8-4 偶然
布団に入って考え事をしているうちに、日付が変わっていた。
方違さんはもう、こっちの世界に帰ってきたかな。
あっちではどんな一日を過ごしたんだろう。日付が変わるまでの間、誰とどこでどうしていたんだろう。
僕は携帯の画面を開いて、メッセージを送ろうとした。もしまだ起きてるなら声が聞きたかった。
でも、指が動かない。
僕が方違さんと仲良くなれたのは、たまたま後藤がそばにいなかったという偶然のせいだったんだろう。
それで結局、こっちの方違さんは入学式にも出られなかったし、五歳の誕生日には帽子もなくしてしまった。
方違さんのために力になってあげたいなんて、僕は思ってた。
でもべつに僕じゃなくてもよかったんだ。僕じゃない方がよかったのかもしれない。
彼女はハズレくじを引いちゃったんだと思う。
僕は携帯の音を切って、布団をかぶった。
◇
火曜の朝もまた、同じように寒かった。
僕は朝ごはんを食べ、制服に着替え、コートとマフラーを身に着けた。両親はまだ寝ていた。
乗換駅で方違さんと会ったら、どんな顔をして何を言えばいいだろう。
いつも通りにするのがいちばんいい。それは分かってる。でもうまくできるだろうか。
もしもだけど、方違さんの態度がいつもと違っていたら?
方違さんが駅にいなかったら?
鬱々とそんなことを思いながら、僕は玄関のドアを開けた。
方違さんが立っていた。
伸ばせば手が届く距離に。
ダッフルコートと赤いマフラー。お団子にまとめた髪には青いキキョウの花のヘアクリップ。始発で来て、冷たい風の中で三十分以上待っていたんだろうか。唇まで青白い顔で、目だけが真っ赤だった。
「あの……苗村まもるくん……だよね?」
「……うん」
「ほんものの……いつもの……優しいまもるくんだよね?」
「うん。でも僕は――」
続きを言う隙も与えず、方違さんは僕にぶつかってきて、両腕で僕の体をぎゅうっとしめつけた。
「会いたかった」
震える声でそう言って、方違さんは僕の胸のマフラーに顔を埋めた。
冷えきった髪からオレンジの香りがして、僕の胸にあったほの暗い言葉はぜんぶ溶けてしまった。
「僕も会いたかった」
「昨日は怖かった……まもるくん、変わっちゃったのかと思った……」
「誰かに嫌なことされなかった?」
「んん……」
方違さんは僕の胸に鼻をこすりつけるみたいに首を振った。
「みんな優しかったよ。でもまもるくんだけが……ひどいよ……わたしのこと知らないって……あんな世界、やだよ……」
僕は方違さんの背中に、そっと腕をまわした。
「そっか。ごめんね」
「好き」と方違さんは言った。「大好き。優しくて、強くて、かっこよくて。ぜんぶ、わたしが持ってないものだから」
「……それ、僕のこと?」
方違さんは顔を上げて、責めるような目で僕を見た。唇に色が戻っていた。
「まもるくん、ずっといっしょにいてくれる? 火曜日でも水曜日でも、何曜日でも手をつないでてくれる?」
彼女の瞳は光の加減で全然違う色に見える。今は深い黒だけど、見つめ続けていると、底の方にかすかな青い光が見えてくる。朝の太陽の反射がきらりと光った。
「方違さん……」
「お邪魔して悪いけど」と、背後から声がした。「まもるもくるりちゃんも、遅刻するわよ。早く行きなね」
「うわっ」
「お、お母さま!?」方違さんは僕を突き飛ばすようにして体を離し、ぺこぺこと頭を下げた。「ごごごごめんなさい。わ、わたし、ま、ま、まもるくんに、ご、ごめんなさい! お邪魔しました!」
てけてけと逃げるように走りだした方違さんを追って僕も走ったけど電車に間に合わず、仲良く二時間遅刻して怒られ、「仲直りに朝まで何してたんだよ」と後藤には冷やかされたけど、帰りの電車でやっと、ちゃんと方違さんの顔を見ながら言うことができた。
「方違さん、僕も好きだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます