第6話 本に隠された歴史


「紹介したい人?」


 ナハトがエッシェに来て以来、フォルカーはよく部屋を訪ねて来る。今日の用件は、人物紹介らしかった。


「そ! 本を読むのが好きだって言ってただろ? 気が合うと思うんだ」


 言いながらフォルカーは、ナハトの腕を取った。


「てなわけで、今から行くぞ」


「行動速いですね……」


 連れて来られたのは、書斎らしき部屋だった。白い壁に、背の高い本棚が一面に並んでいる。その横手に、本棚がスライドさせたように置かれており、奥にはもう一つの書庫があった。


「あ、いたいた」

 

 目当てだったらしい、生成りの服を着た青年は、一つの本棚の前に佇んで、背表紙を眺めていた。彼もこちらに気付いたらしく、くるりと振り向くと、ナハトとフォルカーの方へ歩いて来た。


「テオといいます。お噂はかねがね」


「ナハトです。初めまして」


 ナハトはテオと握手をした。そしてちらりと相手の耳の辺りを見やる。


「これが気になりますか?」


 テオは、左耳の辺りでストロベリーブロンドの髪を一房伸ばして、赤い紐で括っていた。それはヴィリー族の風習だった。男性も髪を伸ばして、赤い紐で括る。結ぶのは何処でもいいが、他の人と被らないのがお洒落しゃれなのだという。


不躾ぶしつけに眺めて、すみません」


 ナハトは素直に謝罪した。このヴィリー族こそが、アイヒェの地に元々住んでいた民であり、遷都の為に居住地を追われた一族だったからだ。そして、あの戦いと遷都が、現在まで続く国家財政赤字の主な原因でもある。他にも王族の浪費など、問題は山積みなのだが。


「気にしないでください。あの戦いはもう十年以上前のことですし、あなたには関係ありませんよ」


 フォルカーは、テオの背後から、肩を組むように腕を回した。


「テオはここの管理をしてるんだ。隠し書庫を見つけたのもこいつなんだぜ」


「入り浸ってるだけですよ。ルーネはほとんど読めませんし」


 ナハトは、はっと気付いて本棚の背表紙を観察した。全てがルーネ文字で記されている。一冊取り出して、中身を確かめた。


「ここの本、表紙も内容もルーネで書いてあるんですね」


「読めるのか?」


 フォルカーが後ろから覗き込んで来た。


「大体は。これは病気に効く薬草の使い方についての本ですね」


「お前すげーな。俺はさっぱりだ」


 テオとフォルカーはルーネがあまり読めないらしい。ジークムントの入隊試験ではまず落とされるだろう人材だった。


(二人とも魔力持ちなのに)


 ナハトは二人の魔力素養を、ほぼ完全に把握していた。テオなら一次試験は通るかもしれない、という程度だった。


 テオが口を開いた。


「このエッシェ城は、初代国王ドルイドによって築城されました。この隠し書庫を作って本を収集したのは恐らく、ドルイド本人でしょうね」


 ルーネで書かれた本は、殆ど現存していない。魔術書が普及していないのも、そのせいだ。まるで国民の誰もが、この文字を恐れていたようだった。ルーネがかなり読めるナハトでも、ルーネ文字だけで本を書けと言われたら、少し難しい。日常生活で使うのに向いた言葉ではないのだ。


「でも、すごいですね。これなんか料理本だ。魔術書以外にも、こんな本を書いた人がいたんですね」


「好きな時に読みに来ていいですよ。内容を理解できる人に読んでもらえる方が、本も嬉しいでしょう」


「ありがとうございます」


 この書庫の本に興味を引かれていたナハトは、思わず礼を言った。テオはにっこりと笑って頷いた。



 数日後、ナハトは隠し書庫に設けられたソファに座り込んで、ある本を読んでいた。それは、歴史書のはずだった。彼は、フォルクバルドが、この地に生まれた最初の国であると習ったのに、この本はそれより前に存在したヘンゼルという国について書かれている。あの遺跡が実際に使われていた頃だろう。社会構造や統治者の選び方、起こった戦いについても書かれており、良くできた創作として片付けるのは難しかった。何よりナハトは、この本に書いてあることは本当だと、根拠もなく確信していた。そしてその国は、使用者の少ないルーネをわざわざ日常の言語として使っていたのではないだろうか。

 消された歴史。それは戦いの勝者が、敢えて以前の統治者であった敗者を悪の権化ごんげのように書くのに似ている。誰かがこの本に記された国の存在をまるごと消してしまったのだ。でも誰が? 人に記憶が残る以上、それは容易なことではないはずだ。


 ナハトが頭を悩ませていると、テオがティーポットを載せたお盆を持ってやって来た。


「本当によく読みますね。お茶を貰って来たんですが、いかがです?」


「すみません、止まらなくて……」


 ここの本の内容を理解しない人には、この部屋はガラクタの山に見えるかもしれない。しかし、元々読書が好きなナハトは、重要そうな本を片っ端から読み漁っていた。そしてこの歴史書に書かれていた内容が事実だとすると、今まで彼が信じていたことが、根本から崩れそうだった。


 テオは、そんなナハトの心境には気付いていないようで、丁寧にティーポットからカップにお茶を注いでいた。匂いからすると、ハーブティーらしい。そこらに生えている野草のようなハーブでも、美味しいお茶は淹れられる。


「仕事はしていないんですか?」


 ナハトがお茶を一口飲むと、テオは話し掛けてきた。


「ええ……ご飯も慣れれば足りますし」


「駄目ですよ、食べ盛りなんですから」


 随分と心配されているらしい。


「始めやすい所だと、洗濯か掃除ですかね……折角なら魔法が生かせる場所が良いと思いますが」


 ナハトは気が楽になった。この人も、マリーと同じで魔法使いを特別視しない。数人から感じる若干の敵意を除けば、エッシェ城は意外と住みやすい場所だった。


「そうそう、ナハト君はどうしてジークムントに入ったんですか?」


 その質問にどう答えるか、ナハトは少し迷った。言わなければ怪しまれそうだし、隠すほど大事な話ではないだろう。そう結論付けて、掻い摘んで話をした。


「僕は戦災孤児だったらしいです。五歳くらいだったんですけど、魔法の素養を買われてアイヒェ城で育ちました。同じ境遇のタークという少年と一緒に、小さな頃から魔法を学びました。でもあいつは三年前、『外の世界が見たい』とか言って、城を出て行ってしまいました。ジークムントに入れば、外での任務ばかりだったと思うんですけどね。僕がジークムントに入ったのはその後です。戦いは好きではありませんでしたが、育ててもらった恩は返すべきだと思ったので。……すいません、つい長々と話してしまいましたが、ジークムントはお嫌いでしたか」


 ジークムントの誰かに殺されたヴィリー族もいたはずだ。テオの気に障ったかもしれない。

 しかしテオは、むしろ考え込んでいるようだった。


「……大体事情は分かりました。皆やっぱり不安がっていましたから。“ジークムントの魔法使いがどうして”、とね」


 彼もナハトの事情は聞き出しておきたかったらしい。無理もないことだし、この話が広まって自分の印象が良くなるなら、ナハトとしてもありがたい。


「にしても、そのタークという人とは仲が良かったんですか?」


「どうでしょう。すぐ勝手に何処か行くような奴でしたし」


「でも、その人の話をしている時、少し楽しそうでしたよ」


 そうかもしれない。ナハトにとっては、最も近い魂の片割れのような存在だった。


「連れて行ってほしかったですか?」


 テオに尋ねられて、ナハトは首を振った。自分とは似ているようで、違い過ぎる存在だった。きっと長く一緒にはいられない、という予感があった。



「何してるんだ、ナハト……」


「洗濯です」


「……」


 眼鏡の男性の質問に対して、さらりと答える。ナハトはしゃがみ込んで、木桶に手を突っ込み、洗濯板でごしごしと布をこすっていた。アイヒェではやったことがない仕事だ。


「洗濯って初めてしたんですけど、皆さん色々教えてくださって」


「いやだね、おべっかなんていいんだよ」


 後ろにいた年配の女性が、べしっとナハトの背中を叩いた。


「やあ、エド! 若い男がいると職場が潤っていいわねえ!」


「あの……報告を」


「わかってるよ、リサ!」


「聞こえてるわよ」


 名前を呼ばれた若い女性が、ナハトの前を駆けていく。長い三つ編みの先は赤い紐で結わかれている。彼女もヴィリー族だ。

 リサは、エドと呼ばれた男性と、最近の仕事状況についての話を始めた。

 ナハトももう、副官である彼の名前を知ってはいる。


「エドアルトさんて、何をしてるかたなんですか?」


「そうだねえ、あたし達の生活が上手くいくように調整してくれてるよ。元は商家の息子さんだったらしくて、金銭管理も任されてるし、あとは農業に関心があって、種蒔きの時期とか品種改良とか色々工夫してるみたいだね」


 おばさんは気前よく教えてくれた。


「凄い人ですね」


 エッシェには、思いの外有能な人が多い、というのがナハトの感想だった。



 その日ナハトは、もう一つの驚きに出会った。


「これが……お風呂ですか」


 目の前に広がるのは大浴場だった。百人位は入れそうな浴槽は、なみなみとお湯をたたえている。


「近くに温泉があってな、それを引いてるんだ」


 フォルカーが教えてくれた。掃除などの準備が面倒なので、毎日は入れないらしい。しかしこんなに広い風呂があるなら、昔ここが王宮だった時も、兵士達全員が身体を清潔に保てただろう。


 恐る恐るお湯に浸かって手足を伸ばす。アイヒェ城の浴槽は一人分だから、すさまじく広く感じる。ふと気付くと、隣に座っていたフォルカーが、ナハトの首元をまじまじと見ていた。


「お前、その首飾り外さないのか?」


 身分証とは別に着けている、軍服の頸飾けいしょくのような、平べったい銀色の首飾りだ。勿論、理由があるのだが。


「これは外れないんですよ」


「そんなわけないだろ。銀だと錆びるぞ」


 フォルカーが後ろに回って首飾りを外そうとする。その瞬間、「うわっ」と声が上がった。


〈てめー、俺の本体に触るんじゃねぇよ〉 


「うわぁああ、なんだこれ!」


 フォルカーは驚愕の叫びを上げた。無理もない。目の前に突然、オレンジ色の獣が出現したのだ。ナハトはハティを手の上に乗せた。


「見せるのは初めてでしたね。紹介します。風の使い魔で、名前はハティ。主に戦闘の援助をしてくれます。あと、寝ている時の見張りとか」


「なんだそれ便利だな!」


 驚きながらもちゃんと話を聞いていたらしい。フォルカーは感心していた。 

 ナハトが一人でも旅ができるのは、ハティの助けが大きい。お目付け役だが頼れる使い魔だった。ただ、ハティのコアとなっているこの首飾りの呪具は留め具が存在しない。溶接して装着させたのかもしれないが、どうやっても外せないのだ。


「うっわ、こいつ触れねえ」


「属性が風なので、実体はないです」


「魔法ってこんなこともできるんだな……」


 フォルカーはハティを突っつきつつも、何故か浮かない表情をしていた。

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