第30話 混乱

「あー、水なくなったー!」


 アルノーが、空になった水筒を振って叫んだ。

 他の五人はおとなしく馬車に揺られている。ステファンが今日の馬の御者役だった。七人は今、任務の為キーファーに向かって進んでいた。


「――仕方ないわね、水筒貸して」


 ややあって、イレーネが手を差し出した。アルノーはその手に水筒を渡す。


「〈水よ集まれ、彼の者の渇きを癒すために〉」


 イレーネが呪文を唱えると、空中から水が生成され、水筒の中に収まっていく。


「補充終わったわ。距離を考えないで飲むから、次の水場までもたないのよ」


「ありがとうな」


 満杯になった水筒を持って、アルノーはイレーネに笑いかけた。


「前は水属性の魔法しか使えなかったからね。これぐらいは朝飯前よ」


 イレーネは澄ました顔で言った。彼女の得意な魔法が金属操作だとわかったのは最近のことで、それまでは、次に適性のある水属性の方が前面に出ていた。おかげで、生活の中で水に不自由したことはなかったという。


「でも、水属性って大気から水を掻き集めるか、水源から水を引っ張って来るしかないから、意外と実戦では使いにくいのよね。魔法って習えば習う程、奥が深いわ」


 イレーネが言うと、ルディが頷いた。


「俺も炎を制御できなかった頃は、自分が火傷するから碌に使えなかった」


「みんな、普段から魔力放出はできたんだな。俺は年齢だけ見て応募したから、魔法のことはあんま考えなかったな」


 アルノーはからからと笑った。


「適当だな」


 ルディが呆れた顔をした。その隣で、オリヴァが馬車から外を覗いている。


「あ、見て」


 オリヴァが外を指差すと、みんなつられてそちらを見る。山の方では、木の葉が落ち始めていた。


「もう秋も終わりだね」



 しばらくすると、進行方向から大砲の音が聞こえ始めた。


「街はまだ先なのに……」


 モニカが不思議そうに呟いたが、ナハトは落ち着いて地図を取り出した。キーファーより手前の道には、長さ約50m程の一本の橋が掛かっている。恐らくそこで戦闘が始まったのだ。


「君達は大人数同士でぶつかる戦闘は初めてか。取り敢えず、一番偉い人に会いに行こう」


 敵軍に会う前に友軍の陣地に入れるかもしれないと予測を立てて、ナハトは馬車を進ませるように命じた。


 到着すると、川を挟んで両軍が睨み合っていた。フォルクバルド陣地内の、一番立派な天幕を見つけると、そこに入った。


「援軍だと? こんなガキ共が来るとは聞いていない」


 連隊長は、腹立たしさを隠そうともせず言った。


「――どうするんだよ、ナハト」


 ステファンがこそりとナハトに耳打ちした。ナハトは聞こえているのかいないのか、ステファンの言葉に耳を貸さない。


「情報の伝達に不備があったようですね。しかし私共もそれなりにお役に立てると思います。現在の状況を教えていただけますか」


 連隊長の隣にいた副官が喋り出した。


「明け方より敵軍の攻撃が始まり、主力軍はキーファーに後退しました。煙が上がっているので、現在街中で戦闘中と思われます。また別経路から、小規模ながら敵軍が接近しており、側面から攻撃を仕掛けるつもりだったようです。これと我が連隊が、現在橋を挟んで交戦中です」


 ナハト達が知る由もないが、これが、タークがエルナに進言した兵の分割だった。


 橋という狭い場所を占領すれば、その近辺の主導権を握れる。橋そのものを破壊してもいいが、それだと大砲は運べなくなる。まだ撤退を決めるには早いと判断したのだろう。そこでナハトは提案した。


「では、我が隊を二手に分けて、一つは街の偵察へ、もう一つはあなた方の援護をしたいと存じます。よろしいですか」


「ふん! 七人しかいないくせに何ができる」


 連隊長はまだ、ナハト達の力を知らない。それはこれから見せればいいのだ。


「大砲二門くらいには、お役に立つと思いますよ」


 そう言い残して、ナハト達は天幕を後にした。 



 友軍が走り回り、大砲が火を噴いている。その傍らで、ナハトは話し始めた。


「街に辿り着くには、舟が必要になる」


「そんな物、何処から調達するんですか」


 ルディが噛み付いた。


「あの橋ができる前、この川は渡し舟で通ってたんだ。流される分も計算して、もっと上流に船着き場がある。まだ残っていれば、使えるはずだ」


「橋ができる前って、いつの話だ?」


 今度はステファンが尋ねて来た。


「二十年くらい前かな。その前も橋を作ってはいたけど、すぐ流されてたから」


「お前はなんで、生まれる前のことまで知ってるんだ?」


「知ってるものは知ってるんだよ」


 ナハトにとってはそんなに古い話ではないのだが、長話をしている余裕はない。


「まず、二組を分けよう。――そうだな、僕とオリヴァとモニカが街に入る。残りはここで友軍と戦う。橋は落としてもいいよ。僕が許可する」


 それはつまり、キーファーに援助に行くのが難しくなるということでもある。

 オリヴァが手を上げた。


「わざわざ二手に別れるのは何故ですか? 一緒に戦うべきなのでは」


「戦争では、情報が混乱するのは日常茶飯事だ。ここを守るのは本来第三師団の仕事なんだから、キーファーの正確な情報を知ることの重要性は高い」


 しかし、第三師団が川向こうに一個連隊を置いておいたのは、正解だったとも言えるが、ずいぶん細かく分けたものだ。距離が離れる程、情報共有が難しいというのに。


「そうだ、残していく人達のまとめ役が要るね。誰にしようか」


 ナハトは部下達を見回した。


「アルノー、君に任せる」


「!?」


 アルノーの眼が真ん丸に開かれる。大抜擢だ。逆にルディの顔が凍り付くのも、ナハトは気付いていた。ルディが何か言いたげだったので、ナハトは加えて言った。


「アルノーは状況の把握に優れてると思う。地図の魔法も面白かったしね。強さで選んだわけじゃないよ。大事なのは、友軍と協力できるかってことなんだから」


 一応釘を刺したつもりだった。これにはルディも反論できないだろう。


「他には何かある?」


 みんな無言だった。アルノーが選ばれたことへの困惑もあるだろうが、大分気心が知れるようになったはずだ。上手くやるだろう。

 戦争では、全ての正確な情報が手に入るわけではない。あるかもわからない不安で動けなくなるよりは、時々の楽観が必要だ。ナハトは、オリヴァとモニカを連れて、脇の小道に入って行った。


 ナハトの記憶だと昔は、舗装はされていないが踏み固められた道だったのだが、今はあまり使われていないと見えて、草が所々に生えていた。しかし一本道を進んでいくと、船着き場はあった。舟も残っている。座席部分には布が掛けられていたが、誰かが時々使っているようで、舟はちゃんと整備されていた。辺りには誰もいない。


「勝手に使うことになるけど、しょうがないな」


 三人が船に乗ると、ナハトは水属性の魔法を使って、橋に近付かないように水流を調整する。オリヴァとモニカは、初めて見る魔法にまじまじと見入っていた。水が、本来ならありえない動きをして、オールも使わずに舟を動かしていくのだから当然だろう。ある意味、イレーネと同じ、平和な魔法の使い方だ。


 舟が向こう岸に付いたところで、ナハトは荷物から一つの呪具を取り出した。


「モニカ、渡したい物があるんだけど」


 ピンク色の花の形をした髪留めだ。裏にはルーネが刻まれている。


「使い方は限定されてる。こうやって魔力を込めると……」


 ナハトが呪具を握ると、彼の周囲に五枚の半透明なピンク色の花弁が出現した。一枚の大きさは60cm程である。


「これは自分の意思で自由に動かせる結界だ。本当は練習させておきたかったんだけど、一人だけ特別扱いするのも良くないと思って、今まで渡さなかったんだ。でも今は人数が少なくて危険だから、自分の身は自分で守ってね」


 ナハトが念じると、花弁が自由自在に踊り始める。


「一枚一枚はそんなに強力な防御結界じゃない。大技を防ぐ時は、花弁を重ねる」


 すると、花弁が動いて五枚整列する。


「防ぎきれないと思ったら、斜めにして軌道をずらすんだけど、そこまでは難しいかな」


 ナハトはモニカに髪留めを渡した。


「一回やってみて」


 モニカが髪留めを頭に付けて魔力を込めると、三枚の花弁が出現した。それが限界らしかった。しかし花弁はぎくしゃくとしながらも、モニカの意思に沿って動く。


「ここから先は、ずっと発現させておいてね」


 ナハトはそれだけ言うと、街に向かった。戦闘までモニカの魔力がもつかわからなかったが、それはそれで、どれだけの時間維持できるかが測れる。

 

 モニカ達は何も言わず付いて来たが、明らかに女性向けのデザインの呪具を突然渡されて戸惑っているようだった。

 特別扱いだからというだけでなく、本当は渡したくない気持ちもナハトにはあった。あれはリーゼの形見の呪具だったからだ。ナハトは歳を取らないから、一つ所に長く住んではいられない。契約者も探していたし、移動が激しかった。その中で唯一、今まで手元に残っていた物だ。事情を話しにくいから今まで渋っていたが、魔法という点では劣るモニカには必要だと判断した。リーゼもそれを望むだろう。生きることは、何かを得て、何かを捨てていく過程だ。

 

 キーファーの街は、悲惨な状況だった。大砲と銃の音が響き、硝煙と血の匂いが満ちていた。家も多くは破壊されている。戦いは混乱しており、兵士達は散り散りになっているらしかった。所々に、兵士や民間人の死体が転がっている。まだ生きている住人は、逃げたか、建物の中に身を潜めているのだろう。


 ナハト達は、小規模なバリケードを築いて応戦している数十人の友軍を見つけると、相手側のシバート軍に攻撃を仕掛けた。と言っても、オリヴァが雷で作った槍を投げつけただけだ。それで数十人程いた敵兵は全員消し炭になった。


「あ、あんたら、味方か」


 同じ軍服を着ているにも関わらず、味方に見えないらしい。まあ、武器も使わず大人数を倒す人間を、味方と判定するのは難しいかもしれないが。


「そうです。状況を教えていただけますか」


 ナハトは、最初に発言した兵士に向かって、緊張を解くようにゆっくりと言った。


「急に敵軍に襲われて、街に逃げ込めって言われたんだ。でもあいつら、民間人もいるのに攻撃してきやがった」


 軍人以外には出来るだけ手を出さないのが戦場の決まりだが、いつでも守られるわけではない。ナハトは表情を変えずに、次の質問をしようとした。


 その時、戦場にラッパが鳴り響いた。フォルクバルドの物ではない。


「向こうは一度、兵を再編成するつもりみたいですね」


 鳴らし方で、何処に集まるか前以って決めてあったのだろう。


「どうする?」


 別の兵士が独り言のように呟く。指揮系統がここまで滅茶苦茶になっては、できることもできない。

 しかし、悩む時間はなかった。シバート兵が数人走って来たからだ。ラッパが聞こえて来たのとは逆方向から来たから、どうやらラッパの鳴った場所に向かおうとしていたようだ。そして彼らは、お互いの存在に気付いた。


「応戦する! 銃撃用意!」


 ナハトは叫んだ。脊髄反射のように、兵士達が膝射姿勢を取る。


「撃て!」


 綺麗に一列には並んでいなかったが、フォルクバルド兵は狙撃を始めた。対してシバート兵も、立ったまま銃を撃ち始める。その内の一人は、何かをこちらに投げて来た。この状況で投げて来るなら手榴弾だ、とナハトは思った。


「全員地面に伏せる! モニカ、結界!」


 モニカが慌てて花弁の結界を動かす。瞬間、手榴弾がナハト達の目の前に落ちて爆発した。


 シバート兵達は、数で負けているのを計算に入れていたらしい。手榴弾を投げると同時に、全員がナハト達を迂回するように走り出した。その様子をナハトは結界の内から眺めていた。

 モニカの三枚の結界では、爆発を防ぎきれなかった。無事だったのはナハトとオリヴァだけで、モニカと他の兵士は大なり小なり怪我をしていた。

 ナハトは歯噛みした。今までは安全な場所から仕掛ける立場だったから、相手の反撃に対して準備が少なかった。呪士であるナハトでは、呪文を唱える間に手榴弾を爆発させてしまっただろう。もう少し強力な防御用呪具か、別の対策があれば、彼らの被害はもう少し小さかったはずだ。


「オリヴァ、モニカを背負える? 銃は僕が持つから、安全な場所で手当しよう」


「この人達は……?」


「俺達は置いて行け。他にもやれることがあるだろう」


 比較的軽傷だった兵士が言った。


「すみません」 


 せめて友軍に発見してもらえればいいのだが。そう願いつつ、ナハトと、モニカを抱えたオリヴァは走り出した。

 三人は、来る時に見かけた小さな教会に向かった。教会は一応非戦闘区域になっているし、敵軍は集結しているのだから、建物の中には入らないだろう。

 

 小ぢんまりとした教会は無人だった。目立たない所にモニカを寝かせると、ナハトは怪我を調べ始めた。応急手当が終わっても、モニカは動けないままだった。皮膚の傷以外にも、背中をかなり痛めたらしく、苦しげな顔をしている。

 オリヴァはかなり気落ちしているようだった。しかし戦闘中にそれでは困る。


「勝手に自分の中で反省会始めないでね」 


 部下が重症な時でも冷静な自分は、何者だろう。いや、そもそも人間ではないし、上司はいつだって冷静であるべきだ。ナハトは決断した。


「キーファーでの戦況をもう少し探ろう。モニカは置いていく」


 オリヴァが拳を握りしめたのが見えた。

 ナハトはモニカに話し掛けた。


「ちゃんと迎えに来る。でも万が一、敵に見つかったら好きにしていいよ」


「ありがとうございます」


 床に毛布を敷いて寝かされた状態で、モニカは笑った。腰に付けたままの短剣は、モニカが得意な武器だった。ナハトが、自決しても構わないと言外に匂わせたのに、彼女は心から感謝しているようだった。鋼のような精神だった。


 ナハトは背嚢に入れていた紙に現在までにわかった情報を書くと、あらかじめ用意してあった、灰色の小鳥の形をした呪具に魔力を込めた。模型は一回り大きくなると、鳩のような姿になる。その足に紙を括りつけて、橋の方に向かって飛ばす。これで最低限の仕事は終わった。


「それも魔法ですか」


 モニカが尋ねた。こんな大怪我なのに、あまり動揺していないようだ。


「うん。ファミリアっていう魔法の生き物だよ。僕は使うの苦手なんだけどね」


 ナハトは少しだけ笑って、荷物を纏め始めた。


「オリヴァ、行くよ」


 オリヴァは打ちひしがれたようにしていたが、ナハトが促すと、自分の足で歩き始めた。

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