11-2 僕はなぜかどきどきしていた

 月曜の朝、分厚い雲にふさがれた空から、雪がひらひらと舞っていた。地面もうっすらと白いけど、これくらいならたいしたことない。

 電車は時間通りに来て、白っぽい世界を順調に乗換駅へ向かった。


 この路線で方違さんに会いに行くのは毎朝のことなのに、僕はなぜかどきどきしていた。

 家族でも幼なじみでもない、四月のあの日まで存在さえ知らなかった、方違くるりという女の子。その子が今は、僕にとって誰よりも特別な存在になった。

 こんな不思議なことって、あるだろうか。

 このしあわせな不思議が、いつまで続くんだろう。

 月曜が火曜になるあの瞬間みたいに、夢から醒めたようにふっと消えちゃったりしないだろうか?


 僕は急に、今ここに彼女がいないことが苦しくてたまらなくなった。


「方違さん……」


 誰もいない車内で、僕は思わず声に出していた。


 早く、乗換駅についてほしい。

 彼女を抱きしめたい。

 いっしょにいるときは、楽しかったり心配だったりするばかりで、そんな風には思わないのに、今の僕は、あの小さな体を、するっと長い腕や脚ごとぎゅっと束ねるみたいに、強く抱きしめたかった。


   ◇


 道のりの半分を過ぎたあたりで、電車が速度を落とし始めた。


「えー、本日も当社線のご利用、ありがとうございます」


 運転手の早口が天井から流れて、そしてしばらく黙った。

 嫌な予感しかしない。

 ガラスを指でふくと、窓の外に見えるのは白。奥行きも何も分からない、ただ白いだけの白だった。


「あー、降雪による視界不良のため、一時、運転を停止いたします。ご迷惑をおかけします」


 やがて電車は完全に停まった。白一色の窓に、グレーに見える雪の粒がちらちらと当たる。


 何かが起こるかもしれないとは思ってたけど、今なのか? まだ方違さんは家にいるはずなのに。

 いや、これは月曜日の現象じゃない。この季節にはよくあること、ただ天気予報が少し外れただけのことだ。

 それにしても、なにも今日じゃなくてもいいのに。


 運転室から中年の運転士が出てきて、

「雪のためー、しばらく停車しますー」

 と繰り返しながら、後ろの車両へ消えた。


 あっちにも乗客がいたらしく、閉まりきっていないドアから話し声が聞こえる。

 運転士と話しているのは女の人みたいだ。内容までは聞こえないけど、不安と戸惑いを声から感じた。


 不安と、戸惑い。


 僕はメッセージアプリを開いて、青いキキョウのアイコンを押した。


 ――まだ家にいるよね?


 ――うん もう服着て くつはいて 玄関でまってる いま電車?


 雪で止まったなんて言ったら、よけいな心配をさせてしまうだろう。自分のせいだと思っちゃうかもしれない。


 ――まだ家だよ これから駅に向かうところ


 ――わかった じゃたのしみにまってるね!


 僕は迷っていた。

 中止した方がいいのだろう。こんな天気の日に出かけるなんて危険すぎる。だいたい、僕が乗換駅にたどりつけるかどうかもあやしい。


 戻ってきた運転士に、僕は声をかけた。

「あの、すみません。乗換駅には、何時ごろ……」

「ちょっと分からんさねえ。この吹雪だからね。申し訳ないなけど」

 運転士はゆっくりと首を振りながら、乗務員室に戻って行った。


 でも。

 方違さんに会いたい。手をつないで歩きたい。彼女をがっかりさせたくないし、彼女が僕に失望するのも怖い。

 去年の五月に同じ試みをしたとき、携帯にとどいて消えていったメッセージのことを、僕は思い出していた。

 方違さんは自分のことを「暗くて、ひねくれてて、かわいくない」と言っていた。そして僕のことを「親切なふりして 大きらい」と。


 やっぱり行こう。

 映画や買い物は無理だとしても、夜になっちゃうとしても、彼女を月曜の中にひとりきりにしたくない。

 この先もできるかぎり、月曜日の方違さんといっしょにいよう。

 高校生活も三分の一近くが終わり、いつまでこのままでいられるのか分からないけれど。


   ◇


 閉じかけていたドアがガラッと開いて、隣の車両から人が入ってきた。


 一瞬、方違さんかと思った。

 でも違う。大人の女の人だ。お姉ちゃんよりちょっと年上だろうか、たしかに小柄だけど、方違さんほど小さくはないし、シルエットも大人っぽい。

 髪はお姉ちゃんくらいのショートボブで、ベージュのトレンチコートにマフラーを巻いていた。おしゃれそうなお店の、小さな紙袋を持っている。


 女の人はまっすぐ歩いてきて、僕の前で足を止めた。

「そこ、座ってもいいかしら?」

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