だよね」


 変じゃないよ、僕も本当はすごく楽しいんだよ。

 そう言おうとしたときだった。


「おい、まもる。声が漏れてるぞ」


 僕は感電したみたいに動けなくなった。

 板戸が少し開いて、廊下に立っている父親の半身が見えた。


「いつまでアニメ見てるんな。早く寝なね。また母さんに怒られるぞ」


 板戸が閉まると、僕は畳の上に崩れ落ちてため息をついた。

 心臓が止まるかと思った。

 押入れからも、深いため息が聞こえた。

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