9-3 シロクマとサンタ


 ここからの内容は、僕が大晦日の夜に方違さんから聞いた話とは少し違う。

 ていうか、かなり大きく違う。


 実を言うとその時の話は、がんばってシロクマを言い負かし、サンタにプレゼントのマフラーをもらい、道を教えてもらって帰ってきたという、出来事のあらすじだけだった。

 シロクマやサンタとどんな会話を交わしたのか、彼女は具体的には教えてくれなかったのだ。ちこりちゃんや姉に聞かせたくなかったそうだ。


 だから、ここからのお話は、もっとずっと後、年が明けてしばらく経ってから、二人きりのときに聞いたことだ。


   ◇


「あら、どこのお嬢さん? ちっともお肉がついてないわね」

 と、シロクマは本当はそう言ったそうだ。

「お魚のかわりにお夕飯にいただこうかと思ったけど、あなたじゃ喉に小骨が刺さるばかりだわ」


 もちろん怖かったけど、でもそれ以上に「悲しかった」と方違さんは言う。


「背だって、ちっとも伸びないのね。もう十六でしょ?」

「あの……」

 方違さんは後ずさりする。

「カルシウムが足りないのよ。魚肉ハンバーグをお食べなさい。ひ弱で、おどおどして、みっともないお嬢さん」

「わ……わたし……」

 方違さんの両目に涙がたまった。

「そんなのだから、お友達も恋人もできないのよ」

「……います……わたしだって……」

「あらそう? でもそれってどうせ、まもるくんのことでしょ? かわいそうに、何も知らないのね? 教えてあげるわ、ほんとのこと」


 そしてシロクマは、僕について、信じられないほどひどいことを言ったそうだ。

 もし事実なら、方違さんを深く、立ち直れないほど傷つけるようなことを。

 それがどんなことだったのか、方違さんは絶対に教えてくれないけど。


「分かったでしょ? 愚かなお嬢さん」

 立ち上がるとビルのように大きなシロクマは、目を細めて方違さんを見下ろした。ランプの光でその影は、ずっと遠くまで無限に伸びていた。


 彼女は、震える胸にぎゅっとプレゼントの箱を抱きしめる。

 そして目を閉じて思い出す。彼と手をつないだときの温かさとか、そのときの気持ちとかを。


 方違さんは目を開け、巨大な熊に向かって一歩踏み出した。

「わ……わたし、知ってる。まもるくんは、そんな人じゃない……」

「バカね。人の心の中なんて、分かるわけないでしょ?」

「そうだけど……分からなくても、わたしは……」


 方違さんの目にたまっていた涙が、小さな丸い氷になってころころと落ちる。


「……あなたなんか信じない。まもるくんを信じる」

「あら、まあ」

「あなたなんか、もう怖くない。邪魔しないで!」


 方違さんはサンダルの底で、足元のランプを思いっきり蹴飛ばした。ランプは氷の上をカラカラと転がりながら光を失った。


 地平線まで伸びた、長い影が消えた。

 シロクマも消えた。

 氷と星空だけの世界に、方違さんはひとりで立っていた。


   ◇


 次に出会ったのはサンタクロースだった。

 氷の上にソファとスタンドライトを置き、イメージ通りの赤い衣装と眼鏡で外国の新聞を読んでいた。


 近づくとサンタは顔を上げ、眼鏡をはずして微笑んだ。

「おやお嬢さん、こんばんは」

「あの……サンタクロースさん、ですか……?」

「いかにも。そう呼ばれておるのはこのわしだ。ほ、ほ、ほ」

「サンタさんは……いい人ですよね? わたしの好きな人にひどいこと言ったりしませんよね?」

「わしはいい人か?」サンタクロースは夜空を仰いだ。「イエス様や教会とも縁遠くなって久しいからなあ。しかし、君が思っておる通りの存在には違いないよ。わしは子どもたちの守護者だ。贈り物を配り、夢を与える」


 方違さんはほっとして、箱を抱えたまま氷の上に座り込んだ。

「サンタさん……わたし、困ってるんです、家に帰りたいのに、どうしたらいいのか分からなくて。ひとりぼっちで」

「すまんなあ、お嬢さん」サンタクロースは悲しげに首を振った。「助けてやりたいが、それはできんのだよ。分かってくれたまえ。わしは二千年前に死んだ人間だ。わしはわしに与えられた役割においてのみ、生きながらえておるのだよ」

 サンタクロースは戦争の写真が載った新聞にちらっと眼を向けて、それを畳んだ。

「それは妹さんへのプレゼントだね。ピンクの、もふもふのブーツだ。君はかわいい妹さんを思って、自分の力でそのプレゼントを用意した。そうだね?」

「はい……」

「それに、君は恋をしているね。君はもう、自分自身の人生を歩み始めた、立派なお姉さんだ。もはや子どもではないのだよ。わしとともに、子どもたちを守り、夢を与える側だ」

「でも……わたし、どうすれば……?」

「歩きなさい。南に向かって、まっすぐに」

「南って、どっちですか」

「ほ、ほ、ほ」とサンタは笑った。「どちらでもいい。ここは北極点だから、どちらへ向かっても南なのだよ。ちこりちゃんや、まもるくんたちが、そちらにいると信じさえすればいい。真っすぐに行きなさい」

「真っすぐに……」

「しかし、その格好では寒かろう」


 サンタクロースはソファの後ろから丸菊百貨店の紙袋を取り、中から布のようなものを出して、方違さんに渡した。


 広げてみると、それはマフラーだった。

「それを使いなさい。きっと温かいはずだ。本当は、クリスマスプレゼントを前借りしてはいかんのだがね」

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