第3話 ジークムント


 フォルクバルド王国の新首都アイヒェは、ツェーレ川に面した広い街だ。約十年前にここで、血で血を洗うような戦いがあったことなど、もう誰も覚えていないかのように、まだ新しい家々が広がっていた。


 ナハトは宮殿の中庭を歩いていた。頭の中で、今回の仕事の成果を報告する段取りを立てていると、いきなり後ろから誰かに抱きつかれた。


「おかえりなさい、ナハトさん!」


 金髪の髪を高い位置で一括りにした少女は、ナハトが何か言おうとする前に、ぱっと自分から離れた。それでも足は落ち着きなく動いていて、オレンジ色のワンピースがゆらゆらと揺れている。


「やあリーゼ、元気そうだね?」


 ナハトはやや気後れしながら挨拶した。この少女はどうにも元気が過ぎる。


「はい! それとお知らせしたいことがあるんです」


 リーゼは服の中から、首に下がっている紐を取り出した。ナハトの物と同じ銀色の小さな板に、オレンジ色の雫型の石が三個垂れ下がっている。板には所有者の名前が刻まれている。


「本試験受かったんだ……」


 ナハトは驚きと若干の安堵の表情を浮かべた。リーゼはナハトの生徒だった。自分が任務に出ている間に、身分証ができたらしい。


「これもナハトさんの指導のおかげです。これからは私も、ジークムントの一員として、頑張っていきますね!」


 リーゼの名誉のために言っておくと、彼女も普段は、男に気軽に抱き着くような、礼儀知らずの人間ではない。喜びの気持ちが強過ぎて、行動を抑えられなくなったのだろう。


「今日のお茶は来てくれますか? トルテを焼いたんです」


 確かに、そろそろ午後三時のお茶の時間だった。


「行くけど……先にユリアさんに報告しに行っていいかな」


 まだ仕事を知らないリーゼにとっては、お茶の習慣の方が優先順位が高いのだろうが、ナハトはさすがにそういうわけにはいかなかった。


 執務室で出迎えてくれたのは、相変わらず美しい女性だった。


「おかえり、ナハト。怪我はないか?」


 背中側の窓から、後光のように照らされている女性が、ジークムントの隊長、ユリア=エル=シュプラーヘだった。現在の国王のいとこにあたるが、母親が軍人気質の強い家に降嫁こうかしたため、本人の才能も相俟あいまって、国軍最高の地位まで上り詰めた女傑じょけつだ。美人なのだが、結婚する気もないらしい。

 腰まで届きそうな長い金色の髪は、緩やかにパーマが掛けられ、無造作に下ろされていた。正規の軍服に近い上着だが、下は女性らしい黒いロングスカートだ。


「作戦は全て終了しました。ただ、ひとつ気になる物が」


 ナハトは、ユリアの座る机に、読みやすいよう切り開いた、例の手紙を置いた。


「――確かに、背後に何かあるのかもな」


 ユリアは職務に忠実だ。この手紙がどんな意味を持つのかはっきりしない点はあるが、放置する気は全くないらしい。


「調べに行ってくれるか」


「はい」

 

「手紙に書いてあるのが次の満月の日なら、あさって出発しても十分間に合う。明日まではゆっくり休みなさい。今日のお茶は四人だな」 


 美貌びぼうの上司は、にっこりと笑った。



 ジークムントの食事用にあてがわれた小さめの部屋で、四人の人間が紅茶とレモンのトルテを食べていた。

 最初に会話を切り出したのは、茶色の天然パーマの髪を首の後ろで束ねた男性だった。この隊は軍服が必須ではないので着ていないが、紫色の上着は上等な布で作られていて、彼の出自をそれとなく示している。


「何はともあれ、本試験合格おめでとう、リーゼ。ナハトも元気そうで何より」


 ナハトに魔法を教えた同僚のエルマーだ。一応先輩というか師匠にあたるのだが、本人は上下関係をあまり気にしていないらしい。


「これでもう少しおしとやかになるといいのに」


「なんですってー!!」


 呟くように付け足された言葉に、リーゼが反応した。自分がお淑やかでない自覚はあるらしい。しかしエルマーは、リーゼの若干失礼な態度にも、特段腹を立てる様子もない。


「二人とも喧嘩しないで……」


 ナハトは呆れながら注意した。エルマーはどうにもリーゼをからかいたがる節がある。話題を変えたかった。


「リーゼは何か買いたい物とかある?」


「う~ん、あんずですかね。お城の庭じゃ栽培していないので」


 また何かお菓子を作るらしい。しかし、城内でできる趣味があるのは良いことだ。


「明日は広場で大市をやるはずなんだけど、一緒に行く?」


「行きます、行きます!」


 すぐに楽しそうな返事が返って来た。今まで魔法の修行漬けで、あまり外出はしていなかったはずだ。大体のことは城にいれば間に合うから、出る必要性もさしてない。



 ナハトがリーゼに初めて会ったのは、約一年前のことだった。裏門をたまたま通りかかった時、二人の衛兵と、門の向こうで騒いでいる女の子を見た。


「許可がない者は通行できない」


「だーかーらー、ジークムントの入隊試験を受けに来たの!」


「そんな通知は来ていない!」


「許可状もあるわよ!」


 状況を理解したナハトは、白熱する二人の間に割って入った。


「あの、すいません。ジークムントの入隊試験は、東門の通行しか許可していません。ここは裏門です」


「裏門……これが裏門?」


 くすんだオレンジ色のワンピースを着た少女は、自分より背の高い鉄柵でできた門扉もんぴをぽかんと見上げた。まだ状況が飲み込めていないらしい。


「つまり……私は間違った場所に来たの?」


 少女の問いにナハトは頷いた。裏門は精々荷物の搬入くらいにしか使っていない、小さな門だ。市井しせいの人から見たら、立派な門に見えるかもしれないが。


「お父さんお母さんごめんなさいリーゼはここまでのようです……」


 目に見えて落胆した少女は、へなへなと地面に座り込んだ。静かになったので、ナハトは彼女の服装をまじまじと眺める余裕ができた。


(確かあれは南部の染物と伝統刺繍だな。ということは、地方から出て来たのか)


 それだと、勘違いするのは無理もないかもしれない。この裏門から東門までぐるりと回ることはできるが、開始時刻に間に合わないかもしれないし、試験前に疲れさせるのも可哀そうだ。少し考えて、ナハトは自分の身分証を服の中から取り出した。


「僕の権限で、この子を通してあげてください。ちゃんと連れて行きますから」


 ジークムントの身分証は、名前と所属が記載されており、どの門からも通行可能だ。特徴的なデザインなので、城の防衛に関わっている人間なら、誰でも識別できる。事実、衛兵は「失礼しました!」と叫んで、明らかに年下のナハトに敬礼した。


 ナハトはリーゼと共に、広い城の中を歩いていた。


「ここを通ると、時間までに着けます。まあ、そこまで遅刻にはこだわりませんが」 


「あ、ありがとうございます。ところであなたは、結構偉い人なんですか?」


「機会があったらまた会えますよ」


 ナハトはあまり多くを伝えずに、リーゼを試験場まで送って行った。彼女が試験に受かれば、同僚になるのだから。



 リーゼは試験会場のために開けられたホールに入ると、魂が抜けそうになった。壁紙は花柄でやたらに綺麗だし、謎の高級そうな装飾品も置いてある。ぼろい実家とはえらい違いだ。その空間の中に、場違いなくらい普通の格好をした子供が三十人ほどいた。めいめいが椅子に座ったり、お喋りをしたりして、気を紛らわせていた。リーゼも、赤いソファに座ってみる。


「豪華すぎて落ち着かない……」


 ジークムントとは、魔法使いだけの治安維持部隊である。構成人数は少なく、その姿を見た者は誰もいないという。この国では、十五歳以上になると生涯に一度だけ、入隊試験を受けることができる。

 リーゼは家族五人をまかなえるほどの給料に惹かれて応募したが、魔力持ちの子供は大体これを受けるものらしい。


 すると、広間に一人の男性が現れた。その後ろから、兵士が数名荷物を持ってやって来る。そして、長い棒を三脚のようにセットすると、その上に直径10cmほどの透明な球体を置いた。それを人数分作っていく。


 最初の男が口を開いた。


「これから試験を始める。各自、自分の珠に魔力を込めてごらん。規定量に達すれば割れるはずだ」


 ざっくりとした説明だったが、参加者達は戸惑いつつも、三脚を適当な位置に運び始めた。

 リーゼも他の子供に交じって、空いていた場所に三脚を置く。そして珠に手をかざしてみた。大抵の魔力持ちなら、魔力でガラス球を割るくらい、わけないことだ。


 しかし、割れない。


「うっそお」


 リーゼは思わず声を上げた。慌てて周りを見渡してみる。まだ誰も割っていなかった。明らかにこれは普通のガラス球ではない。リーゼは魔力の出力を上げた。


(さすがに、一筋縄じゃ行かないってことね)


 数分ぐらいすると、珠にヒビが入り、概ね半分に割れた。


「できた!」


 最初の問題をクリアしたようだ。リーゼはほっと溜め息を吐いた。


 他にも割るのに成功した子供達は別室に移された。最初の男は淡々と説明を続けた。


「六名合格か。大体、例年通りだな。次は一人ずつ審査を行う。名前を呼ばれた者は二つの部屋のどちらかに入りたまえ」


 そう言って、右の部屋に入ってしまった。この部屋には二つの白いドアがあった。左と右、どちらも同じ装飾がされている。間に衛兵が一人立っている。


(ここまでは聞いた通りだけど、この試験はよくわからないのよね)


 リーゼの生まれ育った町でも、入隊試験を受けた者は何人かいた。唯一、一次試験を突破した者は、次の試験についてこう言った。


『なんだか暗号みたいな文を読めと言われた』


 意味不明だ。ちなみに彼は、その試験で落ちた。


 兵士が一人ずつ名前を呼び、左右のドアに振り分けていく。終わった受験者から出て来れるようだった。短時間で終わる者もいれば、少し時間が掛かった者もいた。試験が終わった子供達は、大概が首を捻っていた。


「あの問題、意味わからない」

「でも、女の人美人だったわね」

「俺は男の方に当たったんだけど」


 その時、リーゼの名前が兵士に呼ばれた。


「リーゼ=グランツ、右の部屋へ」


「はい、君で最後ね」


 説明役兼試験官の男は、椅子に深く腰掛けて、目の前の机の紙を眺めていた。参加者のリストだろう。声にはやる気のなさが溢れていた。最初から気は入ってなかったが、更に酷くなっている。


「そこの紙、読んでみて」


 指示された場所には、譜面台が置いてあり、一枚の紙が載っていた。

 これが暗号とやらか、とリーゼは怖々紙を覗き込んだ。確かに、ミミズがのたくったような変な文字が並んでいる。しかし、リーゼの頭の中には唐突に文章が浮かんだ。


「〈命とは光である。命は土から生まれる。火がこれを生かす〉……うん?」


 男が初めて、目を見開いていた。


「読めない所は飛ばしていいよ」


「〈風がこれを〉……だめ、後はわからない」


「そうか。うん」


 男は勝手に納得したように頷くと、リーゼを連れて左の部屋に入った。


 左の部屋には、二人の人物がいた。一人は、前の受験者が言っていただろう女性、もう一人は裏門で会った少年だった。


「隊長、今年唯一の合格者です」


 男がほっとした顔で報告した。さすがに全員不合格は嫌だったらしい。

 隊長と呼ばれた女性は、中央の椅子に座ったまま、軽く頷いた。


「私が隊長のユリアだ。知っているとは思うが、君はこれから魔法の基礎を学んでもらい、最後の本試験に受かれば、晴れて隊員となる」


 まだあるのか、とリーゼは心の底でツッコミを入れた。しかし、体系的な魔法というものを知らないのは事実だ。あの、暗号のような文も関係あるのかもしれない。


「君の未来の同僚を紹介しよう。まず、エルマー=フォン=リッター」


 最初に現れた試験官だった。


「いつまでもつか楽しみだね」


 なんていけ好かない奴だ。リーゼの中で、“こいつは敵”判定が出た。何を言いだして来るかわからない。


「次に、ナハト=フェアトラーク。彼が君の魔法の指導を担当する」


「よろしく」


 少年はにこりと微笑んだ。


(うわあ、本当に!?)


 あっちの男よりはるかに良い。やれるだけやってみようと、リーゼは思った。


「君もとうとう弟子を持つ身になったか。この調子で来年は試験官も任せようかな」


「弟子なんて言えるのかな……魔法なんて、結局は自分の努力だし」


 エルマーが、親しげにナハトの肩に手を置いた。二人はそれなりに仲が良いらしい。二人に対する評価が真っ二つに割れているリーゼには軽い驚きだった。


「これから頑張っていきましょう」


「は、はい。”機会があったら会える”ってそういう意味だったんですね」


 ナハトは、意味深に微笑むだけだった。 

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