第5話 王冠の名を冠するもの
休暇を終えたナハトは独り、旅人の格好で森の中を歩いていた。
「う~ん、ホールンダーの森まで来たのはいいけど、森の何処かも書いておいて欲しかったな」
恐らく決まった場所があるから、わざわざ書いていなかったのだろうが、探すのは面倒だ。
辺りを見回しながら進んでいくと、オークの木の幹に、一人の女性が背を預けていた。素朴は服装に、茶色の髪を後ろで一
「少年、ここから先は立入禁止だ。別の道を行くんだな」
どうにも
「目的地があるわけではなくて……この手紙の待ち合わせ場所を探してるんですが、ご存知ですか?」
女性が目を丸くした。
*
「お頭! お連れしました」
女性に強引に手を引かれて連れて来られたナハトは、その場所に六人の男女がいるのを見た。
その中で、大樹の切り株に腰を下ろした、頭領らしき若い男が口を開いた。長めの金髪に水色の瞳で、どこかの民族衣装らしきゆったりした服を着ている。
「アデーレ、お前さ……あの髭面のおっさんが、こんな美少年に若返るわけないだろ。仲間の顔ぐらい覚えておけ」
「も、申し訳ありません!」
アデーレと呼ばれた女性は、若干そそっかしい性格をしているらしい。おかげでナハトは、目的の人物に出会えたわけだが。
ナハトはとりなすように会話に割り込んだ。
「すいません、その方は亡くなったので、代わりに僕が」
「そっか、お前が殺したの?」
二人の間に、すぅっと緊張が走った。初対面の人にぶつけるような質問ではない。
「
ナハトはあっさりと認めた。この人はナハトから目を逸らさない。自分の洞察力に、余程自信があるらしい。なら、
「えええ!」
アデーレは心底驚いたように、ナハトを見つめた。
そんなに自分は人畜無害に見えるだろうか。ナハトは少し呆れたが、向こうの男も、アデーレの
「人を殺した奴は見てわかんだよ。……で、こんな森の奥までおいでくださったんだ。ご用件は?」
ナハトは正直に答えた。
「単刀直入に言いますと、あなた方には、窃盗罪・横流し、王室への不敬罪などの嫌疑が掛かっています。僕はその調査に来ました」
頭領らしき男も、さすがにたじろいだように見えた。
「さすがに尻尾を掴まれたか。にしても、わざわざ教えてくれるんだな」
「自分の罪を認めた上で、裁きを受けていただきたいんです」
それは、ナハトの信条のようなものだった。
「ご立派な心掛けだが、この人数相手に見くびりすぎじゃねぇか?」
アデーレを含む、五人の男女がそれぞれ武器を取って、ナハトを取り囲んだ。どうやらこれ以上の話し合いは無理そうだ。ナハトは呪文を唱え始める。
「<
ナハトの周囲に、無数の光の玉が生まれる。
「残念です。ほとんどの人が、本当の魔法使いを知らないのは」
水色に淡く光るそれらは、音もなく炸裂した。
「……マジで?」
頭領らしき男と、もう一人残っていた眼鏡の男性は、驚きを隠せていなかった。ナハトの魔法を食らった全員が、地面に倒れていた。
少しすると、一人だけ起き上がって、ナハトに掴みかかろうとした。ナハトは逆にその腕を取って、関節技を決める。そのまま少し力を入れる方向を変えると、肩関節が外れる鈍い音がした。悲鳴を上げる男を地面に投げ出す。近接格闘も少しやっておいて良かったなあ、とナハトは思った。
その間に、残った頭領らしき男は、ショックから回復したらしい。
「……うん、決めた」
男は切り株から立ち上がって歩くと、ナハトの肩に両手を置いた。
ナハトな内心動揺した。少しトロいのは自覚があるが、相手に敵意が全くなく、その上自分に触れさせてしまったからだ。
「お前、俺の仲間になれよ。絶対損はさせねーから!」
近くにいた眼鏡の男性が、不明瞭な叫びを上げた。
*
山の中腹辺りを、
「ほら、着いたぞ」
ナハトは頭領らしき男に促されて、馬車から降りた。正面を見上げると、薄茶色の壁をしたゴシック様式の大きな建物がある。ナハトはそれを、資料で見たことがあった。
「これは……エッシェ城?」
旧都エッシェの王宮だった城だ。フォルクバルド王国が建国されたばかりの頃に建設され、他の部族に幾度か攻められた時にも、一度も陥落しなかったという。
「
「元・王宮が犯罪者の
頭の痛い話だ。ナハトのぼやきに、頭領らしき男は唇を尖らせた。
「
「ああ、だから」
“クローネ”とは、王冠を意味する言葉だ。元・王宮に住んでいるなら、それも自然に思える。不敬罪には変わりないのだけれど。
周りの、地面がむき出しになった所では、農民の格好をした男が畑を耕していた。基本は自給自足の生活を送っているらしい。
ナハトが予想していたよりは、随分と穏やかに見える場所だった。
フォルカーと名乗った男は、やはりここの頭領らしかった。他の人員は各々別の場所に散っていき、ナハトはいくつかの施設を案内され、一つの小さな部屋に到着した。中は一応家具が揃っているが、至る所が埃まみれだった。
「お前の部屋はここな」
そして、水の入ったブリキのバケツと雑巾を渡される。
「悪いけど、使ってない部屋までは掃除してないんだ。でも基本、自分の部屋は自分で掃除することになってる。布団とか他に
嫌がらせというわけではなく、そういう決まりらしい。
「食事の準備ができたら鐘が鳴るから、さっき見せた食堂に食べに行けよ」
*
「これは一体どういうことなんだ、フォルカー!!」
「何をそんなに怒ってるんだよ」
眼鏡の男性が、フォルカーに食って掛かっていた。フォルカーはどこ吹く風で、古臭い椅子に座って机の上の書類をチェックしていく。盗んだ宝飾品は、石をばらして元の所有者が分からないようにして、口が堅い業者に流す。金属部分は大体が溶かされて再利用される。この世で人が生きていくには、金が必要なのだ。
「よりによって、ジークムントの魔法使いを入れるなんて! 調べてくれと言ってるようなものだ」
「しょうがねーだろ、あの状況じゃ俺やお前までやられかねなかったし」
最後の書類に目を通して、フォルカーは顔を上げた。
「それに、あいつには甘さがある。まだ誰も殺してないしな」
ナハトの魔法は、相手を気絶させただけだった。やろうと思えば、皆殺しにもできたはずだが、そうはしなかった。
「じゃあ、しばらく泳がせて油断した所を」
「頭固いんだよお前は」
フォルカーは、まだ彼の考えを飲み込めていない副官の言葉を遮った。
「実力は折り紙付き。本当に仲間になったら最強じゃねえか?」
*
食堂では、夕食が始まっていた。自分でトレーを取って、料理を貰うスタイルだった。
「はいよ、あんたはこれね」
配膳役の中年女性が、木でできた器にスープを盛った。ナハトはトレーを持って空席を探した。不安げにこちらを覗いている者も、既に酒が入って楽しそうに談笑している者もいた。そういった人達のトレーには、スープとパン以外にも、肉を焼いた物や漬物が載っている。フォルカーが命令を出しているのか、ナハトに近付こうとする
ナハトは席に着くと、食事を始めた。
(なんだろう、この食事量の差……冷遇されてるのかな。いや、任務中は食べられないこともザラだから、足りなくはないけど)
「隣の席、よろしいですか?」
さすがに
座ったのは、十歳をわずかに超えたくらいの、黒髪の少女だった。黄緑色のワンピースと
「あの、食事の量ってどうやって決まってるんですか」
少女は微笑んだ。「冷める前に食べましょう」と言われ、ナハトがスプーンを手に取ると、彼女は話し始めた。
「やっぱりあなたが、今日入った人なんですね。私のことはマリーと呼んでください」
「ナハトです。よろしく」
マリーは頷いて、先程の質問に答えてくれた。
「食事は朝夕、最低でもスープと黒パン一個です。自分で野菜や家畜を育てたり、料理の人に手間賃を払うと、別に料理を作ってくれたります。お酒は自分で仕込んでいる人もいますけど、物々交換したり、買ったりと色々です」
「なるほど、これが基本量なんですね」
「男の人は大体足りないので、働いて食事量を増やしてますよ」
少女が親切に答えてくれるので、ナハトは訊きにくかったことも口にした。
「あの……失礼ですが、あなたはどうしてここに?」
マリーは若干表情を
「私は貴族の生まれなんですが、私だけが魔力持ちで、家の中では煙たがれていたんです。父が存命の間はまだ良かったのですが、私が九歳の時に亡くなってしまって、私は家を追い出されました」
ナハトは黙って話を聞いていた。貴族階級が何故か魔力持ちを嫌っているのは知っていたが、幼い少女に随分
「森を
「そうだったんですね」
ナハトは
「さっきから思っていましたが、敬語は要らないですよ。私の方が年下ですから」
マリーは食べるのをとめて言った。
「ナハトさん、ここにはあなたをよく思わない人もいるでしょう。でも、あなたが私達に被害を加えない限り、私はあなたを応援します。かつて私がそうしてもらったように」
食事を終えると、ナハトは自室に戻って掃除の続きを始めた。完全に夜になる前に終わらせてしまいたかった。自分がいない間に、布団や
(なんだか申し訳ないな。本当にここの仲間になったわけじゃないから)
マリーは、完全に信用しているわけではないが、ナハトがクローネに入ったと思っている。しかしナハトは、情報収集を済ませたらここを立ち去るつもりだから、両者はすれ違っている。
コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。ナハトがドアの方を向くと、換気のために開けていたドアの所には、フォルカーが立っていた。
「結構綺麗になったな」
改めて部屋の中を見渡すと、なんとか暮らしていける程度には整えられていた。
「付き合えよ、少年。良いモノ見せてやる」
フォルカーに連れられて来たのは、城塔だった。胸壁の間には
「俺のお気に入りはここだな。もうすぐ
太陽の位置から、時間を計算したらしい。フォルカーに指差された方向を見ると、夕日が丁度沈みかけており、新首都アイヒェの街並みが、オレンジ色の光に照らされていた。近くを流れるツェーレ川の水面もキラキラと輝いている。
「アイヒェまで見えるんですね」
「冬は空気が澄んでるから、もっとくっきり見えるぞ」
それまでには仕事も終わるだろう。存在しない未来の話だ。しかしナハトは口には出さなかった。
「どうだ? ここに来た感想は」
フォルカーに尋ねられて、ナハトは答えた。
「……まあ、割と面白いですよ」
その後に、きっちり付け足した。
「
「やっぱバレバレか」
「最初から、お互いの
「でも、仲間になってほしいのは本心だぜ」
フォルカーは真面目な表情で、ナハトをしっかりと見据えていた。
「俺が親父に習った言葉だ。『金を積めば人に取り入る。
ナハトは黙って、その言葉の意味を考えた。信頼してほしい、本当の仲間になってほしいと彼は言っている。それが叶わない望みだとしても。
「では、お手並み拝見といきましょう」
誠意は態度で示されるべきだ。さあ、何が出て来るか。
「……」
「どうかしました?」
「お前、そういう風に笑うんだな」
知らない内に、唇の端を吊り上げていたらしい。そういえば、この人の前で笑うのは初めてだ。
「笑うとおかしいですか?」
「いや。俺も
そうして、彼らの道は交わった。その先に待ち受ける未来を、今はまだ誰も知らない。
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