6-2 かわいくない子

「知ってる子なら、家の人に迎えに来てもらえばいいんじゃない?」

「だめ……」

 方違さんは首を振って、ちょっとためらってから、小さな女の子の肩を指先でつついた。

「……ほら、お兄さんにも、お名前教えてあげなさい」

「やぁだー!」

 子どもは突然てけてけと走り出し、方違さんは眉をひそめた。

「かわいくない子……」


 女の子はぐるっと回って戻ってきて、なぜか僕の膝にしがみついた。帽子のつばが、僕のおなかにぶつかった。


「ちょっ……やめなさい!」方違さんは珍しく大きな声を出し、顔を真っ赤にして立ち上がった。「女の子が、大きなお兄さんにくっついちゃだめ!」

「このおねーちゃん、きらい……。ママみたい……」


 女子ふたりの突然の対立に戸惑いながらも、僕は女の子の帽子を直してあげ、できるだけ腰をかがめて言った。


「あの、お名前をきいてもいいかな? 僕は、苗村まもる、っていうんだけど」

 小さな女の子は顔を上に向けた。

「まえむら……まぬる?」

「まもるだよ。なえむら、まもる。君は?」

「くるりだよ」とその子は言った。「ほーちがい、くるり。4さい……」

「えっ?」

「……ん、きょうから5さい」


   ◇


「妹に似てるとは思ったけど」

 方違さんはまたしゃがみこんで、ため息をついた。

「まさか自分だったなんて……」


 なるほど、五歳の方違さんには、十六歳の方違さんの面影があった。ちょっととんがった唇や、小さな鼻なんかそのままだ。


 方違さんによると、誕生日が月曜だったのは、今までに二回だけ。十六歳の今日と、五歳の時だ。

 五歳の誕生日には、お誕生会の準備もしていたのに、主役の本人がどこかにいなくなって夜まで帰ってこなかった、と両親から聞いているそうだ。


「どこ行ってたか覚えてないの?」

「ん……。親に遊園地に連れて行ってもらった記憶があるんだけど、そんなはずないし……。そのころは夢と現実と月曜日の区別もついてなかったから」


 分からない話に退屈したのか、五歳の方違さんは橋の上を走りまわり始めた。

「くるりちゃん! うろうろしないの! あぶないでしょ!」

 方違さんはいつになく険しい声で言った。まるで何かを演じてるみたいに。


 五歳の彼女は――ややこしいから、ここからは五歳の彼女を「くるりちゃん」、十六歳の彼女を「方違さん」と呼ぶ――くるっと向きを変えて走ってきて、また僕の膝にしがみついた。


「おこるの、やだ……」

「もしかして、ママもいつもあんなふうに怒るの?」

 僕が小声で聞くと、くるりちゃんはうなずいた。

「そっか。でも、ほんとは優しいお姉ちゃんなんだよ。くるりちゃんを心配してるんだよ」

「あのおねーちゃん、しらないひと……だから、しんようしちゃだめなんだよ」

「僕のことも知らないでしょ?」

「しってるよ。まえぬらなもるくん」

「なえむら、まもる」

「まえるま、なろむ」

「まあいいや。あのね、あのお姉ちゃんは、えーと、君の、親戚、っていうか、つまり」

 僕が言い終わらないうちに、くるりちゃんは僕の体を盾にして、横から顔だけを出して方違さんに言った。

「おねーちゃん、きらい! くるり、なえぐらなもるがすき!」

「なっ……なによ……」

 方違さんは立ち上がって、また赤くなり、怒るというよりほとんど泣きそうな顔をした。

「こんな嫌な子だったっけ……」


 方違さんの気持ちもなんとなく分かる。自分で自分に優しくするのが難しいのも分かる。でも幼いくるりちゃんは、今の方違さんよりもっと小さくて、ずっと弱くて、まだ何も知らないんだし……。


「方違さん、そんなふうに言わないで。くるりちゃんはいい子だよ」

「なによ……苗村くんまで」

 方違さんはうらめしそうに僕をにらんだ。


「うおい、苗村、何してんだ。修羅場か?」

 突然割り込んできた声に振り返ると、登校途中の後藤だった。もちろん隣には佐伯さんもいた。

「いくらなんでもその子はだめでしょ、苗村。くるりちゃんのこと好きって言ってたじゃん、お祭りの時」

「言ってないよ! 小さな子の前で変なこと言うな」僕は顔と頭に血が上った。「くるりちゃんは……、方違さんの、えーと、親戚なんだよ」

「は? 方違がくるりちゃんだろ?」

「う、うるさい。話がややこしくなるからどっか行けよ!」

「どっかいけよー」とくるりちゃんも言った。

「ご、後藤くん、佐伯さん、ごめんね、ふたりがひどいこと言って……」


 後藤と佐伯さんは首を傾げて顔を見合わせ、

「行こうぜ。家庭内のトラブルらしい」

「あの子、くるりちゃんにそっくりじゃない?」

「げっ。あいつらのガキか?」

「まさかー」

 と笑いながら校門への坂を上って行った。


 くるりちゃんが僕の顔をじっと見上げていた。

「……なえるままのる、くるりのこと、すきなの?」

「えーと、よ、よい子はみんな好きだよ」

「……くるりのほんとのパパとママなの?」

「ちがうよ!」


 それにしても困った。

 夜十二時までには元通りになるにしても、こんな小さな子を抱えて、どうすればいいのか。

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