2-4 方法が一つあるんだけど

 夜九時半に、地元へ帰る最後の電車をベンチで見送った。

 方違さんから写真付きのメッセージが届いたのは、その少し後だった。


 ――学校にいます 充電もできました 心配しないで あしたの朝かえるから


 写真は制服姿の自撮りだった。無表情で、頬杖をついている。背景はたしかに僕らの教室で、窓の外は真っ暗だった。


 明日?

 いや、まだ今日は終わってない。

 十時前の終電に乗れば間に合う。今日中に学校に行ける。


 電車はもう目の前に止まっていて、ドアを開けて静かに発車時刻を待っていた。


   ◇


 改札を出たときからもう、一年二組の教室だけ電気がついているのが遠くに見えていた。後藤と佐伯さんが教えてくれた、運動部の子が使う秘密のルートから校舎に入り込み、教室のドアをおそるおそる開けた。


 いた。

 いつものように下ろした髪と制服に、足元だけは真っ赤なハイソックスの方違さんが、机に突っ伏している。


 僕は指先で、その肩をとんとんと叩いた。

「ごめんね、遅くなって」

 顔を上げた方違さんは、赤い目をしていた。

「苗村くん……。いま、いつ?」

「月曜の夜。十一時前」

「そっか……」方違さんはまた机に体を伏せ、顔だけをこっちに向けた。「今日中に会えたね」

「どうやってここに来たの?」

「朝起きて……、わかんない。なにも覚えてない。でも怖かった……すごく……」

「ごめんね、僕が余計なことを思いついたせいで」

 方違さんはそのままの姿勢で首を振った。

「……なことない。うれしかった」


 机の上の小さな手を、握ってあげようかと迷ったけど、こんな時間にこんな場所でそんなことをすると、踏み込みすぎになってしまう気がした。

 僕はただうなずいて、隣の席に座った。


「帰りの電車、もう無いね」と方違さんが言った。

 だけどもちろん、ここで二人で一晩を過ごすわけにもいかない。

「方違さんさえ嫌じゃなければ、帰る方法がひとつあるんだけど」


   ◇


 友達と学校で用事をしていて終電を逃してしまった、とだけ僕は説明した。ハンドルを握る姉はろくに聞いてなくて、「そーなんだ」としか言わなかった。


「ごめん。ありがとう姉ちゃん」

「すみません、お姉さん、あの……」

「いいよいいよ。夜中のドライブは好きだし。くるりちゃん小っちゃくて可愛いし。でもびっくりしたわ、まもるがJS誘拐したのかと。世間に罵り倒されて死ぬ覚悟したわ」

「同級生だってば。失礼だろ」

「ちょっとコンビニ寄っていい? ビール買って帰る」


 三人でコンビニに入り、僕がスイーツの棚を見ていたとき、方違さんが何かぺらぺらした物を持って、酒の棚にいる姉に見せに行くのが目に入った。


「うそ、マジで!」

 姉の非常識な大声が響いた。

「これどこでみつけたの?!」

「そこに……。お姉さんの車のキーに、同じキャラついてたから……」

「くるりちゃん大好き! 弟の嫁決定! なんなら俺の嫁!」

 あらぬことを叫んで姉は方違さんに抱きついた。

「東京じゃもうどこ行ったって手に入んないのよこれ!!」


 それは姉の好きな、何とかというゲームの何とかというキャラのクリアファイルで、コラボキャンペーンの商品だったのが、売れ残って棚の端っこに置かれていたらしい。


「姉ちゃん、それ僕が払うよ。早いけど、誕生日のプレゼント」

 姉は輝く瞳を僕に向け、方違さんは「あっ」という顔をした。

「方違さん、とりあえず今日は、ここからスイーツ選んでくれる? 永観堂のメイプルケーキはまた今度ね」


   ◇


 乗換駅の前で姉が車を停めると、僕はいったん降りて、五軒並びの真ん中の家の前まで方違さんを送った。


 ドアの前で彼女は僕に向き直って、ちょこっと頭を下げた。

「今日はありがと」

「こっちこそありがとう。お互い、約束はいちおう果たせたね。お姉ちゃんも喜んでたし」

「ん」

「じゃね。おやすみ」

「おやすみ……」


 背中を向けた方違さんの髪に、街灯がきれいな青い光の輪を描いた。それを見て僕は急に、口に出さずにいられなくなった。

「方違さん、こんどは黄色いTシャツ着て来てね。その、きれいな色の髪に合うと思うんだ」

 言った瞬間に後悔した。でも出した言葉は戻せない。彼女が息を吸って何か言う前に、僕は続けた。

「僕はバーベキューなんかより、今日も方違さんに会えてうれしかったよ。方違さんのしゃべり方も、なんか、好きっていうか、だから、友達になれてよかったと思ってる。おやすみ」


 僕はそのまま後ろを見ずに、ハザードランプを点滅させている姉の車へ走った。

 運転席の姉はにやにや笑っていて、助手席に戻れば何か不埒ふらちなことを言われるのは分かっていた。けどそんなことは少しも気にならなかった。

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