第4話 別れは一瞬


「これが、最低限の魔法書」


 ナハトが机の上に分厚い本を五冊ほど乗せると、リーゼは目を丸くした。まあ、履歴書を読む限り当然の反応だろう。それに、魔法書なんて物が残っている所など、そうそうないのだから。


「魔法について知らない人もいるみたいだから説明するけど、君が二次試験で読んだ詩は“ゲベート”っていって、“ルーネ”の基本要素が全部入ってるんだ。ルーネは呪文の言葉。これで元素に命令を与えれば、単に魔力を放出するより効率的に魔法が使えるんだ」


「はあ……」


 リーゼはまだぼんやりしている。勉強が苦手なタイプかもしれない。


「例えばこの水差し。水属性のルーネで呪文が刻まれてる」


 ナハトは机の隅にあった陶器製の白い水差しとグラスの入ったお盆を中央に寄せた。蓋を取って、中身が空であることを見せる。水差しには、植物の模様に交じってルーネが書き込んである。


「これに魔力を注ぐと……」


 ナハトは蓋を元通りに閉めて、手をかざした。そしてグラスに向けて水差しを傾ける。

 空だったはずの水差しからは水が流れ、グラスを満たした。これぐらいの量の水を生成するのは、そんなに難しくはない。


「これが一番初歩的な“呪具じゅぐ”だね」


「こんなことができるなんて……」


 リーゼも段々理解して来たらしい。 


「魔法使いには二種類ある。ひとつはルーネを直接唱えて魔法を使う“呪士じゅし”、もうひとつが主に“ヴンダー”と呼ばれる呪具を使う“具士ぐし”だ。呪具はどちらも使えるけど、高度な呪具になるほど、魔力の運用方法が違うから呪士にとっては使いづらくなる。

 他にも違いはあるけど、まずはそれだけ覚えておいて。ちなみに僕は呪士だよ」


 専門用語が多いので、一度に説明すると大変だろう。ナハトはそこで説明を切り上げた。


「私が呪士になるのはもう決まってるんですか?」


 痛い所を突かれたな、と思った。


「実戦での使用に耐える呪具はお金が掛かるから、自前で用意できればいいよ。そういう人は、毎年の試験に関係なく、入りに来れるけど」


 彼女の家の財政状況を考慮して決めたことだが、選択肢を最初からせばめているのは確かだ。ただ、予算に余裕があるわけではないし、首都に家が買えるくらいの大金が必要なので、どうにもならないのだが。


「現実的ですねえ……」


 リーゼは意外にも、あっさりと受け入れた。


「ナハトさんは、誰から魔法を習ったんですか?」


「エルマーだよ」


「は?」


 リーゼが露骨に嫌そうな顔をしたので、ナハトは苦笑した。


「ああ見えて、結構強いんだよ。でも僕がエルマーの弟子だとすると、君は更にその弟子」


「うわあ、考えたくないです!」


 リーゼはガバッと机に伏せた。彼はそんなに毛嫌いされることをしたのだろうか。前例があるから、否定しにくい。根は面倒見が良く、優秀な人なのだが。


 そんな風にして、二人の魔法の特訓は始まったのだった。



 ナハトが帰って来た翌日、中庭でナハトとリーゼは魔法を使って戦っていた。実際には、リーゼの方が必死で、ナハトが適当にそれをあしらっているだけだ。それぐらいの実力差は歴然と残っている。しかし、リーゼが隊員になった以上、実戦形式の訓練は増やさないといけない。

 現時点での大体のリーゼの実力を測り終えると、ナハトは戦闘の終わりを告げた。午後は一緒に買い物に行く予定もあるし、隊長からは休めと言われているのだ。リーゼは大分限界だったらしく、とぼとぼと汚れた服を着替えに行った。


 訓練を終えたナハトが城の廊下を歩いていると、エルマーに呼び止められた。


「君は、魔力を節約しようとする癖が抜けないね。悪いことじゃないけど、リーゼにちゃんとした威力の魔法も見せてる?」


 ナハトはピクリと眉を寄せた。彼は他の隊員に比べて、魔力が豊富にあるわけではない。的確に、最低限の魔法で仕留めるのが彼のやり方だ。それは豊富な魔法知識量に裏打ちされている。普通の入隊者とは違って、十年以上、魔法使いになるためだけに訓練されたのだ。


「僕がリーゼの指導をしているのが不満?」


「そうじゃないよ。ただ、汚れ仕事なら僕と君の二人でも回していける。あの子はまだ十六歳だ。もう少しの間くらい、楽しい人生が必要なんじゃないかと思うんだ」


「そんな余裕ぶってたから、ティアナとエーリヒも死んだんじゃない?」


 治安維持部隊ジークムントも、昔はもう少し人数が多かった。しかし、一人でも相当な戦力になり、隠密行動にも向くので、酷使されることが多い。かつての同僚、いや先輩達も任務の中で死んでいった。内乱で命を落とした者もかなりいる。


 逆の極めつきはブルーノだった。銀色に近い、色素の薄い髪と青い瞳をしていた。軍人の多い家系で、タークに魔法を教えていた具士だったが、ナハトに馬術と剣術を教えたのは彼だ。彼はこともあろうに、いつの間にか国家に反逆するテロリスト集団と繋がっていた。


 ジークムントで死刑に相当する裏切者が出た場合、仲間内で処刑されるのが掟だ。普通の下手人げしゅにんだと、うっかり魔法で殺されかねないからだ。

 彼の関わっていた陰謀が明るみに出ると、すぐに彼の死罪は決まった。担当は、ジークムントに入隊したばかりのナハトだった。


 珍しく軍服を着たナハトが、処刑場で後ろ手に縛られて地面に座らされたブルーノの前に現れると、彼は薄く笑った。元々具士だから、口は塞がれていなかった。


『俺を殺すのは、よりによってお前か。うってつけの人選だな』


『少し黙ってくれませんか。狙いにくいので』


 ナハトは、右手に持った呪具の剣に魔力を込めた。鍔に埋め込まれた灰色の石が明るく光って、やや反った刀身が輝きを帯びる。剣の強度と切れ味を上げる呪具だ。処刑は首を斬るのが基本だが、斧ではなく剣でするのが決まりのようになっていた。

 

『お前はこの国しか見たことがないからわからないだろうが、この国はもうおかしい。誰かが変えなくちゃいけないんだよ』


 ブルーノの言葉は、その時のナハトには理解できなかった。


『国家の治安を乱す者は、どんな手段をもってしても殲滅せんめつする。その原則を忘れたわけではないでしょう』


『……お前を自由にしてやりたかったなあ。自分から試験を受けたんじゃないから、こんな組織にいる必要なんてないのに。タークのために義理立てしたのか?』


 話が噛み合わない。これ以上話しても無駄だと、ナハトは剣を構えた。

 ふと見ると、エルマーが酷く辛そうな顔をしていた。彼にはブルーノの心情が理解できるのだろうか。しかし何もかもが、もう遅過ぎる。


 ナハトは、感情によって行動を左右されない。珍しい特質だった。りきまないし、われを忘れたりしないから、軍人としては最適だと、ユリアは称賛していた。

 ナハトは、息をするように、迷いなく、剣を振るった。ブルーノの頸が、重力に惹かれるように地面に落ちた。人を殺すのは、それが初めてだった。



 大市を初めて見たリーゼは興奮していた。


「いっぱい出店あるんですね、ナハトさん……って、え?」


 リーゼが振り向くと、ナハトは少し先のアクセサリー屋で足を止めていた。店主らしき青年と会話を交わすと、何かを買ってこちらにやって来る。


「これ、あげる。試験合格のお祝い」


 差し出されたのは金色の腕輪だった。輪の両端が閉じている所に、オレンジ色の透き通った石がはまっている。


「あ、ありがとうございます!」


 男の人からプレゼントをもらうなんて初めての体験だ。近所のガキ共は悪戯ばっかりしてたから……と、リーゼが昔を思い出していると、ナハトは困ったような顔で笑っていた。


「“魔石ませき”って知ってる?」


「知らないです」


 ナハトの知識は、リーゼより圧倒的に多い。素直に知らないと認めた。


「鉱物の中には、魔力に反応する物があるんだ。その腕輪の石は多分、魔力を吸収する性質がある。逆に、魔力に触れると爆発するのもあるけど。リーゼも入隊試験で見たでしょう?」 


「あー……」


 あの、なかなか割れなかった透明な珠だ。あれも魔石の一種だったのか。


「魔石の目利めききができる人はほとんどいないんだ。あの店主の人も全然気付いてなかったし」


 知ってる人ならもっと高値で売りつけただろうね、とナハトは言った。多分役に立つから、とも。


「でも、魔力持ちの人がそもそも少ないから、売る相手を考えないといけないけど」


 ナハトは、必要がないのに、物の価値を丁寧に教えてあげるほどお人好しな人種ではない。リーゼも一年間の付き合いで、それぐらいはわかっている。


「魔石のことを“マガイビ”って呼ぶ人もいる。不思議な呼び方だよね」


 二人はその後、しばらく食料品の買い物をした。リーゼが主にお菓子作り用、ナハトは道中で食べる保存食をいくつか買い求めた。


「いっぱい買えましたねー」


 紙袋を沢山持って、リーゼはほくほく顔だ。珍しい物がいっぱいあった。来週もやるみたいだから、独りでも絶対来ようと心に決めた。


「荷物持たなくていい?」


「平気ですよ、これくらい」


 通りを歩いていると、乾物屋の男性に呼び止められた。


「そこのお兄さん達、干し魚買って行かないかい? こちとら創業二十年、ハンザ同盟のお墨付きだよ!」


「ハンザ同盟?」


 リーゼが尋ねた。


「この辺りで食料品の流通を担っている商会さ」


「へー、都会は進んでますねー」


 感心するリーゼをよそに、ナハトは乾物屋の男性に問い掛ける。


「すいません、この大市って昔もこんな感じでした? もっと賑やかだったと思うんですけど」


「確かに店は減ったね。揉め事も多いし」


 店主は頷いた。ナハトの記憶違いではないらしい。


「兄ちゃん達は、旅の人かい?」


「いえ……あまり買い物に来ないだけです」


 ナハトはそれだけ言うと、リーゼを伴って店を後にした。



「ナハトさんは、前からこの大市に来てたんですね」


 帰りの道中、リーゼは言った。今よりもっと出店があったなら、さぞ楽しかっただろう。

 しかしナハトは、ふるふると首を振った。


「僕はタークを探しに来ることが多かっただけ。ああ、タークには会ったことないよね。僕と同じくらいの背格好で、双子じゃないかとかよく言われたな。僕らは内乱の時の戦乱孤児みたいで、どこに住んでたかも、本当の年齢も覚えてないんだ。今は一応、十七歳ってことにしてるけど」


 初めて聞く話に、リーゼは驚いた。


「僕とタークのこと、似てるって人もいれば、正反対だっていう人もいた。でも絶対、赤の他人なんかじゃないってことでは意見が一致してたな」


 ナハトは昔を懐かしむように、遠くを見ていた。


「僕と同じような黒髪で、瞳は赤、いやくれないかな。リーゼも、外に出る機会が増えたら会うこともあるかもしれない。でもきっとすぐにわかるよ」


 ナハトが振り向くと、おや、というようにリーゼの顔を覗き込んだ。ヤグルマギクに似た、珍しい青紫色の瞳がいぶかしげに細められている。今の自分は不機嫌に見えるだろうな、とリーゼは思った。


「僕、何か変なこと言った?」


「いえ、ナハトさんが自分の話をしてくださるのは珍しいので嬉しいんですが、二人で買い物に来て、その人の話を沢山されると、もやっとします」


 ナハトは首を傾げた。当たり前だ。これはただのひがみに過ぎない。彼がどうにも他人の感情に疎いのも、リーゼは知っている。回りくどい言い方をすると、大体気付きはしない。

 実際、リーゼの真意を汲み取れなかったナハトは、話の続きに戻った。


「タークは自由気ままな性格でさ。城が嫌いで、ちょくちょく抜け出してて、とうとう三年前に家出しちゃった。ユリアさんは『連れ戻してもまた逃げるから放っておけ』って方針だから、今どこで何してるか知らないけど、なんとかやってるんじゃないかな。

 そうそう、僕はタークが近くにいると、何となく居場所がわかるんだ。それで城でも色々あったんだけど、この辺りの話はエルマーがいた方が参考になると思うから、帰ったら話そうか」


 ナハトにとっては大事な人だったのだろう。にしても人の好意に鈍感な人だなあ、とリーゼは苦笑しながらも、こくりと頷いた。

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