4-3 ごく普通の女子高校生です
「苗村くん、ごめ……お待たせ……」
方違さんが、息を切らせながら石段を上がってくる。白に青の紫陽花の柄の浴衣に、黒塗りの下駄で。
そんなに走っちゃだめだよ。今日は月曜日なのに。
僕が手を差し伸べようと、一段、二段と迎えに下りた時、方違さんは石の角に下駄をひっかけた。小さな体がぐらっと傾く。
「方違さん!」
後ろ向きに倒れかけた彼女に腕を伸ばし、どうにか手を握ったけど、支えきれず、僕らは一緒にごろごろと転がり落ちた。
髪飾りの青いガラス玉が、砕けて飛び散る。
気づいた時には、僕と方違さんは石畳に倒れていた。
「方違さん、大丈夫?!」
僕が肩を揺すると、方違さんは目を開けた。
「よかった。どこも痛くない?」
「苗村殿……?」
方違さんは浴衣の前をきゅっと合わせ、頬を赤くして僕をにらんだ。
「わ、わらわに気安う触れるでない。いかに苗村殿とて……」
「どうしちゃったの。古文は苦手なんじゃ?」
「古文? 何を申すか。これはこの時代の現代文じゃ」
その時、遠くで「姫ーっ!」と叫ぶ声が聞こえ、パカランという音とともに光が近づいて来た。
現れたのは、
見れば辺りには、電気の明かりも、家も無い。
まさか……タイムスリップ!?
「探しましたぞ!」
騎馬武者が怒鳴ると、方違さんは僕の腕にしがみついた。
「苗村殿……わらわを守ってたもれ」
「姫! この虎長、是が非でも姫を城にお連れ申す!」
「待ってください! 人違いです! 方違さんはお姫様なんかじゃありません、ごく普通の女子高校生です!!」
「ふははは。何も知らぬのか小僧。所詮はごく普通の男子高校生よの」
「苗村殿……黙っておって済まなんだ。今でこそ
「くるり姫……。方違さんが、お姫様だなんて……」
◇
「げふげふ」
隣で変な声がした。見ると、佐伯さんが立っている。
「佐伯さん?」
「だいじょうぶ」佐伯さんは帯の上を手でおさえて、深呼吸をした。「ふう。さすがに今のは、聞かなかったことにしたげる」
「……僕、何か言った?」
「何も。別に。特には。聞きたいなら思い出そうか?」
「いや、いい……」
「それよか、後藤、着いたってさ」
そうだった。
僕と佐伯さんは、待ち合わせ場所の鳥居の下で、後藤を待っていたのだ。
次々と石段を上ってくる中に後藤は見つからず、僕はいつの間にか、無意識に方違さんの姿を探していたのだった。
それにしても、今日はどうしてこんなにあの子のことを考えてしまうんだろう?
なんだかおかしい。まるで、月曜日の不思議な現象が僕の身にも起こっているみたいだ。
「あのバカ、本殿の前で待ってるんだって。鳥居だっつったのに。もうほっといて、ふたりで遊んじゃう?」
「それじゃ後藤に悪いよ」
「まあ、そうね。しかたない、本殿行くか。あたしもなんだか、くるり姫に悪い気がするし」
そう言いつつも、佐伯さんはリンゴ飴を買ったり、金魚をすくったり、ヨーヨーを釣ったり、『美少女検事ムジツモ☆ギルティ』のお面を買ったりで、なかなか本殿に近づかない。しかも後藤からのメッセージをぜんぶ無視しているらしく、これが「恋の駆け引き」というやつか、と僕は少し感心した。
「お、射的だ、あたしこれうまいんだよ」
佐伯さんは慣れた手つきでコルク銃を扱いながら、映画のスナイパーみたいに構えるんじゃなくて、片手で持って腕を伸ばして撃つんだと言った。
長身の彼女が浴衣の袖をまくって、小麦色のひきしまった長い腕をすっと伸ばし、キャラメルや人形やヘアピンを次々と撃ち落とすと、ギャラリーからも拍手と歓声が上がった。
「やるねえ」と射的屋のおじさんが言った。「嬢ちゃんみたいなべっぴんさんでなけりゃ、出入り禁止にするとこさね」
「うふふ。美少女暗殺者トーコとお呼び」
楽しそうで何より。
そういえば、方違さんがこういう遊びをしてるところって、見たことがないな。
◇
「後藤が待ってるし、そろそろ行こうよ」と僕は言う。
「ん……。射的だけ、やってみたい」
方違さんは下駄を鳴らしててけてけと射的屋に走って行き、コルク銃を手に取った。小柄な彼女が持つと対戦車ライフルみたいに見える。
「どれを狙うの?」
「あれ、欲しいな。ガラス玉のヘアゴム」
なるほど、きらきらした模様の青いガラス玉がついたゴムが二本、厚紙の箱に固定されていて、それがセロファンで包まれている。
「嬢ちゃん、よーく狙いなね」
「ん…」
方違さんは両手でしっかりと構えて、片目で狙いを定め、引き金を引いた。
その瞬間、頭を突き抜けるような轟音が響き、射的屋の屋台がまるごと吹き飛んだ。
布も木材も、景品も全部、こなごなの切れ端になって飛び散り、ぱらぱらと音を立てて地面に降ってくる。
数秒の沈黙のあとで、誰かの悲鳴が上がり、人々はパニックになって逃げ惑い始めた。
僕は、まだ煙の出ている銃を構えたまま固まっている方違さんに駆け寄って、腕をつかんだ。
「方違さん、だいじょうぶ?」
「……どうしよう、わたし……こんなこと……」
「美少女暗殺者くるり!」拡声器を通した男の声が背後から聞こえた。「君は完全に包囲された。武器を捨てて投降しろ!!」
振り返ると、盾を持った機動隊員がずらっと僕らを囲んでいる。
「待ってください! 人違いです! 方違さんは美少女暗殺者なんかじゃありません、ごく普通の女子高校生です!!」
「苗村くん、ごめんなさい……。うう、消去されてた記憶が……。本当のわたしは、秘密機関に育てられた、美少女暗殺者くるりなの……」
◇
「おい、こら苗村」
なにか硬いものが、僕のほおをぐいぐいと押してきた。
佐伯さんのコルク銃の銃口だ。
「うわっ。な、なに」
「聞いてる? さっきから。どーせ、くるりちゃんが実弾ぶっぱなす妄想でもしてたんでしょ」
「なんで分かるんだ」
「そんで、くるりちゃんとあたしが決闘して、くるりちゃんが勝つんだ」
「ちがうよ。佐伯さんは出てこないんだ。機動隊が――」
「どうでもえーわ」佐伯さんは反対向きにした銃を僕に押し付けた。「はい。苗村もやんなよ。あと三発撃てるよ」
コルク銃は、持ってみると長さの割に軽く、佐伯さんみたいに腕を伸ばして構えると、ふらついて狙いが定まらない。
それで僕は方違さんが(妄想の中で)やってたみたいに、両手でしっかりと構えることにした。
ターゲットは、上から二段目の、左から三つ目。青いガラス玉のヘアゴム。厚紙の箱を倒すためには、重心より上を撃ち抜かなければならない。
コルクは空気抵抗や重力の影響を受けて、直進しない。
誤差を考えて銃口を少し上げ、僕は慎重に引き金を引いた。
一発目は、空中を切って、棚の奥に消えた。
二発目は、わずかに上にそれて、標的を揺らしただけだった。
もう少し下だ。
必ず取るよ、方違さん。
三発目を銃口に詰めて構え、僕は片目をつぶり、息を止めて、ゆっくりと指に力を込めた。
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