7-4 目を開けると

 目を開けると、僕の家の居間だった。

 障子からの光で、午後の四時ごろだと分かった。

 ふすまの向こうに人の気配がある。テレビの音もする。たぶん母が台所にいるのだろう。


 僕はスウェットを着て、布団に入っていた。体を起こしてみると、枕元にポカリスエットと風邪薬と体温計が置いてある。

 部屋は温かくて、体も楽だったけど、まだ頭がふらふらする。僕はまた横になった。


 ふすまが開く音がした。

 顔を向けると、そこにいたのは母じゃなかった。


「苗村くん……起きた?」

 方違さんだ。制服の上に赤いマフラーを巻いている。

「うん」

「よかった……」


 方違さんは僕の枕元に正座した。

 白い膝頭とスカートの裾が視野に入らないように天井を見つめていたら、方違さんは真上から僕の顔をのぞきこんだ。


「方違さんが、連れて帰ってくれたの?」

「ん……」方違さんはうなずいた。

「学校、行けなかったんだね」

「だいじょぶだよ。月曜だし」


 たしかに、方違さんは月曜にはいつも、目的地になかなかたどりつけない。学校にはほとんど毎週遅刻か欠席だと思う。

 でも今日は、僕自身が、彼女の障害になっていたのだ。

 できるだけ彼女の力になってあげようと、ずっと思っていたのに。


「ごめん。僕のせいで……」

「苗村くんは悪くないよ」

「ううん。僕だけ電車に乗らずに帰ればよかった。ごめん。ほんとごめんね……」

「ちがうよ……。お願いだから、謝らないで」


 方違さんは、僕の額に触れた。そして真上から、僕の目の中をじっと見た。


「わたしは、ぜんぜん迷惑なんかしてないよ」

「でも……」

「いっしょにいてくれて、うれしかった。苗村くんの力になりたかったの。だから謝らないで」

「方違さん……」

「お願い」

「じゃあ、ごめんじゃなくて、ありがとう……」

「どいたしまして。こっちこそ、ごめんね。わたしが巻き込んだせいで」

「方違さんも、謝らないで。僕も、ただいっしょにいたかっただけだから」

「そっか……。ごめんじゃないね……ありがと……」

 

 彼女の顔を、障子越しの午後の光が横から照らしていた。小さな鼻や唇の起伏を影が縁取って、いつもより大人びて見える。僕を見つめる瞳には、すみれ色が差していた。


「方違さん、好きだよ」


 と、ほとんど口に出しそうになったとき、ふすまが開いた。


「まもる、おかゆ食べられる? お友達も、シュークリームがあるからどうぞ。ほんとにありがとね」

「いえ、あの、わたし……す、すみません」

 方違さんはぴょんと立ち上がって、母に向かって何度も頭を下げた。

「いい子なねえ。このままお嫁に来てくれないかしら」

「お母さん! そういうのやめなよ」

「すみません、お母さま」彼女はぺこぺこと頭を下げ続けた。「ま、まもるくんが、いつもお世話になってます」


 落ち着いて。セリフが逆だよ、方違さん……。


   ◇


 数日後、シーツお化けの僕が受付でチケットを数えていたら、死神が来た。

「苗村、お疲れ。代わるわ」

「後藤か。じゃああとは頼むよ」


 これで僕は夕方の撤収まで自由時間だ。

 でも、特に見たい展示やイベントがあるわけでもなかった。

 脱いだシーツをダンボールに入れると、僕は死神にチケットを渡した。


「暗黒ぶどうジュースひとつ」

「なんだ。うちに来るのかよ」後藤は奥で暇そうにしている三人のウェイトレスに声をかけた。「おーい、苗村が暗黒ぶどうジュースだと」


 僕がテーブルにつくと、ゾンビナースと猫娘が「この子でしょ」という顔で魔女の方違さんを前に押し出した。

 黒い帽子、制服に黒タイツ、黒いマントの肩に黒猫のぬいぐるみを乗せた方違さんが、黒い飲み物を持って来た。


「方違さん、おつかれさま」

「あ……ト、トリック・オア・トリート……ハロウィンカフェにようこそ」

「僕には普通にしゃべってよ」

「だめだよ。ちゃんとしないとふたりに怒られちゃう」

 グラスをテーブルに置くと、方違さんは深呼吸をして、百均の魔法のステッキを高く上げた。

「待って、呪文はいいって」

「く……くるりんとりっくで、ハートを直撃! おいしくなーれ! おんあぼきゃー!」


 方違さんはステッキを振り下ろしながら片足でくるっとターンした。

 黒マントと制服のスカートが、ふわっと広がる。そして魔法のステッキにまともにヒットされたグラスが、僕の胸を直撃した。

「うわっ」

 ファンタグレープとアイスコーヒーの混じった冷たい液体で、僕は頭からびしょびしょになった。


「あ、あーっ! ま、まもるくん、ご、ごめ……」方違さんは出かかった言葉を飲み込んで、首を振った。「じゃなくて、ありがと! タオル取ってくる!」

 そしてあわててどこかへ走って行った。


 方違さん、そこはごめんでいいんだよ……。


 もちろん僕は、そんなことで大好きな友達に怒ったりしない。

 お陰で風邪がぶりかえして、また二日間休むことになってしまったけど、それはまあ、また別の話だ。

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